大藤村 (山梨県)
日本の山梨県東山梨郡にあった村
大藤村(おおふじむら)は山梨県東山梨郡にあった村。現在の甲州市北西部、中央本線塩山駅の北東一帯にあたる。
おおふじむら 大藤村 | |
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廃止日 | 1954年3月31日 |
廃止理由 |
編入合併 塩山町、松里村、大藤村、神金村 → 塩山町 |
現在の自治体 | 甲州市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(甲信越地方) |
都道府県 | 山梨県 |
郡 | 東山梨郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,832人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 塩山町、神金村、玉宮村 |
大藤村役場 | |
所在地 | 山梨県東山梨郡大藤村 |
座標 | 北緯35度43分09秒 東経138度45分15秒 / 北緯35.71911度 東経138.75417度座標: 北緯35度43分09秒 東経138度45分15秒 / 北緯35.71911度 東経138.75417度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集四方を山に囲まれていて、わずかに平野が有り、生糸と葡萄を産していた。煙草や粟、米を産したこともある。川があるも水利なく、交通の便も非常に悪かった[1]。村の北側は、東の大菩薩嶺に向かって傾斜が有った。南西側には、牛奥村との境となる源次郎岳がある。
歴史
編集名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
編集樋口一葉との関係
編集大藤村の中萩原は樋口一葉の両親の出身地である。まだその地域が中萩原村と呼ばれていた1830年(天保元年)に、父・則義は同村の十郎原で百姓の樋口八左衛門の長男として、4歳下の母・あやめ(滝子)も同村青南で古屋安兵衛の娘として生まれた。
則義の父・八左衛門は1852年(嘉永5年)に水争いの解決のために老中阿部伊勢守(阿部正弘)に駕籠訴訟を起こして投獄されたことがあり、それが理由であやめの両親が則義との結婚に反対したが、すでにあやめが身重であったため、1857年(安政4年)に二人は村をあとにし、江戸で幕府直参の武士に出世していた同郷の真下専之丞(晩菘)を頼って駆け落ちした[2]。一葉は二人の次女として生まれた。慈雲寺には、一葉と真下晩菘の記念碑がある。
脚注
編集参考文献
編集- 角川日本地名大辞典 19 山梨県