平良辰雄
日本の官僚、政治家
平良 辰雄(たいら たつお、1892年4月6日 - 1969年7月26日)は、戦前の沖縄県の官僚で、沖縄群島政府及び琉球政府の政治家。沖縄社会大衆党を設立。本土復帰運動を推進。
平良 辰雄 たいら たつお | |
---|---|
沖縄群島知事へ就任宣誓する平良(中央) | |
生年月日 | 1892年4月6日 |
出生地 | 沖縄県国頭郡大宜味村 |
没年月日 | 1969年7月26日(77歳没) |
在任期間 | 1950年11月4日 - 1952年1月30日 |
経歴
編集明治25年(1892年)4月6日生まれ。第八高等学校(名古屋大学の前身の一つ)を中退後、戦前の沖縄県庁に勤務する。県庁では八重山支庁長や振興計画課長を歴任する。戦時中は大政翼賛会沖縄県支部壮年団長に就任した。
沖縄戦後は、田井等市長(地方行政緊急措置要綱に基づく暫定的な市)に当選し、1950年に沖縄群島知事に当選する。そして沖縄社会大衆党の初代委員長に選出された。
沖縄群島政府解消後は、第1回立法院議員総選挙に出馬し当選する。立法院では早期復帰の論陣を張った。立法院議員辞職後は復帰運動に全身全霊を尽くした。