大河原孝夫
おおかわら たかお 大河原 孝夫 | |||||
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生年月日 | 1949年12月20日(74歳) | ||||
出生地 | 日本 千葉県 | ||||
職業 | 映画監督 | ||||
活動期間 | 1973年 - | ||||
主な作品 | |||||
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経歴
編集1973年、早稲田大学教育学部卒業後[7]、東宝に入社[出典 4][注釈 2]。当時の東宝は撮影所志望の新入社員は採用していなかったため当初はデスクワークを行っていたが、副社長の藤本真澄の口添えを得て三好邦夫とともに撮影所へ出向[4][2]。助監督として、黒澤明、森谷司郎、降旗康男監督らに師事する[出典 5]。
1987年、自らの筆によるシナリオ『超少女REIKO』が第13回城戸賞で準入賞し、1991年、自らメガホンをとり完成させる[出典 6]。当該作品にて本格的に監督デビューし[出典 7]、東宝特撮を中心に活躍する[4]。ゴジラシリーズは4作品を担当[出典 8]。1997年の『誘拐』は映画賞を多数受賞するなど高い評価を受けた[出典 9]。
作風
編集助監督時代の経験から、映画の面白さには脚本の出来が重要であると考え、自身の監督作品でも良い脚本を仕上げることを第一としていた[2]。また、第1稿を最初に読むときが観客と同じ受け止め方ができるとして重視している[8]。また作り手の意図をスタッフに伝達させるためには印刷物としてあった方が良いと考えており、『ゴジラvsモスラ』(1992年)では、脚本を手掛ける大森一樹は決定稿が完成したあとに大河原の方で変更を加えることを望んでいたが、大河原は大森へ意見するかたちを選んだと述懐しており、この体制は次作『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)でも同様であった[13]。
特撮ものについては、SFXによる非日常世界を描くことで、観客に面白そうだと思わせ足を運ばせるための武器であると述べている[11]。東宝特撮作品では、特撮シーンは本編班ではなく特撮監督が率いる特撮班が担当しているが、『ゴジラvsメカゴジラ』でのベビーゴジラのシーン、『ヤマトタケル』でのクマソガミのシーン、『ゴジラvsデストロイア』でのデストロイア幼体のシーンなど、大河原は本編班での特撮シーンの撮影を担当することが多かった[14][15]。
『ゴジラvsデストロイア』に出演した林泰文は、大河原について画コンテに沿った明確な画面づくりを行っており、事前に俳優の動きを細かくプランニングした丁寧な演出であったと証言している[16]。
美男美女趣向の映画には抵抗感を抱いており、村田雄浩のような顔に魅力を感じると述べている[17]。『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)では、村田を主演に起用している[17]。
作品
編集助監督
編集- 1973年 - 『日本沈没』[出典 10][注釈 3]
- 1974年 - 『ノストラダムスの大予言』[2]
- 1975年 - 『青春の門』[8]
- 1976年 - 『大空のサムライ』[2]
- 1977年 - 『青春の門 自立編』[8]
- 1980年 - 『影武者』[出典 11]
- 1981年 - 『連合艦隊』[2]
- 1982年 - 『海峡』[8]
- 1984年 - 『ゴジラ』[出典 12]
- 1987年 - 『「さよなら」の女たち』
- 1989年 - 『あ・うん』[8][2]
監督
編集- 1991年 - 『超少女REIKO』[出典 13]
- 1992年 - 『ゴジラvsモスラ』[出典 14]
- 1993年 - 『ゴジラvsメカゴジラ』[出典 14]
- 1994年 - 『ヤマトタケル』[11][2]
- 1995年 - 『ゴジラvsデストロイア』[出典 15]
- 1997年 - 『誘拐』[2]
- 1999年 - 『ゴジラ2000 ミレニアム』[出典 15]
インタビュー
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e 超常識 2016, p. 156, 「Column ゴジラ映画 監督・特技監督人名録」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v VSデストロイアコンプリーション 2017, pp. 74–77, 「スタッフインタビュー 大河原孝夫」
- ^ a b c d e f g h i 1984コンプリーション 2019, p. 29, 「STAFF MESSAGE 大河原孝夫」
- ^ a b c d e f 平成ゴジラ大全 2003, pp. 173–174, 「破之参 『ゴジラVSモスラ』 監督・大河原孝夫」
- ^ a b c d e 平成ゴジラクロニクル 2009, pp. 230–231, 「第7章 平成ゴジラシリーズを作った男たち 大河原孝夫」
- ^ a b c 野村宏平、冬門稔弐「12月20日」『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、365頁。ISBN 978-4-8003-1074-3。
- ^ “会員名鑑”. 日本映画監督協会. 2021年9月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k ヒットブックスVSモスラ 1992, pp. 86–87, 「監督座談会 ゴジラはスーパースター」
- ^ a b c d ゴジラ大百科 1992, p. 73, 「INTERVIEW2 大河原孝夫」
- ^ a b c d e f ゴジラ来襲 1998, p. 181, 「第5章 東宝・特撮映画主要スタッフ紳士録」
- ^ a b c d e f g ゴジラ大全集 1994, p. 155, 「SPECIAL INTERVIEW SFX性の高い本編演出 大河原孝夫」
- ^ 平成ゴジラ大全 2003, pp. 172–173, 「破之参 『ゴジラVSモスラ』 大森一樹、監督を降板す」
- ^ 平成ゴジラ大全 2003, pp. 175–178, 「破之参 『ゴジラVSモスラ』 バッド - グッドマンもの」
- ^ 平成ゴジラ大全 2003, pp. 299–300, 「急之参 『ゴジラVSデストロイア』 大河原組・本篇特撮への意気込み」
- ^ 平成ゴジラパーフェクション 2012, p. 153, 「ゴジラVSメカゴジラのポイント」
- ^ 平成ゴジラパーフェクション 2012, pp. 98–99, 「キャストインタビュー 林泰文」
- ^ a b 平成ゴジラ大全 2003, pp. 178–181, 「破之参 『ゴジラVSモスラ』 モスラの中に入るのかしら…」
- ^ a b c d e ミレニアム超全集 2000, p. 37, 「ゴジラ2000ミレニアム完全攻略 ゴジラ2000ミレニアムを作った男たち 監督:大河原孝夫」
- ^ ゴジラ・ストア 大河原孝夫監督インタビュー前編
- ^ ゴジラ・ストア 大河原孝夫監督インタビュー後編
出典(リンク)
編集参考文献
編集- 『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 新モスラ編』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一、Gakken〈Gakken MOOK〉、1992年12月10日。
- 『ゴジラvsモスラ』構成・執筆・編集 岩畠寿明、小野浩一郎(エープロダクション)、講談社〈講談社ヒットブックス30〉、1992年12月18日。ISBN 4-06-177730-0。
- 『テレビマガジン特別編集 誕生40周年記念 ゴジラ大全集』構成・執筆:岩畠寿明(エープロダクション)、赤井政尚、講談社、1994年9月1日。ISBN 4-06-178417-X。
- 『日本映画人名事典・監督篇』キネマ旬報社、1997年。ISBN 4873762081。
- 坂井由人、秋田英夫『ゴジラ来襲!! 東宝特撮映画再入門』KKロングセラーズ〈ムックセレクト635〉、1998年7月25日。ISBN 4-8454-0592-X。
- 『ゴジラ2000ミレニアム超全集』構成 草刈健一、渋川金次、小学館〈てれびくんデラックス愛蔵版〉、2000年1月10日。ISBN 978-4-09-101471-9。
- 『平成ゴジラ大全 1984-1995』編著 白石雅彦、スーパーバイザー 富山省吾、双葉社〈双葉社の大全シリーズ〉、2003年1月20日。ISBN 4-575-29505-1。
- 『平成ゴジラ クロニクル』川北紘一 特別監修、キネマ旬報社、2009年11月30日。ISBN 978-4-87376-319-4。
- 『映画の賞辞典』日外アソシエーツ、2009年。ISBN 4816922237。
- 『映画賞受賞作品事典 邦画編』日外アソシエーツ、2011年。ISBN 4816923128。
- 『平成ゴジラパーフェクション』監修:川北紘一、アスキー・メディアワークス〈DENGEKI HOBBY BOOKS〉、2012年2月10日。ISBN 978-4-04-886119-9。
- 『ゴジラの超常識』[協力] 東宝、双葉社、2016年7月24日(原著2014年7月6日)。ISBN 978-4-575-31156-3。
- コンプリーションシリーズ(ホビージャパン)
- 『ゴジラvsデストロイアコンプリーション』ホビージャパン、2017年12月9日。ISBN 978-4-7986-1581-3。
- 『ゴジラ1984コンプリーション』ホビージャパン、2019年1月31日。ISBN 978-4-7986-1853-1。