岸 盛一(きし せいいち、1908年7月14日 - 1979年7月25日)は最高裁判所裁判官

岸盛一
きし せいいち
生年月日 (1908-07-14) 1908年7月14日
出生地 東京府
没年月日 (1979-07-25) 1979年7月25日(71歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京帝国大学
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人物・来歴

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東京出身。東京帝国大学を卒業して、裁判官に任官。東京控訴院判事などを経て、戦後に初代最高裁判所刑事局長。その後、東京地方裁判所の裁判現場に戻る。東京高等裁判所長官、最高裁判所事務総長を歴任した。

東京地裁判事として、1959年8月8日東京都公安条例事件では東京都公安条例の違憲判決を下した。砂川事件では、最高裁判所大法廷の一審破棄・差し戻し判決を受けてのやり直し裁判を担当して[1]1961年3月27日に逆転有罪判決を下した。

1967年から1972年にかけての「司法の危機」について、当時最高裁判所事務総長だった岸は「裁判制度に関する調査特別委員会が裁判の独立を脅かすようなことがあれば、重大問題である」とする談話を発表した[2][3]。その一方、青年法律家協会の長沼ナイキ裁判における平賀書簡事件以降、裁判官は「政治的色彩を帯びる団体に加入することは慎むべきである」と述べ[2][3]、青年法律家協会の関係者を排除するブルーパージの実務役を担った[3][4]

1971年4月に最高裁判所裁判官に就任[5]。青年法律家協会関係者の脱会工作を主導したことから、1972年の国民審査において、不信任の割合が14.59%に達した[6]1975年5月20日白鳥事件に関して「再審にも疑わしきは被告人の利益の原則が適応されるべき」とする白鳥決定が最高裁で出された時に最高裁裁判官として主導的役割を果たした[7]

1978年7月に定年退官[8]

著書

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  • 『新刑事訴訟法義解』 (新法令解説叢書 法文社, 1948
  • 『刑事訴訟法要義』広文堂書店, 1961
  • 『事実審理と訴訟指揮 刑事訴訟論集』有斐閣, 1979.11

共編著

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  • 『経済統制法』荻野益三郎共編 判例体系 啓法会, 1943
  • 『註釈新刑事訴訟記録』矢崎憲正共著. 法文社, 1949
  • 『刑事訴訟法判例総覧』荒川省三,横井大三共編. 帝国判例法規出版社, 1954-1955
  • 『事実審理 集中審理と交互尋問の技術』横川敏雄共著. 有斐閣, 1960

脚注

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  1. ^ 野村二郎 1986, p. 170.
  2. ^ a b 安原浩「わが国における司法権独立の実態を考える:その歴史的評価と現状」『年報政治学』第69巻第1号、日本政治学会、2018年、1_13-1_23、doi:10.7218/nenpouseijigaku.69.1_13ISSN 0549-4192NAID 130008065571 
  3. ^ a b c 宮本弘典「ニホン刑事司法の古層・再論1 思想司法の系譜」『関東学院法学』第28巻第2号、関東学院大学法学会、2019年3月、85-148頁。 
  4. ^ 日本弁護士連合会:臨時総会・裁判官の再任拒否に関する決議”. 日本弁護士連合会. 2021年11月5日閲覧。
  5. ^ 最高裁判所判事一覧表 | 裁判所”. www.courts.go.jp. 2021年11月5日閲覧。
  6. ^ 最高裁判事の国民審査、SNSの「罷免運動」は通用するか? 過去最高の不信任率は「15.17%」(弁護士ドットコムニュース)”. Yahoo!ニュース. 2021年11月5日閲覧。
  7. ^ 野村二郎 1986, p. 172.
  8. ^ 野村二郎 1986, p. 173.

参考文献

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外部リンク

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