山畑横穴群
山畑横穴群(やまはたよこあなぐん)または山畑横穴古墳群(やまはたよこあなこふんぐん)は、宮城県大崎市三本木蟻ヶ袋山畑にある古墳時代後期から奈良・平安時代初頭の横穴墓群である。6・10・15号墓には彩色壁画が確認されており、装飾を有する横穴墓群としては最も北に位置する。1973年(昭和48年)12月15日、国の史跡に指定された[1]。
山畑横穴群 | |
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別名 | 山畑横穴古墳群 |
所在地 | 宮城県大崎市三本木蟻ヶ袋山畑 |
位置 | 北緯38度31分15.3秒 東経140度55分32.6秒 / 北緯38.520917度 東経140.925722度座標: 北緯38度31分15.3秒 東経140度55分32.6秒 / 北緯38.520917度 東経140.925722度 |
規模 | 横穴墓36基 |
築造時期 | 6世紀末から9世紀 |
史跡 | 1973年(昭和48年)12月15日国指定[1] |
地図 |
概要
編集浮石凝灰岩でできた丘陵の南斜面に位置する。1972年(昭和47年)に26基を確認、そのうち23基が発掘調査された。
玄室立面形は宝形・切妻・寄棟・アーチ状と多様で、台床を備えるものもある[2]。
本横穴墓群を特徴付けるのは6・10・15号墳の装飾横穴墓で、玄室や玄門・羨道に線・珠文・同心円文を朱描きする[2]。6号墓の玄室にはかすかに朱描の線が、また10号墓の玄室には朱描の線・珠文・同心円文が認められる。15号墓の玄室および玄門・羨道には格子状の朱線が描かれている。これら3基は玄室の構造・形態から15→10→6の順で造営されたと考えられる[2]。
遺物は土師器(坏・蓋・高坏・壺・長胴甕)・須恵器(坏・蓋・提瓶・長頸壺・短頸壺)・鉄製品(刀子・鏃・鞘尻・斧)で、その多くは前庭部や外部から出土した[2]。
本横穴群は6世紀末に造営が始まり、追葬を行いつつ9世紀まで使用された[2]。
調査終了後、横穴群は保存のために埋め戻されたが、隣接して建てられた資料館に15号墓が復元され、出土品とともに展示されている[3]。