徳川斉明

清水徳川家第4代当主

徳川 斉明(とくがわ なりのり、文化6年12月5日1810年1月10日) - 文政10年6月10日1827年8月2日))は、江戸時代後期の武士清水徳川家4代当主。

 
徳川 斉明
時代 江戸時代後期
生誕 文化6年12月5日1810年1月10日
死没 文政10年6月10日1827年8月2日
改名 保之丞
戒名 寛量院殿正善映嶽大居士
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
氏族 清水徳川家
父母 父:徳川家斉、母:皆春院
兄弟 徳川家慶池田斉衆松平斉民蜂須賀斉裕など
英子女王伏見宮貞敬親王の娘)
なし
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生涯

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江戸幕府11代将軍である徳川家斉の十一男として生まれる。母は家斉側室のお八重の方(皆春院)。12代将軍徳川家慶の異母弟で、同母兄弟に池田斉衆松平斉民蜂須賀斉裕がいる。幼名は保之丞。正室は一品兵部卿伏見宮貞敬親王の娘である英子女王[1]

先代当主の異母兄斉順紀州藩徳川治宝の養嗣子になったため、1816年文化13年)12月3日に清水徳川家第4代当主となる[2]

1827年文政10年)6月10日、死去。享年19。法名は寛量院殿正善映嶽大居士。

年譜

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※日付=旧暦

  • 1816年文化13年)12月03日 - 清水門内館に定住。当主となる。
  • 1820年文政03年)06月05日 - 元服し、父である将軍徳川家斉から偏諱を与えられ斉明と名乗る。従三位左近衛権中将兼式部卿に叙任。3万俵を賜る。10月15日、加増され、10万石となる。
  • 1827年文政10年)06月10日 - 死去。享年19。法名は寛量院殿正善映嶽大居士。

系譜

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脚注

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  1. ^ 2008年,パレード『徳川将軍家墓碑総覧』
  2. ^ 1984年,続群書類従完成会『徳川諸家系譜4』