大瀬久市
大瀬 久市(おおせ きゅういち、1912年(明治45年)2月24日[1] - 1949年(昭和24年)4月10日[2][3])は、昭和前期の教育者、公吏(地方公務員)、政治家。衆議院議員。
経歴
編集長崎県[2]北松浦郡[3]出身。長崎県師範学校を卒業し、長崎県公立小学校訓導、東京市王子小学校訓導、赤羽小学校訓導を務めた[2][3]。
その後苦学して1939年(昭和14年)東京文理科大学(のち東京教育大学)教育学科を卒業した[2][3]。東京市役所に入り、同書記、東京都属、同主事を歴任した[2][3]。
1947(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に長崎県第2区から民主党公認で出馬して次点で落選[4]。1949(昭和24年)1月の第24回総選挙では無所属で出馬して当選し[3][5]、衆議院議員に1期在任した[2]。議員在任中の同年4月に急逝した[3][6]。
脚注
編集参考文献
編集- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
- 『衆議院追悼演説集』温智会、1983年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。