大沼駅
大沼駅(おおぬまえき)は、北海道亀田郡七飯町字大沼町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅である。駅番号はH68。電報略号はオマ。事務管理コードは▲140108[2]。当駅で七飯駅からの下り列車専用の別線(通称:藤城支線)が本線と合流し、加えて当駅 - 森駅間を海岸沿いに迂回する支線(通称:砂原支線)が分岐する。かつては急行、特急の上り一部列車が停車していたが、現在は普通列車のみ停車する。
大沼駅 | |
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駅舎(2022年9月) | |
おおぬま Ōnuma | |
所在地 | 北海道亀田郡七飯町字大沼町4番地5[JR北 1] |
駅番号 | ○H68 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
電報略号 |
|
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線[1] |
開業年月日 | 1903年(明治36年)6月28日 |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 | ■函館本線(本線) |
キロ程 | 27.0 km(函館起点) |
◄H69 仁山 (5.8 km) (1.0 km) 大沼公園 H67► | |
所属路線 | ■函館本線(砂原支線) |
キロ程 | 0.0 km(大沼起点) |
所属路線 | ■函館本線(藤城支線) |
備考 | 無人駅[JR北 1][JR北 2][新聞 1] |
歴史
編集年表
編集- 1903年(明治36年)
- 1905年(明治38年):大沼だんご販売開始[新聞 2]。
- 1907年(明治40年)7月1日:北海道鉄道国有化により、官設鉄道の駅となる[3]。
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名を函館本線に制定、それに伴い同線の駅となる。
- 1918年(大正7年)2月:駅舎改築[5]。
- 1920年(大正9年)6月15日:軍川駅(いくさがわえき)に改称[6]。同時に大沼公園駅が大沼駅(2代)となる[3][6]。
- 1926年(大正15年)11月:4番線設置[5]。
- 1945年(昭和20年)6月1日:函館本線支線(通称:砂原支線)当駅 - 渡島砂原駅間が開通[3]。
- 1956年(昭和36年)12月15日:仁山信号場(現:仁山駅) - 当駅間を峠下トンネル経由の旧線から新峠下トンネル経由の新線に切り替え[7]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承。
- 1954年(昭和29年)8月8日:昭和天皇、香淳皇后が大沼公園に行幸啓。翌日にかけてお召し列車が発着[8]。
- 1962年(昭和37年)7月25日:次のように変更[7][9][10][11]。
- 仁山信号場 - 当駅間に熊の湯信号場新設。
- 熊の湯信号場 - 当駅間は、一度廃止された峠下トンネルを改修して復活させ、暫定的に複線化。
- 1964年(昭和39年)6月1日:大沼駅に再改称。大沼駅(2代)は先立つ5月1日付けで大沼公園駅に戻っている[3]。
- 1966年(昭和41年)9月30日:函館本線 七飯駅 - 当駅間に下り線専用の別線(通称:藤城支線)開通[11]に伴い、次のように変更[9][7]。
- 熊の湯信号場廃止。
- 旧熊の湯信号場 - 当駅間の旧下り線(新峠下トンネル経由)を藤城支線(下り専用)に転用。
- 旧熊の湯信号場 - 当駅間の旧上り線(峠下トンネル経由)を再び上下列車兼用の単線としての供用に戻す。これにより七飯駅 - 大沼駅間は変則的ながら複線化を達成。
- 1970年(昭和45年):小沼の採氷出荷事業終了[注 1]。
- 1971年(昭和46年)10月26日:貨物扱い廃止[5]。
- 1982年(昭和57年)3月:駅舎改築[5]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物扱い廃止[5]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:急行「ニセコ」が廃止され、優等列車の停車がなくなる。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる。
- 1993年(平成5年):この頃、駅での大沼だんご販売が打ち切られる[新聞 2]。
- 2000年(平成12年)3月11日:快速「アイリス」の下り列車が廃止され、普通列車のみの停車となる。
- 2007年(平成19年)10月1日:駅ナンバリングを実施[JR北 3]。
- 2013年(平成25年)9月19日:当駅構内で帯広貨物発熊谷ターミナル行きの貨物列車「8054列車」(17両編成)が脱線する事故が発生(けが人なし)[JR北 4]。→詳細は「函館本線大沼駅貨物列車脱線事故」を参照
- 2023年(令和5年)
駅名の由来
編集当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ポロ・トー」(大きい沼)の和訳に由来する。大沼のことである[12][13][注 2]。
旧駅名の軍川は、アイヌ語の「イクサップ」(渡し守)に由来する。渡し守が住んでいたとのことで、1858年(安政5年)相馬藩がこの地方を開拓した際に付けられた[12]。
駅構造
編集単式ホーム1面1線(1番のりば)と島式ホーム1面2線(2・3番のりば)、計2面3線のホームを有する地上駅[1]。互いのホームは跨線橋で連絡している[14]。木造駅舎を有する。
1・2番のりばの間に中線があり、貨物列車(砂原支線から函館方面)の待機線として使われていたが、現在は使用停止となっている。3番のりばの横にも待避線があり、こちらは森方面への貨物列車の待避に現在も使用されている。
七飯駅管理(夜間連絡先は五稜郭駅)の無人駅である[JR北 1][JR北 2][新聞 1]。無人化される前は社員配置駅(駅長配置。早朝夜間駅員不在。冬季間当直勤務あり)で、みどりの窓口が設置されていた。また、本線(大沼公園駅・赤井川駅)と砂原支線(鹿部駅・渡島沼尻駅)を管理下に置いていた。
駅舎は構内の東側(旭川方面に向かって右側)に位置し、単式ホーム中央部分に接している。古い木造平屋建て(一部二階建て)の建物である[12]。駅舎内にトイレを有する。
「HOKKAIDO ONUMA」と記載された駅スタンプが設置されている[12]。1993年(平成5年)時点のスタンプには「駒ケ岳」と記載されていた[14]。
のりば
編集番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
1 | ■函館本線 | 本線 | 上り | 函館方面 | 渡島砂原方面からの列車 |
2 | 大沼公園方面からの列車 | ||||
下り | 森・長万部方面 | ||||
砂原支線 | 森・長万部方面 | ||||
3 | 本線 | 上り | 函館方面 | 当駅始発 | |
下り | 森・長万部方面 | ||||
砂原支線 | 森・長万部方面 |
-
改札口(2022年9月)
-
待合室(2022年9月)
-
1番線ホーム(2022年9月)
-
2・3番線ホーム(2022年9月)
-
駅構内と通過線
(2007年6月) -
跨線橋(2022年9月)
利用状況
編集乗車人員の推移は以下の通り。年間の値のみ判明している年度は日数割で算出した参考値を括弧書きで示す。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員(人) | 出典 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1912年(明治44年) | 16,618 | (45.5) | [15] | ||
1947年(昭和22年) | 101,296 | (276.8) | |||
1948年(昭和23年) | 128,334 | (351.6) | |||
1949年(昭和24年) | 144,568 | (396.1) | |||
1950年(昭和25年) | 133,107 | (364.7) | |||
1951年(昭和26年) | 164,599 | (449.7) | |||
1952年(昭和27年) | 234,040 | (641.2) | |||
1953年(昭和28年) | 234,153 | (641.5) | |||
1954年(昭和29年) | 224,874 | (616.1) | |||
1955年(昭和30年) | 243,199 | (664.5) | |||
1956年(昭和31年) | 235,663 | (645.7) | |||
1957年(昭和32年) | 233,965 | (641.0) | |||
1958年(昭和33年) | 234,968 | (643.7) | |||
1959年(昭和34年) | 238,587 | (651.9) | |||
1960年(昭和35年) | 245,676 | (673.1) | |||
1961年(昭和36年) | 196,500 | (538.4) | |||
1962年(昭和37年) | 182,210 | (499.2) | |||
1963年(昭和38年) | 189,450 | (517.6) | |||
1964年(昭和39年) | 198,262 | (543.2) | |||
1965年(昭和40年) | 202,238 | (554.1) | |||
1966年(昭和41年) | 186,808 | (511.8) | |||
1967年(昭和42年) | 178,105 | (486.6) | |||
1968年(昭和43年) | 181,378 | (496.9) | |||
1969年(昭和44年) | 171,972 | (471.2) | |||
1970年(昭和45年) | 165,819 | (454.3) | |||
1971年(昭和46年) | 161,066 | (440.1) | |||
1972年(昭和47年) | 158,920 | (435.4) | |||
1973年(昭和48年) | 154,041 | (422.0) | |||
1974年(昭和49年) | 165,453 | (453.3) | |||
1975年(昭和50年) | 430.0 | [16][注 3] | 以下、『七飯町史 続刊』を出典とする数値はすべて概数。 | ||
1976年(昭和51年) | 440.0 | ||||
1977年(昭和52年) | 400.0 | ||||
1978年(昭和53年) | 390.0 | [17] | |||
1979年(昭和54年) | 380.0 | [16][注 4] | |||
1980年(昭和55年) | 370.0 | ||||
1981年(昭和56年) | 331.0 | 1日乗降客数は331人[18]。 | |||
1982年(昭和57年) | 300.0 | ||||
1983年(昭和58年) | 270.0 | ||||
1984年(昭和59年) | 250.0 | ||||
1985年(昭和60年) | 240.0 | ||||
1986年(昭和61年) | 240.0 | ||||
1987年(昭和62年) | 240.0 | ||||
1988年(昭和63年) | 240.0 | ||||
1989年(平成1年) | 230.0 | ||||
1990年(平成2年) | 200.0 | ||||
1991年(平成3年) | 340.0 | ||||
1992年(平成4年) | 160.0 | 1日乗降客数は390人[14]。 | |||
1993年(平成5年) | 130.0 | ||||
1994年(平成6年) | 130.0 | ||||
1995年(平成7年) | 140.0 | ||||
1996年(平成8年) | 120.0 | ||||
1997年(平成9年) | 110.0 | ||||
1998年(平成10年) | 90.0 | ||||
2017年(平成29年) | 83.8 | [19] | |||
2018年(平成30年) | 90.4 | [20] |
大沼だんご
編集駅が開業してからしばらくの1905年(明治38年)より、「沼の家」が製造する元祖大沼だんごが駅で販売されてきた。だんごは、串を刺さないものをみたらしやこしあんとともに駅弁のような折り詰めに入れたもので、製造当日のみの賞味期限であった。駅での売れ行きが落ちたため、1993年(平成5年)頃に駅での立ち売りは打ち切られ、以降は本店でのみの販売となっていた。その後JR北海道から車内での販売を持ち掛けられ、隣接する大沼公園駅から特急列車に積み込んで、1日30個程度を販売してきた。これも2019年(平成31年)のJR北海道の車内販売全廃に伴い、打ち切りとなり、大沼だんごの鉄道とのかかわりが途切れることになった[新聞 2]。
駅周辺
編集- 国道5号
- 北海道道43号大沼公園鹿部線
- 北海道道338号大沼公園線
- 七飯町役場大沼出張所
- 新函館農業協同組合(JA新はこだて)大沼支店
- 小沼
- 函館バス「大沼駅前」停留所
隣の駅
編集*打消線は廃駅および廃止信号場
脚注
編集注釈
編集- ^ a b 事業は明治36年当線開通とともに開始され、当駅や大沼公園駅に接して氷庫が設けられて貨車積みされた。シーズン中は1日当り100tから200t、10t積み貨車にして10両から20両が出荷され、主に噴火湾沿岸の漁協へ送られたが、遠くは東京や鹿児島県まで運ばれたといわれる。氷柱を一杯に載せた無蓋車の列は、冬の風物詩として知られていた。戦後になって各地に冷凍庫や製氷設備が整い始めたため、徐々に出荷量が減っていった[4]。
- ^ 駅舎の西側に湖が広がっているが、これは大沼ではなく、小沼である。(地名ではなく、湖沼としての)大沼は、当駅の北側にある、小沼よりやや広い湖のことである。
- ^ 降車を含むか記載がないが、他文献の数値から乗車のみと判断。
- ^ 降車を含むか記載がないが、他文献の数値から乗車のみと判断。
- ^ 1943年(昭和18年)9月30日開設、1948年(昭和23年)7月1日廃止
- ^ 1949年8月1日廃止
出典
編集- ^ a b 『週刊 JR全駅・全車両基地』 11号 函館駅・大沼公園駅・倶知安駅ほか72駅、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2012年10月21日、20頁。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、214頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b c d e 今尾恵介 編『日本鉄道旅行地図帳 1号 北海道』新潮社、2008年、26頁。ISBN 978-4-10-790019-7。
- ^ 七飯町史 続刊 2001年6月発行 P.P387-390
- ^ a b c d e 『道南鉄道100年史 遥』 北海道旅客鉄道函館支社 2003年2月発行
- ^ a b 1920年4月29日『官報』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩く』 8巻(1版)、JTB、2001年8月1日、223頁。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、110頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ a b 停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II JTB出版 1998年10月発行。
- ^ 北海道鉄道百年史 下巻、P56 及び巻末年表。
- ^ a b 『函館線の名列車』〈イカロスMOOK 新・名列車列伝シリーズ〉、第4号、イカロス出版、2004年8月20日、23頁。ISBN 978-4-87149-575-2。
- ^ a b c d 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社、2008年8月発行)16ページより。
- ^ 書籍『ミニブックシリーズ 北海道駅名』(発行出版社、発行年月日不明(1980年代))5ページより。
- ^ a b c 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)38ページより。
- ^ 七飯町 編『七飯町史』七飯町、1976年11月2日、880, 888-892頁 。2023年7月29日閲覧。
- ^ a b 『七飯町史 続刊』七飯町、2001年6月、592頁。doi:10.11501/9572278 。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、803頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)25ページより。
- ^ “函館線 函館・長万部間の状況について” (PDF). 函館線(函館・小樽間)について(北海道新幹線並行在来線対策協議会). [第6回ブロック会議(令和元年7月~8月)]. 北海道. pp. 4・5 (2019年8月2日). 2021年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月4日閲覧。
- ^ “函館線 函館・長万部間の状況について” (PDF). 函館線(函館・小樽間)について(北海道新幹線並行在来線対策協議会). [第7回ブロック会議(令和2年8月)]. 北海道. pp. 4・5 (2020年8月25日). 2021年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月4日閲覧。
JR北海道
編集- ^ a b c d e 『駅の無人化について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2023年2月24日。オリジナルの2023年2月24日時点におけるアーカイブ 。2023年2月24日閲覧。
- ^ a b c d “大沼|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|駅・鉄道・観光|JR北海道- Hokkaido Railway Company”. 北海道旅客鉄道. 2023年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月24日閲覧。
- ^ 『駅番号表示(駅ナンバリング)を実施します』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2007年9月12日。オリジナルの2007年9月30日時点におけるアーカイブ 。2014年9月6日閲覧。
- ^ 『函館線 大沼駅構内で発生した列車脱線事故について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2013年9月21日 。2013年10月5日閲覧。
新聞記事
編集- ^ a b c d “JR大沼駅、無人化 3月18日のダイヤ改正で”. 北海道新聞. (2023年2月22日). オリジナルの2023年2月22日時点におけるアーカイブ。 2023年2月22日閲覧。
- ^ a b c “「大沼だんご」車内販売終了へ 明治38年駅売りからの歴史に幕 JR函館線”. 毎日新聞. (2019年2月27日) 2019年2月28日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 大沼|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|鉄道・きっぷ|JR北海道- Hokkaido Railway Company