呂号第十七潜水艦
呂号第十七潜水艦(ろごうだいじゅうしちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂十六型潜水艦(海中3型)の2番艦。竣工時の艦名は第三十四潜水艦。
艦歴 | |
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計画 | 大正6年度計画[1] |
起工 | 1920年9月24日[1] |
進水 | 1921年2月24日[1] |
就役 | 1921年10月20日[1] |
除籍 | 1936年4月1日[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:740トン 常備:771.8トン 水中:996.8トン |
全長 | 70.1m |
全幅 | 6.12m |
吃水 | 3.70m |
機関 | ズルツァー式[2]2号ディーゼル2基 電動機、2軸 水上:2,600馬力 水中:1,200馬力 |
速力 | 水上:16.5kt 水中:8.5kt |
航続距離 | 水上:10ktで6,000海里 水中:4ktで85海里 |
燃料 | 重油:75トン |
乗員 | 46名 |
兵装 | 28口径8cm高角砲1門 45cm魚雷発射管 艦首4門、舷側2門 魚雷10本 |
備考 | 安全潜航深度:45.7m |
艦歴
編集1920年(大正9年)9月24日、呉海軍工廠で起工。1921年(大正10年)2月24日進水。同年10月20日竣工。竣工時の艦名は第三十四潜水艦、二等潜水艦に類別[1]。1924年(大正13年)11月1日、呂号第十七潜水艦に改称[1]。1936年(昭和11年)4月1日に除籍。
歴代艦長
編集※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
艦長
編集- (心得)平岡粂一 大尉:1921年8月1日 - 1922年12月1日
- (心得)秋山勝三 大尉:1922年12月1日 - 1923年11月1日
- (心得)市岡寿 大尉:1923年11月1日 - 12月1日
- 橋本愛次 少佐:不詳 - 1924年12月1日[4]
- 関本織之助 少佐:1924年12月1日[4] - 1925年5月1日[5]
- 板倉得止 大尉:1925年5月1日 - 8月1日
- 加藤与四郎 大尉:1925年8月1日 - 9月16日
- 斎藤栄章 大尉:1925年9月16日 - 1926年3月1日
- 奥島章三郎 大尉:1926年3月1日[6] - 1927年4月1日[7]
- 竹崎馨 大尉:1927年4月1日[7] - 1929年3月28日[8]
- 野口照隆 大尉:1929年3月28日[8] - 1930年12月1日[9]
- 服部邦男 大尉:1930年12月1日[9] - 1931年4月1日[10]
脚注
編集参考文献
編集- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
- 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。