奈良美也子
日本の女優
奈良 美也子(なら みやこ、本名:和田 鐵子〈わだ てつこ〉[1]、1907年(明治40年)1月1日[2][3] - 2000年(平成12年)12月13日)は、宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)元花組主演男役クラス・元花組組長の人物である。石川県金沢市出身[4]。愛称はワァさん[5]、わーちゃん[3]。
なら みやこ 奈良 美也子 | |
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本名 | 和田鐵子 |
生年月日 | 1907年1月1日 |
没年月日 | 2000年12月13日(93歳没) |
出生地 | 日本石川県金沢市 |
死没地 | 日本埼玉県上福岡市 |
国籍 | 日本 |
民族 | 日本人 |
職業 | 女優 |
ジャンル | 宝塚歌劇 |
活動期間 | 1919年 - 1939年 |
活動内容 |
1919年:宝塚歌劇団入団 1939年:同劇団退団。その後、花柳禄也として歌劇団生徒を指導。日本舞踊家として活動する。 2000年:脳梗塞のため逝去。 |
著名な家族 | 養母:花柳禄寿 |
主な作品 | |
宝塚歌劇 『モン・パリ』 『パリ・ゼット』 |
古の 奈良の都の 八重櫻 今日九重に 匂ひぬるかな(いにしへの ならのみやこの やへざくら けふここのへに にほひぬるかな)
から名付けられた。
宝塚少女歌劇団退団後は師匠である花柳禄寿の養女になり、花柳禄也として歌劇団生徒を指導[6]し、また、日本舞踊家としても活動した。
略歴
編集1919年、天王寺第一尋常小学校(現・大阪市立天王寺小学校)卒業後に[7]、宝塚歌劇団9期生として、宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)に入学して、宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)に入団。当時は学校と劇団が分離しておらず「入学=入団」であった。
1931年、花組組長就任。
1936年、花組組長退任。
2014年、宝塚歌劇団創立100周年記念で設立された『宝塚歌劇の殿堂』の最初の100人のひとりとして殿堂入り[8][9]。
宝塚少女歌劇団時代の主な出演
編集- 『毒の花園』(1920年3月20日 - 5月20日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『結婚嫌ひ』『犬の停車場』(1921年7月20日 - 8月31日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『魔法の人形』(花組)(1922年2月1日 - 2月25日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『僧房を焼いて』(花組)(1922年5月1日 - 5月31日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『竈姫』(花組)(1922年11月1日 - 12月1日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『すくなびこな』『アミナの死』(花組)(1923年4月11日 - 5月10日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『楊貴妃』(花組)(1923年9月25日 - 10月24日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『古栁の嘆き』(花組)(1924年1月1日 - 1月31日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『昔噺帝釋天』『中山寺緣起』『學生通辯』(花組)(1924年5月1日 - 5月21日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『身替音頭』 (月・花組)(1924年7月19日 - 9月2日、宝塚大劇場)
- 『貴妃醉酒』『阿含焔』『現代教育』(花組)(1925年2月1日 - 2月28日、中劇場)
- 『ジャックと豆の木』『陰雨』『かいまみ少將』(花組)(1925年6月1日 - 6月30日、宝塚大劇場)
- 『サンドミンゴの哀話』『白張の局』『結婚媒介業』(花組)(1925年9月1日 - 9月30日、宝塚大劇場)
- 『牛曳婿』(花組)(1926年3月1日 - 3月31日、宝塚大劇場)
- 『三人片輪』『美粧倶楽部』(花組)(1926年5月1日 - 5月31日、宝塚大劇場)
- 『セビラの理髪師』(花組)(1926年9月1日 - 9月30日、宝塚大劇場)
- 『死の舞踏』『これは不思議』『小萩塚物語』(花組)(1926年12月1日 - 12月19日、中劇場)
- 『篁詫状文』『慈光』『曽我兄弟』(花組)(1927年3月1 - 3月31日、宝塚大劇場)
- 『モン・パリ』(花組)(1927年9月1日 - 9月30日、宝塚大劇場)
- 『夜討』『丑満時』(花組)(1927年12月1日 - 12月28日、中劇場)
- 『嫁違ひ』『北野緣起』『イタリヤーナ』(花組)(1928年2月1日 - 2月29日、宝塚大劇場)
- 『桐一と本檢校』『春のをどり』(花組)(1928年5月1日 - 5月31日、宝塚大劇場)
- 『祗王祗女』(花組)(1928年8月1日 - 8月31日、宝塚大劇場)
- 『ユーディット』(花組)(1928年11月1日 - 11月30日、宝塚大劇場)
- 『耳無釜』『壽式三番』『紐育行進曲』(花組)(1929年1月1日 - 1月31日、宝塚大劇場)
- 『節約結婚』『繪踏』(花組)(1929年4月1日 - 4月30日、宝塚大劇場)
- 『江差追分・黒髪・寶塚の印象』『加茂詣』(花組)(1929年7月1日 - 7月31日、宝塚大劇場)
- 『光』(雪組)(1929年11月1日 - 11月30日、宝塚大劇場)
- 『勧進帳』『ブロードウェイ』(花組)(1930年1月1日 - 1月31日、宝塚大劇場)
- 『瓜盗人』『リナルドの幽霊』(花組)(1930年4月1日 - 4月30日、宝塚大劇場)
- 『傳家の寶剣』『井筒姫』(花組)(1930年7月1日 - 7月31日、宝塚大劇場)
- 『パリゼット』(花組)(1930年10月1日 - 10月31日、宝塚大劇場)
- 『春日藤縁起』(花組)(1931年6月1日 - 6月30日、宝塚大劇場)
- 『鳥羽僧正』『ローズ・パリ』(花組)(1931年9月1日 - 9月30日、宝塚大劇場)
- 『古波陀乙女』『蕎麦屋高尾』(花組)(1931年12月1日 - 12月28日、中劇場)
- 『航海御用心』『地蔵山伏』『忠臣蔵』(花組)(1932年3月1日 - 3月31日、宝塚大劇場)
- 『七夕船』『パリゼット』(花組)(1932年6月1日 - 6月30日、宝塚大劇場)
- 『鑪秋廣』(花組)(1932年9月1日 - 9月30日、宝塚大劇場)
- 『蝦夷の義経』『巴里ニューヨーク』(花組)(1933年1月1日 - 1月31日、宝塚大劇場)
- 『中麿の妻』『火吹竹参内』(花組)(1933年4月1日 - 4月30日、宝塚大劇場)
- 『金岡』『鐘ヶ淵』(花組)(1933年9月1日 - 9月30日、宝塚大劇場)
- 『安土物語』(花組)(1934年1月1日 - 1月16日、中劇場)
- 『るぱど・きりしたん』『太平洋行進曲』『トウランドット姫』- カラフ 役(花組)(1934年5月1日 - 5月31日、宝塚大劇場)
- 『猫』(花組)(1934年10月1日 - 10月31日、宝塚大劇場)
- 『六條河原』『四人姉妹』(花組)(1934年11月3日 - 11月18日、中劇場)
- 『起居舞』(花組)(1935年3月1日 - 3月31日、中劇場)
- 『夜鶴双紙」『アメリカン・ラプソディ』『身替り聟』『明け行く太平洋』(花組)(1935年5月1日 - 5月31日、宝塚大劇場)
- 『霊泉』『番傘お練り』(花組)(1935年9月1日 - 9月24日、宝塚大劇場)
- 『廣瀬中佐』『天狗舞』(花組)(1936年1月1日 - 1月31日、宝塚大劇場)
- 『雨月物語』『竈姫』(花組)(1936年2月1日 - 2月29日、中劇場)
- 『鷹嶺拾遺』(花組)(1936年5月1日 - 5月31日、宝塚大劇場)
- 『寶塚歌舞伎双紙』(花組)(1936年9月1日 - 9月25日、宝塚大劇場)
- 『南蠻繪皿』『コヴァチ大尉』(花組)(1936年10月8日 - 10月28日、中劇場)
- 『プリマ・ドンナ』『寶塚をどり暦』(花組)(1937年2月1日 - 2月28日、宝塚大劇場)
- 『古波陀乙女』『シャンソン・ド・パリ』『チョコレート中尉』(花組)(1937年3月7日 - 3月21日、中劇場)
- 『南蠻寺記』(花組)(1937年7月10日 - 7月25日、中劇場)
- 『空海』(花組)(1938年4月1日 - 4月30日、宝塚大劇場)
脚注
編集- ^ 『寳塚歌劇少女の生活』河原蓬著、育文館書店、1922年11月25日、P5
- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1933年1月、154号
- ^ a b 『婦人倶楽部』、講談社、1934年11月号
- ^ 『寳塚花束』平井房人著、至寶書院、1937年3月20日、P138
- ^ 『わが青春の宝塚』葦原邦子著、善本社、1979年3月8日、P109
- ^ 橋本雅夫『素晴らしい宝塚歌劇―夢とロマンの85年―』阪急電鉄コミュニケーション事業部、1999年9月10日、176頁。ISBN 4-89485-013-3。
- ^ 『寳塚花束』平井房人著、至寶書院、1937年3月20日、P141
- ^ 村上久美子 (2014年1月11日). “宝塚が八千草薫ら殿堂100人を発表”. 日刊スポーツ 2022年6月25日閲覧。
- ^ 『宝塚歌劇 華麗なる100年』朝日新聞出版、2014年3月30日、134頁。ISBN 978-4-02-331289-0。