平野区(ひらのく)は、大阪市を構成する24行政区のうちの一つで、人口が最も多い。

ひらのく ウィキデータを編集
平野区
杭全神社
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
大阪市
市町村コード 27126-8
面積 15.28km2
総人口 185,382[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 12,132人/km2
隣接自治体
隣接行政区
大阪市東住吉区生野区
東大阪市八尾市松原市
区の花 ワタ
平野区役所
所在地 547-8580
大阪府大阪市平野区背戸口三丁目8番19号
北緯34度37分16.2秒 東経135度32分46.1秒 / 北緯34.621167度 東経135.546139度 / 34.621167; 135.546139座標: 北緯34度37分16.2秒 東経135度32分46.1秒 / 北緯34.621167度 東経135.546139度 / 34.621167; 135.546139
平野区役所(2007年8月)
地図
外部リンク 大阪市平野区
平野区位置図
ウィキプロジェクト

地理

大阪府のほぼ中央に位置する。区内のうち北西部は上町台地の南部に当たるが、全体的に見ると平坦な地形である。南部を大和川が流れ、また瓜破霊園も区内にある。なお、瓜破南1丁目・2丁目と長吉川辺4丁目は、大和川より南に位置する。

大阪市内を本拠とするカプコンや、高槻市に本社を置くサンスターは、この平野区が発祥地である。

河川

歴史

平野の地名は平安時代末期にまで遡ることが可能で、古くは摂津国住吉郡平野荘と呼ばれ、征夷大将軍坂上田村麻呂の次男で平野の開発領主となった坂上広野を「平野殿」と呼んだという。

平野という地名の由来については、広野が訛って平野になったという説と、河内源氏の本拠地である石川荘を相続した石川源氏系の杭全氏が杭全荘を開発し、その時に多くの湖沼を埋め立て「野が平らになった」という意味から起こったという説がある。平野荘は近世には平野郷と呼ばれるようになる。杭全荘と平野荘、平野郷は同じ地域の名称である。

戦国時代には坂上広野の子孫という平野氏一族の末吉家を筆頭とする坂上氏庶流の平野氏七名家と呼ばれる家々が自治権を掌握し周囲に環濠を巡らせて自衛の形を固めた。

大坂夏の陣では徳川家康の本陣と定められ、その事を示すものも現存する。

区内には江戸時代初期に定められた町割を現在も保っている地域が存在している。江戸時代に河内国綿花の集積地として栄えたために綿花が区の花と定められている。なお、同地は当初天領だったが、後に古河藩の領地となった。

分区

現在の平野区は、元々東住吉区であった地域を分区して作られた。1955年の第3次大阪市域拡張により、従来の東住吉区にはなかった加美瓜破矢田長吉を編入。非常に広大な区となっていた事もあり、分区自体については地元住民からの歓迎の意向を示されていたが、新しい東住吉区との区境界をどこにするかで論議が巻き起こった。境界の案としては、今里筋で分ける案や、大阪内環状線で分ける構想があったが、これらについて「同じ町村を分断する」として、今里筋案では育和から、大阪内環状線案では瓜破から、それぞれ強い反対意見が出された。 この修正案として、現行の複雑な区境界が策定され、満場一致で本決定となった経緯がある。[1]

区名の由来と経緯

平野区の名の由来は、区役所が置かれている地域名によるものである。

分区にあたっては、東住吉区内での生活区域が、戦前より田辺と平野に分かれていた[注 1]こともあり、元の区名である「東住吉」をどちらに残すかで論争となった。結果的に、住吉区の東隣であるという理由から田辺側を東住吉区に選定し、平野側の新区域名を考えることになった。500名を対象にアンケートを行った結果、大和川区、南住吉区、長吉区などの案も挙がったが、80%近くの回答が平野区であった。 この結果を踏まえ、区名決定にあたって区政協力会[注 2]を開催し、一旦は平野区へ決まりかけた。 しかし、第3次大阪市域拡張で編入した瓜破・長吉の村民が歩調を合わせ、区政会議会にて改めて「大和川区」を主張。この結果、平野区派と大和川区派が同一票数になったが、加美エリアからの投票の結果、1票差で辛うじて平野区に決定することになった経緯がある。[2]

沿革

人口

平野区(に相当する地域)の人口推移
世帯数 人口 人口増減率
(前回比)
1950年(昭和25年) 13,054 59,128
1955年(昭和30年) 13,974 64,588 9.23%
1960年(昭和35年) 20,942 90,289 39.79%
1965年(昭和40年) 38,495 147,225 63.06%
1970年(昭和45年) 51,785 188,977 28.35%
1975年(昭和50年) 58,395 202,645 7.23%
1980年(昭和55年) 61,100 198,880 −1.86%
1985年(昭和60年) 64,188 196,203 −1.35%
1990年(平成2年) 71,351 198,550 1.20%
1995年(平成7年) 76,676 200,556 1.01%
2000年(平成12年) 80,874 201,722 0.58%
2005年(平成17年) 83,688 200,490 −0.61%
2010年(平成22年) 200,205 −0.14%

※2010年は9月1日現在の推計人口

地名

平野区は大きく分けると、平野喜連加美瓜破長吉の5地区から成り立っている。平野・喜連が摂津国、加美・瓜破・長吉が河内国にあたる。

住居表示にあたり、町名に東西南北をつけて整理されたケースが多いが、長吉エリアは旧長吉村だった歴史を後世に残すため、町名の前に「長吉」を冠する命名方法となっている。[3]

隣接している自治体・行政区

大阪市の行政区
自治体

交通

鉄道

西日本旅客鉄道(JR西日本)
関西本線 大和路線  加美駅 -   平野駅
 おおさか東線 新加美駅
衣摺加美北駅(東大阪市衣摺)は駅舎の一部が加美北に跨っている。
大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)
  谷町線 平野駅 - 喜連瓜破駅 - 出戸駅 - 長原駅

※ かつて平野区には路面電車として南海平野線が走っており、区内には西平野平野の2ヶ所の電停があった。しかし、人口急増により路面電車では輸送力に限界が生じ、1980年(昭和55年)11月の地下鉄谷町線延伸により地下鉄に引き継がれ廃線となった。

バス

道路

高速道路
国道・その他一般道

教育

区内には大阪教育大学附属の高校・中学校・小学校がある。また区西部に位置する東住吉高校には、芸能文化科が全国で唯一設置されている。

大学

短期大学

高等学校

中学校

小学校

(閉校となった小学校)

  • 大阪市立大和川小学校 - 団地建設などによる児童増により1974年に長原小学校より分離開校。しかしその後の児童減少に伴い1989年に長原小学校へ再統合されて閉校[4]
  • 大阪市立長吉六反小学校 - 2016年長吉東小学校に統合し閉校[4]

特別支援学校

施設

寺社

集合住宅

大規模マンション

  • メガロコープ平野
  • 平野コーポ

住宅団地

  • 都市再生機構エステート喜連東
  • 大阪府住宅供給公社喜連団地
  • 大阪市住宅供給公社コーシャハイツ喜連西
  • 大阪市住宅供給公社コーシャハイツ瓜破
  • 大阪市住宅供給公社コーシャハイツ中野
  • 市営瓜破2丁目住宅
  • 市営瓜破西住宅
  • 市営瓜破東住宅
  • 市営加美北住宅
  • 市営加美絹木住宅
  • 市営加美正覚寺住宅
  • 市営加美神明住宅
  • 市営加美長沢住宅
  • 市営加美東住宅
  • 市営加美南住宅
  • 市営喜連住宅
  • 市営喜連北池住宅
  • 市営長吉住宅
  • 市営長吉川辺住宅
  • 市営長吉出戸住宅
  • 市営長吉出戸西住宅
  • 市営長吉出戸南住宅
  • 市営長吉長原住宅
  • 市営長吉長原北住宅
  • 市営長吉長原西住宅
  • 市営長吉長原東住宅
  • 市営長吉六反住宅
  • 市営長吉六反北住宅
  • 市営長吉六反東住宅
  • 市営西喜連住宅
  • 市営東喜連住宅
  • 市営平野住宅
  • 市営平野市町住宅
  • 市営平野東住宅
  • 清水電気社宅
  • 西濃運輸社宅
  • 万福運送社宅
  • JR西日本平野社宅

出身有名人

歴史上の有名人

現代の有名人

平野区に本拠を構える企業

かつて平野区に本拠を構えていた企業

出典

  1. ^ 『新8区の発足 : 大阪市行政区再編成の記録』,大阪市総務局行政区調査室,1975.
  2. ^ 平野区誌編集委員会『平野区誌』,2005年8月
  3. ^ 平野区誌編集委員会『平野区誌』,2005年8月
  4. ^ a b 大阪市立小学校 学校配置の適正化の推進のための指針”. 大阪市教育委員会 (2022年11月22日). 2022年12月18日閲覧。
  5. ^ ごぶごぶ出演で出身地の平野区で街ブラロケ。2023年3月4日、18日放送[1]
  6. ^ 西野七瀬、母校「大阪市立長吉小学校」で浜田雅功撮影の貴重ショット 初地元ロケ&恥ずかし秘話も”. ORICON NEWS. 2024年5月11日閲覧。

注釈

  1. ^ 当時の矢田・加美・瓜破・長吉は大阪市東住吉区ではなく、独立した村である
  2. ^ 地域団体より推薦された者から選定する委員、および公募により選定する委員からなる任意団体。総人数は数十名程度。

関連項目

外部リンク