小松剛
小松 剛(こまつ たけし、1986年9月26日 - )は、高知県室戸市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 高知県室戸市 |
生年月日 | 1986年9月26日(38歳) |
身長 体重 |
179 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2008年 ドラフト3位 |
初出場 | NPB / 2009年4月19日 |
最終出場 | NPB / 2010年5月1日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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派遣歴 | |
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この表について
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来歴
編集プロ入り前
編集1986年に高知県高知市で生まれる。小学3年生の時に室戸市へ転居すると、室戸市で知り合った友人や友人の保護者の影響で野球を始める[1]。小学5年生から投手を始め、室戸市立佐喜浜中学校を経て高知県立室戸高等学校に進学、3年生でエース・主将を務めた。
高校卒業後は法政大学へ進学し、2年春にリーグ戦デビューするといきなり3勝を挙げ、優勝決定戦でも完投して胴上げ投手となった。その後もチームの主戦投手の一角を任せられるが勝ち星が伸び悩み、4年生秋季では背筋痛で出遅れるが、対早稲田大学1回戦で斎藤佑樹に完投勝利するなど、復調した。リーグ通算42試合登板で11勝16敗・防御率2.82、195奪三振。
2008年のドラフト会議において、広島東洋カープから3位指名を受け、入団。同年11月17日に契約金8000万円・年俸1200万円(金額は推定)で仮契約した。背番号は41。
プロ入り後
編集2009年4月19日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で3番手としてプロ初登板を果たすと、2回を投げて1失点に抑えた。同年5月17日の対読売ジャイアンツ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)でプロ初先発、7回をソロ本塁打による1失点に抑えるも打線の援護がなく勝ち星がつかなかった。次の登板となった同年5月24日の対埼玉西武ライオンズ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では5回5失点と乱調も、打線の援護によってプロ初勝利を果たした。シーズン前半は主に先発として起用されたが、後半戦は篠田純平・コルビー・ルイス・前田健太の活躍によって出番が減り、中継ぎとして起用される。中継ぎでも不安定な投球が続いたが5勝を挙げるなど、シーズン通して一軍に帯同した。同年12月9日に、大学時代の1学年先輩の女性と入籍。
2010年4月4日の対読売ジャイアンツ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で先発するが、長野久義にプロ第1号本塁打を場外まで運ばれるなど調子を落とし、同年は一軍定着すら果たせないまま、5試合の登板に終わった。
2011年から2012年までは一軍登板がなく、同年10月3日に球団から戦力外通告を受けたが、育成選手としての再契約を打診され[2]、同年11月13日に育成選手として再契約したことが発表された[3]。背番号は141となる。
2013年は四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスに派遣され[4]、先発の柱として、チーム2位の9勝をマーク。徳島の後期優勝に大きく貢献した。しかし、10月29日に戦力外通告を受け[5]、10月31日、自由契約公示された[6]。
引退後
編集現役引退後の2014年からカープ球団広報に転身した。2018年シーズンからは2軍マネージャー兼広報に就任。その後、アスリートのキャリア支援について興味を持つようになり、家族の反対を押し切って2021年シーズンをもって退団[7]。2022年1月からは、人材紹介会社「パーソルキャリア」に転職[8]。
選手としての特徴
編集この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
この節の加筆が望まれています。 |
最速149km/hの速球とスライダー、さらに落差の大きいフォークボールを主な持ち球としている。他にも縦に割れるカーブやカットボール、シュートも投げる本格派速球投手である。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2009 | 広島 | 25 | 7 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | 0 | .625 | 271 | 60.0 | 75 | 9 | 19 | 2 | 4 | 41 | 3 | 0 | 37 | 35 | 5.25 | 1.57 |
2010 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 110 | 22.2 | 36 | 5 | 8 | 0 | 1 | 19 | 1 | 0 | 21 | 20 | 7.94 | 1.95 | |
通算:2年 | 30 | 12 | 0 | 0 | 0 | 6 | 6 | 0 | 0 | .500 | 381 | 82.2 | 111 | 14 | 27 | 2 | 5 | 60 | 4 | 0 | 58 | 55 | 5.99 | 1.67 |
記録
編集- NPB投手記録
- 初登板:2009年4月19日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、7回裏に3番手で救援登板・完了、2回1失点
- 初奪三振:同上、7回裏に野口祥順から空振り三振
- 初先発登板:2009年5月17日、対読売ジャイアンツ9回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回1失点
- 初勝利・初先発勝利:2009年5月24日、対埼玉西武ライオンズ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、5回5失点
- NPB打撃記録
- 初打席・初安打:2009年5月17日、対読売ジャイアンツ9回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回裏に東野峻から中前安打
独立リーグでの投手成績
編集年 度 |
球 団 |
防 御 率 |
登 板 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
投 球 回 |
打 者 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
奪 三 振 |
与 四 球 |
与 死 球 |
失 点 |
自 責 点 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 徳島 | 2.62 | 18 | 9 | 2 | 0 | 2 | 1 | 1 | 116.2 | 491 | 105 | 4 | 81 | 39 | 3 | 46 | 34 | 5 | 1 |
通算:1年 | 2.62 | 18 | 9 | 2 | 0 | 2 | 1 | 1 | 116.2 | 491 | 105 | 4 | 81 | 39 | 3 | 46 | 34 | 5 | 1 |
背番号
編集- 41 (2009年 - 2012年)
- 141 (2013年)
- 34 (2013年) ※徳島インディゴソックスでの背番号
脚注
編集- ^ “「アスリートのキャリアの希望になりたい」 戦力外通告が照らした、新しい道 - 小松 剛 |ONGROUND”. ONGROUND(オングラウンド)│スポーツと、はたらく。. 2024年10月26日閲覧。
- ^ “【広島】末永、小松、永川弟らを戦力外”. 日刊スポーツ. (2012年10月3日) 2012年10月6日閲覧。
- ^ “【広島】戦力外小松が育成で再契約”. 日刊スポーツ. (2012年11月13日) 2012年11月15日閲覧。
- ^ 広島東洋カープより育成選手派遣のお知らせ 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2013年3月22日)
- ^ 来季の選手契約について 広島東洋カープ公式サイト(2013年10月29日配信)2013年11月3日閲覧。
- ^ 2013年度 自由契約選手(育成選手) 日本野球機構オフィシャルサイト 2013年11月3日閲覧。
- ^ “「アスリートのキャリアの希望になりたい」 戦力外通告が照らした、新しい道 - 小松 剛 |ONGROUND”. ONGROUND(オングラウンド)│スポーツと、はたらく。. 2024年10月26日閲覧。
- ^ “赤ヘル戦士第2の人生(2) 元広島・小松剛さんが取り組むキャリア形成サポート「価値に気付いてほしい」 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年10月15日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- こまブロ!(小松による広報ブログ)
- 個人年度別成績 小松剛 - NPB.jp 日本野球機構