大佐倉
千葉県佐倉市の大字
大佐倉(おおざくら)は、千葉県佐倉市の大字。郵便番号285-0041[2]。
大佐倉 | |
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北緯35度44分8.4秒 東経140度15分6.5秒 / 北緯35.735667度 東経140.251806度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 佐倉市 |
地区 | 佐倉地区 |
標高 | 9 m |
人口 | |
• 合計 | 532人 |
等時帯 | UTC 9 (日本標準時) |
郵便番号 |
285-0041[2] |
市外局番 | 043[3] |
ナンバープレート | 千葉 |
地理
編集北は大佐倉干拓、北東は酒々井町印旛沼新田、東は酒々井町酒々井、南東は酒々井町本佐倉、南は将門町、南西は千成、西は飯田、北西は飯田干拓に隣接している。
飛地があり、将門町、酒々井町本佐倉、酒々井町上本佐倉に隣接している。
小字
編集- 花輪台(はなわだい)
- 作の下(さくのした)
- 大桜(おおざくら)
- 大御堂(おおみどう)
- 松山(まつやま)
- 松山台(まつやまだい)
- 梨の木(なしのき)
- 剣谷(つるぎだに)
- 駒込(こまごめ)
- 池田(いけだ)
- 根崎(ねさき)
- 池下(いけした)
- 長辺田(ながべた)
- 鳥井戸(とりいど)
- 入子(いりご)
- 浜宿(はまじゅく)
- 松合(まつあい)
- 宮下(みやした)
- 東松合(ひがしまつあい)
- 嶋下(しました)
- 将門新畑(まさかどしんはた)
歴史
編集江戸期は大佐倉村であり、下総国印旛郡のうち。佐倉藩領。村高は『元禄郷帳』528石余、『天保郷帳』『旧高旧領取調帳』ともに537石余。なお『旧高旧領』では八幡神社除地・勝胤寺領がそれぞれ20石ずつ見え、ともに天正19年に賜った朱印地である。村の反別は田36町余・畑21町余。安政4年『領分村高帳』によれば、高120石余が諸役御免となっており、小物成として夫役永1貫105文余・茶園栗代永250文・山銭鐚921文・草銭鐚526文が見える(旧佐野家文書/千葉市史史料編2)。浜宿河岸があり、佐倉城主所替の節御用荷物積場となった。また、同河岸は印旛沼岸交通の要衝で、幕末には水戸天狗党の侵入を防ぐ見張番が置かれた。将門御林は文久年間に一部が武家屋敷地となった。神社は口之宮神社・八幡神社など、寺院は真言宗宝珠院・曹洞宗勝胤寺(印旛郡誌)。なお、佐倉藩主堀田正亮は宝暦2年の惣五郎百回忌にあたり、惣五郎に法名をおくるとともに口之宮神社に合祀し、同社別当宝珠院に対し年々米15俵を下付したという。明治6年千葉県に所属。明治22年内郷村の大字となる[5][6]。
沿革
編集世帯数と人口
編集2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
大佐倉 | 211世帯 | 532人 |
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7][8]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
1~1907 | 佐倉市立佐倉東小学校 | 佐倉市立佐倉中学校 |
1908~1931 | 佐倉市立佐倉東中学校 |
交通
編集鉄道
編集施設
編集- 大佐倉会館
- 宝珠寺
- 住善寺
- 勝胤寺
- 観音堂
- 浅間神社
- 金比羅神社
- 麻賀多神社
- 八幡神社
- 将門口ノ宮神社
脚注
編集- ^ a b “町丁別人口目次”. 佐倉市 (2017年11月1日). 2017年11月22日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月22日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1397頁
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 177頁
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 178頁
- ^ “佐倉市内小学校通学区域”. 佐倉市 (2015年3月24日). 2017年11月22日閲覧。
- ^ “佐倉市内中学校通学区域”. 佐倉市 (2015年3月24日). 2017年11月22日閲覧。