小林正 (脚本家)
小林 正(こばやし まさし、1901年 - 1946年)は、日本の脚本家である。
こばやし まさし 小林 正 | |
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生年月日 | 1901年 |
没年月日 | 1946年 |
職業 | 脚本家 |
ジャンル | サイレント映画、トーキー |
活動期間 | 1924年 - 1940年 |
主な作品 | |
『仇討選手』 |
来歴・人物
編集1901年(明治34年)に生まれる。
のちの映画監督の山本嘉次郎とは慶應義塾普通部(現在の慶應義塾高等学校)時代の同級生で、山本にシリアル・フィルム『名金』やブルーバード映画等、最新のアメリカ映画の存在を教え、ともに享受した[1]。
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災後、京都に移り、日活大将軍撮影所の現代劇部門である第二部で、1924年(大正13年)、久米正雄の小説『冷火』を脚色して映画化、脚本家としてデビューする[2]。1926年(大正15年)には旧友の山本嘉次郎らと共同で溝口健二監督の『海国男児』の脚本を執筆している[2]。1927年(昭和2年)には東京に戻り、松竹蒲田撮影所で牛原虚彦、斎藤寅次郎のコメディに脚本を提供している[2]。1928年(昭和3年)には、京都に戻り、太秦に移転した日活で内田吐夢とタッグを組み、『生ける人形』、『仇討選手』等を連打し、溝口とは『都会交響楽』等の脚本を提供している[2]。
トーキー以降も脚本を執筆し、1940年(昭和15年)に斎藤寅次郎監督の『ハモニカ小僧』の脚本を執筆した後は、事実上の引退となった[2]。
1946年(昭和21年)、病気により死去する[3]。満44-45歳没(享年46)。
フィルモグラフィ
編集特筆以外はすべて脚本である[2]。
- 日活大将軍撮影所第二部
- 『冷火』 : 監督細山喜代松、1924年
- 『宝石とパン』 : 監督楠山律 / 若山治、1924年 - 原作
- 『雪辱の日』 : 監督阿部豊、共同脚本武田晃、1926年 - 原作
- 『海国男児』 : 監督溝口健二、共同脚本武田晃 / 山本嘉次郎、1926年
- 『珍発明俄成金』 : 監督楠山律、1926年 - 原作
- 松竹蒲田撮影所
- 『昭和時代』 : 監督牛原虚彦、共同原作・脚本・主演鈴木伝明、1927年 - 原作・脚本
- 『海浜の女王』 : 監督牛原虚彦、主演鈴木伝明、1927年
- 『悲恋剣闘』 : 監督斎藤寅次郎、1927年 - 翻案・脚本
- 『活動狂』 : 監督斎藤寅次郎、1928年 - 原作・脚本
- 日活太秦撮影所
- 『名のらぬの父』 : 監督木藤茂、1928年
- 『娑婆の風』 : 監督内田吐夢、1929年
- 『波浮の港』 : 監督木藤茂、原作川口松太郎、共同脚本如月敏、1929年
- 『生ける人形』 : 監督内田吐夢、原作片岡鉄兵、1929年
- 『まごころ』 : 監督東坊城恭長、脚本畑本秋一、1929年 - 原作
- 『大洋児出船の港』 : 監督内田吐夢、1929年 - 原作・脚本
- 『都会交響楽』 : 監督溝口健二、1929年
- 『汗』 : 監督内田吐夢、1929年 - 原作・脚本
- 『至誠の輝き』 : 監督徳永フランク、1930年
- 『藤原義江のふるさと』 : 監督溝口健二、原作森岩雄、脚色如月敏、1930年 - 演出台本
- 『天国其日帰り』 : 監督内田吐夢、1930年 - 原作・脚本
- 『手術綺談』 : 監督木村次郎、1930年
- 『新東京行進曲』 : 監督長倉祐孝、1930年 - 原作・脚本
- 『娘尖端エロ感時代 第一篇 私の命は指先よ』 : 監督木村次郎、共同原作・脚本高柳春雄、1930年 - 原作・脚本
- 『ジャンバルジャン 前後篇』 : 監督内田吐夢、原作ヴィクトル・ユーゴー、1931年
- 『ミスター・ニッポン 前後篇』 : 監督村田実、原作郡司次郎正、1931年
- 『日本嬢』(ミスニッポン) : 監督内田吐夢、原作郡司次郎正、1931年
- 『三面記事』 : 監督内田吐夢、1931年 - 原作・脚本
- 『仇討選手』 : 監督内田吐夢、1931年 - 原作・脚本
- 『笑っちゃイヤヨ』 : 監督長倉祐孝、1932年 - 原作・脚本
- 『爆弾三勇士』 : 監督木藤茂、1932年 - 原作・脚本
- 『血染の鉄筆』 : 監督三枝源次郎、1932年
- 『時の氏神』 : 監督溝口健二、原作菊池寛、1932年
- 『木曽路の鴉』 : 監督清瀬英次郎、原作子母沢寛、1932年
- 『海に散る花』 : 監督三枝源次郎、1932年 - 原作・脚本
- 『愛は何処までも』 : 監督内田吐夢、原作寺尾幸夫、1932年
- 『受難華』 : 監督山本嘉次郎、原作菊池寛、1932年
- 『恋すればこそ』 : 監督松本房雄、1933年 - 原作・脚本
- 『蒼穹の門』 : 監督山本嘉次郎、応援監督マキノ正博、原作牧逸馬、共同脚本毛利三郎、1933年
- 『真珠夫人』 : 監督畑本秋一、原作菊池寛、1933年
- 『恋知る頃』 : 監督倉田文人、1933年 - 原作・脚本
- フリーランス
- 『お江戸紳士録』 : 監督物部晋(稲葉蛟児)、市川右太衛門プロダクション、1934年
- 『三色旗ビルディング』 : 監督木村荘十二、原作サトウ・ハチロウ、共同脚本永見柳二、P.C.L.映画製作所、1935年
- 『男のまごヽろ』 : 監督渡辺邦男、原作玉川映二、日活多摩川撮影所、1935年
- 『無鉄砲選手』 : 監督根岸東一郎、マキノトーキー、1935年 - 原作・脚本
- 松竹下加茂撮影所
- 『ひやめしお旦那』 : 監督近藤勝彦、1936年
- 『三ン下お旦那』 : 監督近藤勝彦、1936年 - 原作・脚本
- 『屑屋徳三郎』 : 監督近藤勝彦、1936年 - 原作・脚本
- 『文七元結』 : 監督井上金太郎、原作三遊亭圓朝、松竹太秦撮影所、1936年
- 『お化け花嫁』 : 監督古野英治、1936年 - 原作・脚本
- 『大当り八百屋先生』 : 監督中村敏郎、1936年 - 原作・脚本
- 『殿さまやくざ』 : 監督古野英治、1936年 - 原作・脚本
- 『お旦那変化』 : 監督近藤勝彦、1936年
- 『殺人千石船』 : 監督近藤勝彦、1936年
- 『二代目弥次喜多』 : 監督大曾根辰夫、共同原作・脚本藤井滋司、1937年 - 原作・脚本
- 『長者息子』 : 監督中村敏郎、1937年 - 原作・脚本
- 『新婚お伊勢詣り』 : 監督近藤勝彦、1937年 - 原作・脚本
- 『剣術繁昌記』 : 監督秋山耕作、共同脚本秋篠珊次郎、1937年
- 『実録小笠原騒動』 : 監督井上金太郎、共同原作・脚本秋篠珊次郎 / 藤井滋司、1937年 - 原作・脚本
- 『百噺丑満刻』 : 監督冬島泰三 / 大曾根辰夫 / 古野英治 / 岩田英二、1937年 - 原作・脚本
- 『鈴ヶ森』 : 監督井上金太郎、1937年 - 原作・脚本
- 『髭の五郎太』 : 監督近藤勝彦、1937年
- 『幽霊花聟』 : 監督中村敏郎、1937年
- 『幕府歩兵隊』 : 監督近藤勝彦、原作行友李風、1937年
- 『日本一の殿様』 : 監督・脚本萩原遼、東宝映画京都撮影所、1937年 - 原作
- 『突貫弥次喜多』 : 監督古野栄作、1938年
- 東宝映画京都撮影所
- 『日本一の岡っ引』 : 監督中川信夫、1938年
- 『花婿組合』 : 監督土肥正幹、1938年
- 『絵本五十三次』 : 監督下村健二、1938年
- 『水戸黄門漫遊記 日本晴れの巻』 : 監督斎藤寅次郎、共同脚本小国英雄、1938年
- 東宝映画東京撮影所
註
編集外部リンク
編集- Masashi Kobayashi - IMDb
- 小林正 - 日本映画データベース
- 小林正 - KINENOTE
- 小林正 - allcinema