山名矩豊
日本の江戸時代前期の武士。交代寄合山名豊政長男で、但馬福岡領→村岡領3代領主。従五位下伊豆守
山名矩豊像(山名史料館「山名蔵」蔵) | |
時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 元和5年10月15日(1619年11月20日) |
死没 | 元禄11年8月27日(1698年9月30日) |
戒名 | 芳心院殿勇山日公大居士 |
墓所 | 兵庫県美方郡香美町村岡区村岡の法雲寺(坪谷御廟) |
官位 | 従五位下伊豆守 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家光→家綱→綱吉 |
藩 | 但馬村岡領主 |
氏族 | 山名氏 |
父母 |
父∶山名豊政 母∶大沢基宿娘養安院 |
兄弟 |
矩豊、安千代、義豊、本多重世室、 妻木頼信室、永井直重室 |
妻 | 久留島通春養妹 |
子 | 犬千代、恒豊、豊有、泰豊、隆豊 |
生涯
編集元和5年(1619年)、江戸幕府交代寄合の山名豊政の長男として誕生。
寛永5年(1628年)、10歳で父に家督を譲られた。旗本であったが、大名の格しか許されぬ「上乗輿白無垢着金紋先箱爪折傘」の御免の特権を得た。
寛永19年(1642年)3月、陣屋が領地の中心地である但馬国黒野村に移され、同地を村岡と改名した。同年4月初めて所領入りする。黒野に既にあった報恩寺を山名氏の菩提寺にして、寺名を父の法名にちなみ法雲寺と改名した。また、法華経の熱心な信者であったため、臨済宗から日蓮宗へ宗派も変更した(その後、天台宗に再改宗)。
北野経王堂願成就寺 (大報恩寺 通称 千本釈迦堂)に、明徳の乱で討たれた山名氏清の供養の 「山名陸奥太守氏清之碑」を建立した。
元禄7年(1694年)10月、男子に恵まれず養子をとったがいずれも早世し、福島正長の次男で福島正則の曾孫にあたる正盛を養子に迎え、山名隆豊と名乗らせ嫡男とした。元禄11年(1698年)、80歳で死去する。