岡本 晃(おかもと あきら、1973年5月3日 - )は、兵庫県神戸市北区出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

岡本 晃
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県神戸市北区
生年月日 (1973-05-03) 1973年5月3日(51歳)
身長
体重
180 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1995年 ドラフト2位(逆指名
初出場 1997年5月8日
最終出場 2004年9月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

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プロ入り前

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三田学園高校時代に第63回選抜高等学校野球大会に出場。チームの大半が三田学園中学校からの内部進学生である中、岡本は高校からの編入ながらチームに溶け込み、主力として活躍した[1]

高校卒業後は関西大学へ進学。関西学生リーグで通算39試合に登板し、166防御率1.73。4年時の1995年春季リーグでは開幕戦でノーヒットノーランを達成するなど6勝を挙げて優勝に貢献し、最優秀選手とベストナインに選ばれた。

1995年度のドラフト会議前に近鉄バファローズ逆指名し、同会議で近鉄から2位指名を受けて入団。

近鉄時代

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プロ1年目の1996年シーズンは即戦力として期待されたが、同年は一軍登板はなかった。

1997年シーズンにはスリークォーター気味のサイドスローへ変更し、制球が安定。気迫あふれるストレートと変化球の揺さぶりを生かして先発投手として活躍し、規定投球回に到達。防御率はパシフィック・リーグ2位の2.82、10勝6敗の好成績を残して佐々木恭介監督の期待に応え新人王候補に挙がる活躍をする(新人王はルーキー史上最多盗塁を記録した小坂誠を選出)。

1998年エースとして期待されたが好不調の波が激しく8勝13敗、防御率4.04と安定感を欠いた。

1999年シーズンには自身初の開幕投手を務め、先発の柱としてチームに貢献。前年同様防御率4点台と安定感を欠いたものの、チームトップの9勝を挙げた。しかし前半7勝を挙げたものの後半は全く勝てずリーグ最多の12敗を喫した。

2000年は怪我と不調が重なり、一軍での登板はわずか9試合で未勝利に終わった。

2001年はシーズン初登板で先発したが敗戦投手となり、これを機に梨田昌孝監督よりリリーフ転向を命じられる。そして、チームの守護神大塚晶文の不調からシーズン序盤は抑えとして活躍、大塚が復調したシーズン後半はセットアッパーとして活躍した。ペナントレースではチーム最多の61試合に登板、チームのリーグ優勝に貢献した。ヤクルトスワローズとの日本シリーズでは、第2戦でシリーズ史上最少投球数タイのわずか2球で勝利投手となった(後に2012年第6戦で巨人高木京介がこの記録に並んだ)[2]。なお2004年シーズン終了後に近鉄はオリックス・ブルーウェーブと合併したため、岡本が日本シリーズで近鉄で最後に勝利を挙げた投手となった。

2002年は大塚が開幕直前に脇腹痛で出遅れ、大塚が戦線復活するまでクローザー、大塚復帰後はセットアッパーと、再び大車輪の活躍。65試合に登板し、防御率も1.82と抜群の安定感を誇り、推定年俸も1億円を越える。なお、10月2日の対西武ライオンズ戦では、8回裏にアレックス・カブレラにシーズンタイ記録となる55号本塁打を献上している。

2003年は大塚が中日ドラゴンズへ移籍した為、開幕当初はクローザーに任命されるが、疲労のためか安定感を欠く投球が続く。45試合に登板するも、防御率が4.76と大幅に悪化。年俸も1億円を割った。

2004年のシーズン中に背筋を痛め、わずか4試合の登板で防御率9.00と結果を残せなかった。近鉄最後の本拠地最終戦となった9月24日の対西武戦ではマウンドに立つ。シーズン終了後、近鉄とオリックス・ブルーウェーブとの球団合併に伴う分配ドラフトを経て、合併球団であるオリックス・バファローズと契約した。

オリックス時代

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2005年は合併したことで有力選手が増え、菊地原毅加藤大輔、抑えには大久保勝信が起用された他、それ以外の中継ぎ陣でも萩原淳歌藤達夫らが起用されたこともあり、一軍登板がなく、二軍ウエスタン・リーグ)でも打ち込まれるケースが目立ち、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。

オリックス退団後

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戦力外後に12球団合同トライアウトに参加はしたが獲得に手を挙げる球団は無く、2006年、オランダ・ホーフトクラッセのADO所属。2007年1月24日、アメリカ独立リーグカナディアン・アメリカン・リーグ内の「ナシュア・プライド」(本拠地はニューハンプシャー州ナシュア)に入団が決定。「A-OK」(AKIRA-OKAMOTO)という愛称もついた。同シーズン終了をもって現役を引退した。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1997 近鉄 30 22 3 1 0 10 6 0 -- .625 610 146.2 138 14 50 1 8 84 0 1 53 46 2.82 1.28
1998 30 27 4 2 0 8 13 0 -- .381 686 158.0 167 22 52 2 9 93 5 0 77 71 4.04 1.39
1999 27 27 5 1 0 9 12 0 -- .429 708 159.2 187 19 50 2 10 88 3 1 92 85 4.79 1.48
2000 9 3 1 0 0 0 2 0 -- .000 119 25.0 35 5 10 2 1 10 1 0 21 21 7.56 1.80
2001 61 1 0 0 0 4 4 8 -- .500 423 102.1 86 8 33 6 3 73 3 0 33 31 2.73 1.16
2002 65 0 0 0 0 7 2 18 -- .778 276 69.1 57 6 12 3 2 41 0 0 14 14 1.82 1.00
2003 45 0 0 0 0 1 3 2 -- .250 152 34.0 43 6 8 2 2 24 0 1 19 18 4.76 1.50
2004 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 16 3.0 6 2 2 1 0 1 0 0 3 3 9.00 2.67
通算:8年 271 80 13 4 0 39 42 28 -- .481 2990 698.0 719 82 217 19 35 414 12 3 312 289 3.73 1.34
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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背番号

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  • 16 (1996年 - 2004年)
  • 22 (2005年)

脚注

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  1. ^ 『朝日新聞』1991年(平成3年)3月9日付大阪本社朝刊地方面(兵庫)。
  2. ^ “高木京 2球勝利 シリーズ史上2人目”. スポニチアネックス. (2012年11月4日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/11/04/kiji/K20121104004479620.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter 2012年11月4日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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