小巻敏雄(こまき としお、1920年3月21日[1] - 1990年6月16日)は日本教育者政治家。元参議院議員日本共産党公認)。

来歴

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京都府生まれ[2]早稲田大学文学部卒業[3]後、京都府宮津市立宮津中学校大阪府立生野高等学校で教師を務めた[4]。生野高等学校時代に、大阪府高教組の委員長に就任[3]1974年第10回参議院議員通常選挙全国区から出馬し初当選を果たす。当選1回。党内では文教委員などを歴任した。

1990年6月16日、心筋梗塞のため奈良県奈良市県立奈良病院で死去。70歳[2]

著書

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脚注

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  1. ^ 『現代物故者事典 1988~1990』(日外アソシエーツ、1993年)p.270
  2. ^ a b 1990年6月18日朝日新聞 夕刊 15面
  3. ^ a b 1974年7月9日朝日新聞 6面 「新しい参議院議員」
  4. ^ 小巻敏雄『出身県別 現代人物事典 西日本版』p386 サン・データ・システム 1980年

関連項目

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