廣重 徹(広重 徹、ひろしげ てつ、1928年8月28日 - 1975年1月7日[1])は、日本科学史家。元日本大学教授。

廣重 徹ひろしげ てつ
42〜43歳頃
人物情報
生誕 (1928-08-28) 1928年8月28日
日本の旗 日本兵庫県神戸市
死没 (1975-01-07) 1975年1月7日(46歳没)
日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
出身校 京都大学
配偶者 三木壽子
学問
時代 昭和
研究分野 物理学史
研究機関 日本大学
学位 理学博士
主な業績 自然科学社会史的研究の発展
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生涯

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兵庫県神戸市生まれ。旧制兵庫県立第一神戸中学校、旧制第三高等学校を経て、1952年京都大学理学部物理学科を卒業(旧制の大学は3年制)[2]素粒子論を志して大学院に進学したがドロップアウトした[2]。在学中から民主主義科学者協会の活動をした[2]

1957年日本大学理工学部講師(物理学教室物理学史研究室)となり、1973年より同教授を務めた[1][3]。1962年、名古屋大学より理学博士学位を取得。現代物理学史の研究、および明治以後の日本の自然科学社会史的研究に業績を上げたが、若くして没した。

反核運動で著名な物理学者武谷三男の三段階説を実証により否定している[要出典]

業績

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研究者として若い頃に電磁理論の発展過程の研究など学説史的研究を発表、後年にはマルクス主義科学史の影響を受けた近代日本の科学技術推進体制をテーマとした[2]吉岡斉によれば、広重にとって、自分が経験した職業的な科学研究の実態を土台として、科学への過剰な評価・期待を是正することが「ライフワーク」であった[2]

私生活

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1954年に三木壽子植物学者)と結婚した[3]

著書

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共著・編著

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翻訳

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脚注

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  1. ^ a b 広重徹』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e 『科学の社会史下』所収 吉岡斉「解説」
  3. ^ a b 三木壽子博士自分史