和国守
和 国守(やまと の くにもり)は、奈良時代の貴族。姓は史のち朝臣。贈正一位・和乙継(高野弟嗣)の子とする系図がある。官位は従五位上・大蔵少輔。
時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位上・大蔵少輔 |
主君 | 桓武天皇 |
氏族 | 和史→朝臣 |
父母 | 父:和乙継(高野弟嗣) |
兄弟 | 高野新笠、国守 |
子 | 家麻呂 |
経歴
編集天応元年(781年)4月に桓武天皇の即位に伴って外従五位下に叙せられ、同年10月に造法華寺次官に任官する。園池正を経て、延暦3年(784年)内位の従五位下に叙せられる。またこの間、延暦2年(783年)国守ら一族35人は史姓から朝臣姓に改姓している。
延暦4年(785年)下野介に転じると、延暦6年(787年)三河守と、桓武朝前半の一時は地方官を務める。延暦9年(790年)大蔵少輔として京官に復し、延暦10年(791年)従五位上に至る。
官歴
編集『続日本紀』による。