大賀茂 (陸軍軍人)
大賀 茂(おおが しげる、1888年(明治21年)2月6日[1] - 1963年(昭和38年)8月28日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
編集熊本県出身[1][2]。1909年(明治42年)5月、陸軍士官学校(21期)を卒業[1][3]。同年12月、騎兵少尉に任官[3]。1918年(大正7年)11月、陸軍大学校(30期)を卒業した[1][2][4]。
1925年(大正14年)3月、騎兵少佐に進級[5]。1929年(昭和4年)8月、騎兵中佐に昇進し、1931年(昭和6年)3月、陸軍騎兵学校教官に就任[5]。1933年(昭和8年)3月、騎兵第7連隊長に就任[2]。同年8月、騎兵大佐に進み、1934年(昭和9年)8月、騎兵第26連隊長に転じた[2]。1936年(昭和11年)8月、陸軍省兵務局馬政課長に就任[2]。1937年(昭和12年)8月、陸軍少将に進級し騎兵学校幹事となる[1][2]。1938年(昭和13年)3月、騎兵第1旅団長に転じ、1939年(昭和14年)9月、騎兵学校長に就任し、同年10月、陸軍中将に進んだ[1][2]。
1940年(昭和15年)12月、第34師団長に親補され[2]日中戦争に出征[1]。錦江作戦などに参戦した[1]。1942年(昭和17年)10月に待命となり、同年11月、予備役に編入された[1][2]。
1944年(昭和19年)2月に召集され留守第2師団長に就任[1][2]。同年4月、新編の第72師団長に就任し仙台に駐屯[1][2]。同年7月、留守第2師団に再任され終戦を迎えた[1][2]。
栄典
編集- 位階
- 勲章
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本陸軍将官辞典』140-141頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』264頁。
- ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』259、264頁。
- ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、567頁。
- ^ a b 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和7年9月1日』690頁。
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」122頁。
- ^ 『官報』第3208号「叙任及辞令」1937年9月10日。
- ^ 『官報』第3682号「叙任及辞令」1939年4月17日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
編集- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 陸軍省編『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和7年9月1日』陸軍省、1932年。