属最吉
日本の実業家
属 最吉(さっか さいきち、旧姓・井上、1873年(明治6年)5月15日 - 1965年(昭和40年)12月24日[1][2][3])は、日本の実業家。三井鉱山(現・日本コークス工業)取締役[4]。日本石油監査役[5]。族籍は山口県士族[4][6]。宇部興産元副社長の俵田寛夫は次男、衆議院議員の林芳正は曽孫にあたる。
経歴
編集山口県人・井上哲蔵の二男[4][5][7]。先代恭亮の養子となり1928年、家督を相続した[4]。1898年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業した[4][8]。三井鉱山会社に入り総務部長[7]、鉱業所長、三池染料工業所長を経て三井鉱山取締役[4]。また小倉石油、三井化学、東洋高圧各取締役[5]、日本石油、三池窒素工業、東洋高圧工業、日本亜鉛工業各監査役などをつとめた[4]。
人物
編集趣味は囲碁[5]。宗教は禅宗[5]。住所は東京市渋谷区代々木初台町[4]、世田谷区成城[5]、福岡県三池郡大牟田町[6]。墓所は多磨霊園(26-1-33)。
家族・親族
編集- 属家
- 養父・恭亮[4]
- 養母・ヨシ(1867年 - ?、山口、杉文右衛門の長女)[4]
- 養妹・隆子(1900年 - ?、山口、西村良蔵の妻)[4]
- 養弟・毅一(1903年 - ?)[7]
- 妻・加彌(1885年 - ?、東京士族、水野勝興の長女)[4]
- 長女・松(1904年 - ?、山口、荘原和作の妻)[4]
- 長男・哲夫(1905年 - ?)[4]
- 二男・寛夫(1908年 - 1990年、山口、俵田明の養子)
- 次女・澄江(1910年 - 2001年、朝鮮出身の音楽評論家・属啓成の妻、ピアニスト)
- 三男・照雄(1912年 - ?)[4]
- 三女・敏子(1914年 - ?)[5]
- 四男・義雄(1916年 - ?、秋保盛正の養子となる)[5]
- 四女・明子(1919年 - ?)
- 親戚
- 略系図
脚注
編集- ^ 「属 最吉氏(さっか・さいきち=元日本石油監査役)」『朝日新聞』1965年12月25日、7面。
- ^ 「属 最吉(さっか・さいきち)氏(元日本石油監査役)」『読売新聞』1965年12月25日、7面。
- ^ 「属 最吉氏(さっか・さいきち、元三井鉱山取締役、元日本石油監査役。宇部興産専務・俵田寛夫氏の父)」『毎日新聞』1965年12月25日、7面。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『人事興信録 第10版 上』サ130頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『東京紳士録 昭和39年版』さ38頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月11日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第9版』サ129頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月6日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第7版』さ104頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月9日閲覧。
- ^ 『東京帝国大学一覧 從大正2年 至大正3年』76 - 77頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月6日閲覧。
参考文献
編集- 『東京帝国大学一覧 從大正2年 至大正3年』東京帝国大学、1913 - 1924年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
- 東京探偵社編『東京紳士録 昭和39年版』東京探偵社、1964年。