大角(はらのふえ/はら/だいかく)は、軍事用の吹奏楽器。

概要

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水牛・牛角などの内部をえぐって空洞にし、先端を切って吹き口とした角笛であり、『和名類聚抄』では「大角」を「波良乃布江」と読むとしている。「大角」の表記は獣角に形状が似ていたためであり、「はら」の読みは、唐代に宮門の警衛を職掌とした武官の持つ大角を「簸邏廻」(はらかい)と呼んだためである。「簸邏廻」は魏以来の北方の楽器を指す[1]

初出は、『日本書紀』の天武天皇14年(685年)11月の

「大角(はら)小角(くだ)(つづみ)・吹(ふえ)・幡旗(はた)、及び弩(おほゆみ)、抛(いしはじき)の類は、私(わたくし)の家(やけ)に置くべからず。咸(ことごとく)に群家(こほりのみやけ)に収(をさ)めよ」

という天皇の詔である[2]

律令体制では、鼓吹司に吹部が34人が置かれて調習されており[3][4]、『令義解』に伝わる養老令の「軍防令」の規定によると、軍団にはそれぞれ鼓2面、大角2口、少角2口を置き、分番して兵士に教習させた、とある[5]

貞観儀式』巻九は、「三月一日於鼓吹司試生等儀」を伝えているが、平安時代末より武士の台頭とともに角笛は洞貝(ほらがい)に代わり、大角は大貝になり、あるいは竹製の竹洞が使用されて、令制の大角・小角は姿を消している。

脚注

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  1. ^ 岩波書店『日本書紀』(五)p214 - p215注14
  2. ^ 『日本書紀』巻第二十九、天武天皇下 14年11月4日条
  3. ^ 「職員令」27条「鼓吹司条」
  4. ^ 『日本後紀』巻第五、桓武天皇 延暦15年12月27日条
  5. ^ 「軍防令」39条「軍団置鼓条」

参考文献

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