慰問袋
出征兵士などに、日用品などを入れて送った袋
慰問袋(いもんぶくろ)は、戦地にある出征兵士などを慰め、その不便をなくし、士気を鼓舞するために、中に日用品などを入れて送った袋である[1]。
袋は晒し木綿、または手拭い二つ折りであった。中に入れられた物は、日用品(ちり紙、手拭い、石鹸など)、衣服付属品(シャツ、腹巻きなど)、食料品、薬品、写真、絵画、お守り札などであった。戦地の気候や戦況を考慮すべきであるとされ、また場合によっては金子を贈ることもできた。差出人の住所、氏名を記し、手紙を添えた。
送達方法は、寄贈者が居住地の市町村長を経て陸軍恤兵部へ寄付申込書を差し出し、その承認を受け内容を検査され指定された陸軍倉庫へ発送された。
救恤品の運搬費は寄贈者負担[2]であったが、被災[3]や戦時[4]など特別な募集時には無賃郵送の指示があった。
1904年に陸軍恤兵部が開設されてからは「但し無賃を以て鉄道運搬を為すへき寄贈物品に係る両鉄道線接続駅に於ける貨物取扱費用は此の限に存らす」[5]とされ恤兵品の無賃郵送が規定された。
恤兵品は本来、個人や部隊を指定したものは受理されない[6]が、慰問文・慰問袋については部隊を指定でき所在地の陸軍官衙、部隊などを経て送達された[7]。
義和団の乱のときから慰問袋に相当するものは行なわれたが、その名称は日露戦争中の1904年(明治37年)11月18日の官報が初見であるとされる[8]。
脚注
編集- ^ 戦時広告図鑑 慰問袋の中身はナニ? 町田忍 編著 東京 WAVE出版 1997.8
- ^ 官報 1894年7月17日 大蔵省印刷局 [編] 書誌ID000000078538「陸軍省告示第8号 八 指定の官衛に到るまての運搬費は寄贈者の負担とす」
- ^ 大正三年櫻島噴火記事 九州鐵道管理局 編纂 書誌ID000008201640
- ^ 官報 1928年6月9日 大蔵省印刷局 [編] 書誌ID000000078538 「告示 / 鐵道省 / 第102号 / 山東派遣軍隊宛慰問品無賃輸送ノ件中改正」
- ^ 官報 1904年03月11日 大蔵省印刷局 [編] 書誌ID000000078538 「陸軍省告示第十一号」
- ^ 官報 1894年7月17日 大蔵省印刷局 [編] 書誌ID000000078538「陸軍省告示第8号 九 寄贈品は一己人又は部隊を指定するも之を採用せす」
- ^ 平成27年度京丹後市企画展 丹後の村から見た戦争「村では小学校、婦人会などの各種団体が、分担し、集団で慰問袋の送付に取り組んだ。部隊を指定すれば、村出身の兵士に慰問袋を送ることが可能だった。」
- ^ 官報 1904年11月18日 大蔵省印刷局 [編] 書誌ID000000078538 付録「救恤金品 1221 慰問袋 千住青物市場組合」