宮原 旭(みやはら あさひ、1904年明治37年)5月24日[1] - 1983年昭和58年)12月10日[1][2])は、昭和期の航空機技術者政治家華族貴族院男爵議員

宮原旭

経歴

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海軍機関総監・宮原二郎の長男として東京府荏原郡大森で生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1918年(大正7年)3月11日、男爵を襲爵した[1][4][5]

1923年(大正12年)3月、学習院高等科を卒業[6]1924年(大正13年)7月3日、イギリスに留学のため離日[7]1925年(大正14年)グラスゴー大学に入学し航空工学を学んだ[7]1930年(昭和5年)3月、グラスゴー大学を卒業[3]。卒業後の一年間、ウエストランド社で実習生として勤務した[7]

1931年(昭和6年)に帰国し、同年7月、三菱航空機名古屋航空機製作所機体設計課に就職し、陸海軍機の設計に従事[7]1939年(昭和14年)3月、同社を退職し日本小型飛行機の取締役兼技師長に就任[2][7]。その後、同会長を務めた[4]。1939年7月10日、貴族院男爵議員に選出され[8][9]公正会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで1期在任した[2][注 1]1942年(昭和17年)6月、内閣技術委員(内閣委員)に就任[2][7]

貴族院議員退任後は収入がなく、土地の賃貸や農業などを行いながら苦しい生活を続けた[7]1949年(昭和24年)8月、相模工業取締役に就任[3][7]。1960年代に軽飛行機開発 (株) を設立してグライダー製造を行ったが、外国製製品が優勢となり1975年(昭和50年)に製造を打ち切った[3]

1962年(昭和37年)に朝日新聞社がコンテスト「純国産軽飛行機の設計募集」を主催した際には、応募規定に定められた本田技術研究所が同時開発中の軽飛行機用空冷倒立V型8気筒エンジン(離昇100 hp)を用いた2人乗り単発機「LA-62“とき号”」の設計案を応募し、第一部一席に入選している[10][11]

1968年(昭和43年)、日本自作航空機協会(現:エクスペリメンタル航空機連盟)を設立して会長に就任し、日本の自作航空機の普及啓発に努めた[3]

1981年(昭和56年)には、同好の士とともに結成したグループ「TOKYO-SKY-NUTS(T.S.N)」でエンテ型超軽量動力機「スパローホーク」を設計し、アメリカ滑空協会英語版が主催する設計コンテストに応募。1983年(昭和58年)にEAA エアベンチャー・オシュコシュと連動する形で開催された「ARV '83デザインコンテスト」への応募作である「スズメ」とともに、実機の試作にまで進んでいるが[12]、これらの初飛行前に宮原は死去している[13]

設計に関わった機種

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※『男爵の愛した翼たち 上』4 - 5頁より。『男爵の愛した翼たち 下』204頁で訂正あり。

軍用機
グライダー
  • 陸軍用兵員輸送滑空機K-11「ク11」型
  • 海軍用無制限曲技機K-12「」型
  • 海軍用「若草」一一型(MXJ-1)
  • 油輸送用グライターK-17「ク17」型(計画)
グライダー(1945年以前)
第3種プライマリー
第3種セコンダリー
第2種ソアラー
  • 日本式「鳳」型
  • 日本式「鳳」二型
  • 日本式「蝶」型
  • 日本式「蜻蛉」型
第1種ソアラー
  • 日本式「鷲」型
特殊滑空機等
グライダー(1952年以降)
  • 三田式1型ソアラー
  • 三田式2型ソアラー
  • 三田式3型、改1型ソアラー
  • 軽飛行機式SS-1型ソアラー
  • 軽飛行機式LSS-01型ソアラー
  • 軽飛行機式SS-2型ソアラー
  • 相模式S-3型ソアラー

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『男爵の愛した翼たち 上』5頁では1945年8月に退任とあるが誤り。

出典

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  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成 下巻』704頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』86頁。
  3. ^ a b c d e 『男爵の愛した翼たち 上』4-5頁。
  4. ^ a b c 『人事興信録 第14版 下』ミ100頁。
  5. ^ 『官報』第1680号、大正7年3月12日。
  6. ^ 『男爵の愛した翼たち 上』5頁。上巻では1925年であるが下巻204頁で1923年に訂正。
  7. ^ a b c d e f g h 『男爵の愛した翼たち 下』4頁。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、49頁。
  9. ^ 『官報』第3758号、昭和14年7月17日。
  10. ^ 『純国産軽飛行機の設計募集について』朝日新聞社、1962年、1,6,8頁。 
  11. ^ 航空遺産継承基金 令和3年3月活動記録”. 日本航空協会 (2021年3月). 2024年5月26日閲覧。
  12. ^ 宮原旭「ARV '83デザインコンテストについて」『JABAL NEWS VOL.2』、日本自作航空機連盟、1983年、1 - 3頁、2024年6月6日閲覧 
  13. ^ 平田実鳥のように……宮原旭氏・空の道程。」『JABAL NEWS VOL.5』、日本自作航空機連盟、1984年、5頁、2024年9月5日閲覧 

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
  • 文化財研究所東京文化財研究所監修『男爵の愛した翼たち : 航空遺産継承アーカイブス : a photographic memoir 上(civil aircraft 1920-1945)』日本航空協会航空遺産継承基金、2006年。
  • 文化財研究所東京文化財研究所監修『男爵の愛した翼たち : 航空遺産継承アーカイブス : a photographic memoir 下(military and civil aircraft 1910-1970) 』日本航空協会航空遺産継承基金、2008年。


日本の爵位
先代
宮原二郎
男爵
宮原(二郎)家第2代
1918年 - 1947年
次代
華族制度廃止