弁乳母
日本の平安時代の女官、歌人、禎子内親王の乳母
この項目では、禎子内親王の乳母について説明しています。同じ女房名を使った後冷泉天皇の乳母については「大弐三位」をご覧ください。 |
弁乳母(べんのめのと、生没年未詳)は、三条天皇皇女禎子内親王の乳母。本名は藤原明子。
父は加賀守藤原順時(魚名流)、母は肥後守紀敦経女。藤原道綱の三男藤原兼経の室であり、讃岐守藤原顕綱の母[1]。
長和2年(1013年)、禎子内親王(陽明門院)の乳母として出仕し、江侍従や周防内侍らと親交があった。承暦2年(1078年)内裏歌合への出詠が現存作品の最後となっている。家集に『弁乳母集』。勅撰集には後拾遺和歌集初出、29首入集。