岩﨑恭平

日本の野球選手

岩﨑 恭平(いわさき きょうへい、1986年4月4日 - )は、神奈川県厚木市出身の元プロ野球選手内野手)。右投左打。愛称は東海大学の同級生から付けられたという「プリンス」。

岩﨑 恭平
オリックス時代(2015年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県厚木市
生年月日 (1986-04-04) 1986年4月4日(38歳)
身長
体重
178 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 二塁手遊撃手外野手三塁手
プロ入り 2008年 ドラフト3位
初出場 2009年6月10日
最終出場 2017年10月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
指導者歴
  • 日立製作所

経歴

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プロ入り前

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中日時代(阪神甲子園球場にて)

東海大学付属相模高校から東海大学へ進学。大学時代には、首都大学野球のリーグ戦通算で69試合に出場すると、打率.333(234打数78安打)、4本塁打、31打点という成績を残した。また、三塁手としてリーグのベストナインに2回選出。3・4年時には、春季リーグ戦の優勝を経て、全日本大学野球選手権で準優勝を経験した。

2008年のNPBドラフト会議で、中日ドラゴンズから3巡目で指名。契約金6,500万円、年俸1,200万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は37

中日時代

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2009年、6月10日に入団後初めての出場選手登録を果たしたが、登録後は一軍公式戦2試合の出場にとどまった。

2010年7月22日フレッシュオールスターゲーム長崎ビッグNスタジアム)では、ウエスタン・リーグ選抜の「8番・二塁手」としてフル出場。4打数1安打ながら、1本塁打2打点1盗塁という成績でMVPに選ばれた。一軍公式戦への出場は4試合に終わったが、ウエスタン・リーグ公式戦で規定打席へ到達。31盗塁で盗塁王のタイトルを獲得し、リーグ10位の打率.269を記録した。

2011年から2年間は、一軍公式戦への出場機会がなく、ウエスタン・リーグ公式戦でも規定打席に到達しなかった。

2013年、レギュラーで二遊間を組んでいた荒木雅博井端弘和の不調を背景に、3年振りに一軍へ復帰すると、9月23日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)では、3回表の打席で三浦大輔から一軍公式戦初本塁打・初打点を記録したほか、猛打賞を初めて達成した。一軍公式戦54試合に出場し、通算打率は.286で、大島洋平や荒木に次ぐチーム3位の8盗塁を記録した。

2014年、7月下旬までに一軍公式戦18試合に出場したが、打率.107と振るわず、盗塁も記録できなかった。

オリックス時代

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2014年7月29日三ツ俣大樹との交換トレードでオリックス・バファローズへ移籍[1]。翌30日付で、NPBから支配下登録選手として公示された[2]。背番号は、三ツ俣が付けていた30[3]。移籍後は、一軍公式戦15試合に出場したが、打率.125(8打数1安打)、1盗塁という成績でシーズンを終えた。

2015年7月28日の対北海道日本ハムファイターズ戦(ほっともっとフィールド神戸)2回裏の打席で上沢直之から放った逆転の2点本塁打が、(前身球団を含む)オリックス球団での公式戦通算8000号本塁打になった[4]。一軍公式戦では、通算35試合の出場で、自己最多の4本塁打、8打点を記録した。

2016年、故障が相次いだことなどから、一軍公式戦には9試合の出場にとどまった。

2017年5月14日にシーズン初の出場選手登録を果たすと、当日の対埼玉西武ライオンズ戦(京セラドーム大阪)では「2番・右翼手」としてスタメンで起用。しかし、一軍公式戦全体では、7試合の出場で打率が.091にとどまった。10月28日に球団から戦力外通告[5]

オリックス退団後

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他球団での現役続行を模索中に、社会人野球の日立製作所硬式野球部から入部の誘いを受けたことを機に、2018年シーズンから同部でプレーを続ける[6]

2020年シーズンをもって引退[7]、野手コーチに就任。2023年シーズンをもって勇退[8]

選手としての特徴

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左右に打ち分けるシュアな打撃と軽快な内野守備[9]、大学日本代表の合宿で50メートル走を5秒66というタイムを残せる俊足を備え、合宿に参加していた柴田講平松本啓二朗という俊足を武器とする選手達より速かった[10]

動体視力もよく、入団後の測定で静止視力と変わらない値を出した[11]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2009 中日 2 4 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 2 0 0 1 0 .000 .500 .000 .500
2010 4 6 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 2 0 .000 .200 .000 .200
2013 54 57 49 15 14 0 0 1 17 2 8 6 3 0 5 0 0 10 2 .286 .352 .347 .699
2014 18 30 28 6 3 0 0 0 3 0 0 1 0 0 2 0 0 6 0 .107 .167 .107 .274
オリックス 15 9 8 3 1 0 0 0 1 0 1 1 0 0 0 0 1 4 0 .125 .222 .125 .347
'14計 33 39 36 9 4 0 0 0 4 0 1 2 0 0 2 0 1 10 0 .111 .179 .111 .291
2015 35 113 96 13 27 2 0 4 41 8 2 2 8 0 8 0 1 23 0 .281 .343 .427 .770
2016 9 15 14 0 3 0 0 0 3 0 0 1 0 0 1 0 0 5 0 .214 .267 .214 .481
2017 7 11 11 1 1 0 0 0 1 0 1 0 0 0 0 0 0 2 0 .091 .091 .091 .182
NPB:7年 144 245 212 38 49 2 0 5 66 10 12 12 12 0 19 0 2 53 2 .231 .300 .311 .612

年度別守備成績

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二塁 三塁 遊撃 外野
















































2010 2 3 2 0 1 1.000 - - -
2013 12 15 12 1 7 .964 - 11 7 13 0 3 1.000 11 5 0 0 0 1.000
2014 11 19 29 1 7 .980 3 0 0 0 0 .000 - -
2015 23 45 49 1 9 .989 - - 11 12 0 0 0 1.000
2016 2 1 4 1 0 .833 3 0 2 0 0 1.000 - -
2017 1 2 1 0 0 1.000 - - 3 5 0 0 0 1.000
通算 58 89 105 4 27 .979 6 0 2 0 0 1.000 11 7 13 0 3 1.000 25 22 0 0 0 1.000

表彰

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記録

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初記録
その他の記録

背番号

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  • 37 (2009年 - 2014年途中)
  • 30 (2014年途中 - 2017年)

登場曲

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  • 「イカロス」GReeeeN (2013年 - 2017年)

脚注

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  1. ^ トレードのお知らせ中日球団公式サイト2014年7月29日配信
  2. ^ 【7月30日の公示】トレードの三ツ俣、岩崎が中日、オリ支配下にスポニチアネックス(2014年7月30日)
  3. ^ オリックス移籍の岩崎が会見「すきのない野球を教わってきた」
  4. ^ オリックス岩崎球団通算8000号、史上5チーム目
  5. ^ オリックスが川端、岩崎、佐野の3選手に戦力外通告”. 日刊スポーツ (2017年10月28日). 2017年10月28日閲覧。
  6. ^ オリックス戦力外の岩崎、日立製作所で現役続行”. スポーツ報知 (2017年12月14日). 2017年12月14日閲覧。
  7. ^ 2020年退部者”. 日立製作所硬式野球部 (2021年1月20日). 2021年1月20日閲覧。
  8. ^ 2023年 勇退スタッフ・選手紹介”. 日立製作所硬式野球部 (2024年2月4日). 2024年2月4日閲覧。
  9. ^ 『プロ野球カラー名鑑2009』ベースボール・マガジン社、2009年、209頁。ISBN 978-4-583-61591-2 
  10. ^ 中日スポーツ2008年11月4日紙面より
  11. ^ 中日スポーツ2009年1月25日紙面より

関連項目

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外部リンク

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