子華子(しかし、紀元前4世紀中ごろ[1])は、中国戦国時代中期の諸子百家の一人[1]。書物として『子華子』が現存するが、北宋末ごろの偽書とされる[2]道家[3]儒家[4]雑家[5]のいずれかに属する。

人物

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生涯は不明である。『呂氏春秋』に「子華子曰」という引用や登場箇所が6つある[6]。『荘子』にも登場し「子華」とも呼ばれる[6]。『列子』には「華子」という人物が登場するが別人とされる[7][8]

『子華子』によれば、子華子は程本(姓は程、名は本、字は子華)という人だった[6]。一方、『荘子司馬彪注や成玄英疏によれば人だった[7]

活動時期は、『子華子』では春秋末期の趙簡子晏子孔子らと同時期だが、『呂氏春秋』『荘子』では戦国中期の昭釐侯恵王らと同時期であり、後者が正しいとされる[9]。近い時期の諸子に孟子がいる[10]

『子華子』

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現行本は2巻10篇からなる[11]劉向に帰される序文が付いている[6]。上記『呂氏春秋』『荘子』や『孔子家語』致思篇と一部重複する[6][8]

目録学においては、『漢書芸文志から『新唐書』芸文志まで著録されておらず、『郡斎読書志』や『宋史』芸文志に著録されている[11]。ただし、『呂氏春秋』の「子華子曰」が書物の引用だったならば、現行本(今本子華子)とは別に「古本子華子」が先秦に存在した可能性がある[2]

偽書説は古くからあり、『郡斎読書志』[12][13]直斎書録解題[12]四庫提要[12]のほか、朱熹[13]胡渭[13]宋濂[14]姚際恒など[12]が偽書としている。末以降は兪樾銭穆らの考証がある[9][1]

和刻本もある[11]

思想

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『呂氏春秋』貴生篇などで、個人主義的・欲望肯定的な養生思想である「全生[15][16]・貴生[17]」の思想を説いている。これは楊朱の「為我」に近いため、子華子は楊朱の後学とされる[15][18][17]魏牟詹何の先学ともされる[19]。そのほか、法家韓非子に近い君主論、「名実」「辱」に関する思想を説いている[17]

『子華子』は、以上を含みつつ、道家儒家術数が混ざった雑家的内容である[20]河図洛書に関する記述もあり偽書説の一因となっている[13]

脚注

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  1. ^ a b c 池田知久『荘子 全訳注 下』講談社〈講談社学術文庫〉、2014年。ISBN 978-4062922388 (譲王篇第六章の訳者注釈)
  2. ^ a b 工藤 1962, p. 149.
  3. ^ 小林 1981, p. 531;537.
  4. ^ 宋史芸文志
  5. ^ 郡斎読書志』『直斎書録解題』『四庫提要
  6. ^ a b c d e 工藤 1962, p. 143f.
  7. ^ a b 工藤 1962, p. 145.
  8. ^ a b 小林 1981, p. 546.
  9. ^ a b 工藤 1962, p. 145f.
  10. ^ 小林 1981, p. 535.
  11. ^ a b c 工藤 1962, p. 147.
  12. ^ a b c d 工藤 1962, p. 148.
  13. ^ a b c d 三浦國雄『風水 中国人のトポス』平凡社〈平凡社ライブラリー〉、1995年(原著1988年)、319f頁。ISBN 9784582761054 
  14. ^ 小林 1981, p. 543.
  15. ^ a b 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)、金谷治楊朱』 - コトバンク
  16. ^ 小林 1981, p. 536.
  17. ^ a b c 工藤 1962, p. 153ff.
  18. ^ 小林 1981, p. 533.
  19. ^ 小林 1981, p. 533f;539.
  20. ^ 小林 1981, p. 548.

参考文献

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外部リンク

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