台南市

中華民国の直轄市

台南市(タイナン-し、繁体字中国語: 臺南市/台南市)は、台湾南西部に位置する中華民国直轄市

台南市
別称: 府城、南瀛、南都、鳳凰城
時計回りに上から: 台南市都心部の空撮、八田與一の銅像と墓、台湾高速鉄道台南駅担仔麺赤崁楼元宵節塩水蜂炮
地図
市庁舎位置
地理
座標: 北緯22度59分0秒 東経120度11分0秒 / 北緯22.98333度 東経120.18333度 / 22.98333; 120.18333 (台南市)座標: 北緯22度59分0秒 東経120度11分0秒 / 北緯22.98333度 東経120.18333度 / 22.98333; 120.18333 (台南市)
面積: 2191.6531 km²
各種表記
繁体字: 臺南/台南
日本語読み: たいなん
拼音: Táinán
ウェード式: T'ai²-nan²
注音符号: ㄊㄞˊㄋㄢˊ
片仮名転写: タイナン
台湾語: Tâi-lâm
客家語: Thòi-nàm
行政
台南市旗
台南市章
台南市旗
台南市旗
台南市徽
台南市徽
行政区分: 直轄市
下位行政区画: 37区
台南市長: 黄偉哲
公式サイト: 台南市政府
情報
総人口: 1,851,483[1] 人(2022年5月)
世帯数: 695,986[1] 戸(2022年5月)
郵便番号: 700~745
市外局番: 06
台南市の木: 鳳凰木
台南市の花: 胡蝶蘭
台南市の鳥: レンカク
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概要

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台湾島で最も早くから開けた地区の一つであり、古称は「台湾」、「台湾府」。「台湾」という地名は、もともと台南一帯の一地域を指し、後に台湾島全体を指す地名となった。

オランダ人はここに根拠地ゼーランディア城を置いた。清朝時代初期相当の鄭氏政権下の台湾の首府であり、政治・経済文化の中心地であった。日本統治時代に台湾の中心地は台北に移ったものの、その後もしばらく台北に次ぐ地方都市として発展した。現在は台湾六大直轄市の一つで、合併後の人口は約189万人(2017年3月)。

多くの旧跡が残り、現代的な都市景観と併存している。台南小吃中国語版記事)で知られるグルメの町でもある。また、観光業に伴う結婚写真撮影専門店の数が多いことでも有名である。

かつて製糖業が盛んであったが、1990年代にほぼ操業停止した。製糖の土地は多く工業団地・科学園区(サイエンスパーク)に転換し、TSMCUMCなど世界屈指の半導体製造ファウンドリの生産拠点になる。

台南は台北などに比べて台湾語が日常的に使用されている地域であり、歴史も古いことから、台南方言が台湾語の標準と見做されている。

地理

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曽文渓
 
台江内海中国語版潟湖

地形

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台南市の行政区は北側が広く、南に行くにつれて狭くなる三角形の形状で台南県(一部高雄市)に囲まれている。嘉南平原に位置するため地勢は平坦であり、市全域で海拔10-30mの間、最高でも海拔約40mという丘陵地がほとんど見られない特徴を有している。その域内は台南台地中国語版大湾低地安平平原桜丘砂丘と分類することができる。

台南台地は台南市東部に位置し、孤立した楕円形の台地である。北側には曽文渓、南側には三爺宮渓中国語版と接しており、東側は崖で大湾低地と接しており、西側はなだらかな傾斜で安平平原へと繋がっている。南北約12km、東西約4kmであり、稜線の海抜は25-30m程度であり、台南市最高地点の海抜40m「網寮中国語版」もこの台地にある。

大湾低地は台南台地の東に位置し、大部分は台南県永康市に位置している。西側は地崖により台南台地に接しており、長さ12.5km、幅3kmで大部分は標高10m以下の地勢を成している。古くから集落が形成されていたこの地域では台南台地との境界が開発により曖昧になりつつある。

安平平原は台南市西部の沿海部に位置し、地殻変動により隆起した海岸平原である。平原の標高は海抜2-3mであり、曽文渓三角州の一部を形成している。この地域ではオランダ統治時代台江内海中国語版潟湖であり、外側は砂嘴を形成していた。時代とともに干拓開発が進み、現在では台南市の新中心部となっている。

桜丘砂丘は台南市南部に位置し、台南孔子廟一帯より南に向かって伸び、二仁渓中国語版附近までの約7km、最大幅3kmにわたって存在している砂丘である。

河川

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台南市の主要な河川は曽文渓、二仁渓、塩水渓中国語版および鹿耳門渓がある。このほか、竹渓寺渓、柴頭港渓中国語版などが東より西に流れ、台湾海峡に注いでいる。台南の河川は季節による水量の差が大きく、冬季は石礫が目立つ河川敷であるが、夏季には豊富な水量となっている。

気候

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ケッペンの気候区分では温帯夏雨気候 (Cwa)(熱帯モンスーン気候 - 温暖湿潤気候移行部型)に属する。

臺南 (1971-2000)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 23.0
(73.4)
23.8
(74.8)
26.5
(79.7)
29.4
(84.9)
31.3
(88.3)
32.2
(90)
32.9
(91.2)
32.3
(90.1)
32.2
(90)
30.7
(87.3)
27.7
(81.9)
24.3
(75.7)
28.9
(84)
日平均気温 °C°F 17.4
(63.3)
18.2
(64.8)
21.1
(70)
24.5
(76.1)
27.0
(80.6)
28.4
(83.1)
29.0
(84.2)
28.5
(83.3)
28.0
(82.4)
25.9
(78.6)
22.4
(72.3)
18.8
(65.8)
24.1
(75.4)
平均最低気温 °C°F 13.6
(56.5)
14.5
(58.1)
17.1
(62.8)
20.8
(69.4)
23.8
(74.8)
25.5
(77.9)
26.1
(79)
25.7
(78.3)
24.9
(76.8)
22.4
(72.3)
18.8
(65.8)
15.1
(59.2)
20.7
(69.3)
降水量 mm (inch) 19.9
(0.783)
28.8
(1.134)
35.4
(1.394)
84.9
(3.343)
175.5
(6.909)
370.6
(14.591)
345.9
(13.618)
417.4
(16.433)
138.4
(5.449)
29.6
(1.165)
14.7
(0.579)
11.3
(0.445)
1,672.4
(65.843)
湿度 78.3 78.7 77.4 77.3 78.0 80.1 78.8 81.2 78.6 77.4 77.0 77.5 78.4
平均月間日照時間 182.4 158.7 187.3 188.7 192.0 190.6 221.5 195.7 200.5 197.7 174.9 173.7 2,263.7
出典:中央氣象局 2009-03-16

地域

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行政区画

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台南市人口密度
台南市は以下の37区から構成される
区名 繁体字 人口 (2019年10月[1]) 面積 (km2)
安平区 安平區 67,069 11.0663
安南区 安南區 194,111 107.2016
東区 東區 185,996 14.4281
中西区 中西區 78,415 6.2600
南区 南區 124,744 27.2681
北区 北區 131,549 10.4340
新営区 新營區 77,072 38.5386
永康区 永康區 235,684 40.275
白河区 白河區 27,744 126.4046
佳里区 佳里區 59,033 38.9422
麻豆区 麻豆區 43,987 53.9744
善化区 善化區 49,933 55.309
新化区 新化區 43,279 62.0579
学甲区 學甲區 25,511 53.9919
塩水区 鹽水區 25,266 52.2455
安定区 安定區 30,440 31.2700
北門区 北門區 10,859 44.1003
大内区 大內區 9,416 70.3125
東山区 東山區 20,501 124.91
関廟区 關廟區 34,230 53.6413
官田区 官田區 21,343 70.7953
帰仁区 歸仁區 68,087 55.7913
後壁区 後壁區 23,055 71.2189
将軍区 將軍區 19,420 41.9796
六甲区 六甲區 21,917 64.5471
柳営区 柳營區 21,103 61.2929
龍崎区 龍崎區 3,930 64.0814
南化区 南化區 8,599 171.5198
楠西区 楠西區 9,334 109.6316
七股区 七股區 22,351 110.1492
仁徳区 仁德區 76,030 50.7664
山上区 山上區 7,190 27.8780
下営区 下營區 23,700 33.5291
西港区 西港區 24,553 33.7666
新市区 新市區 37,236 47.8096
玉井区 玉井區 13,820 76.366
左鎮区 左鎮區 4,697 74.9025

歴史

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赤崁楼(プロヴィンティア)
 
台南市にある全台首学(台湾最初の孔子廟
 
二鯤鯓砲台(億載金城)
 
1916年完成した台南州庁舎(現国立台湾文学館)
 
西来庵事件で台南刑務所より法院に押送される逮捕者

台南は1661年顔思斉鄭芝龍らが以笨港を占拠し、台江(現在の七股区)に根拠地を築いた記録があり、早くから漢人の入植が進められていた。

オランダ統治時代

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1624年との貿易を求めるオランダによって台南に根拠地が設けられ、漢人の入植地に侵入するとともに、原住民への教化を行うなどの活動を開始した。1627年日本と交易する諸外国船(特に、スペイン、ポルトガル)から税金を徴収していたオランダを威嚇するために日本から朱印船が派遣され、船長の浜田弥兵衛が台湾行政長官ピーテル・ノイツを人質にとった(タイオワン事件)。オランダ東インド会社は、課税はノイツの独断によるものであったとして日本に出頭させ、謝罪を表した。これ以降、日本との交易の独占を目指すオランダは、島原の乱では幕府を援助し、ポルトガルやスペイン等のカトリック国に対する幕府の不信感を煽り、これが鎖国へとつながった。1636年には新港社(現在の新市)に台湾初の学校を建設した。これにより後世新港文書と呼ばれる、当時の口語をローマ字により転写された文書が作成されたのはこの時代である。

明鄭統治時代

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明の滅亡後、鄭成功が台湾を拠点に反清復明の運動を開始すると、明の行政区分を援用し台南地区に承天府と天興県と万年県を設置した。当時の台南地区は鄭成功の重要な拠点とされ、軍隊による屯田および漢人の入植も台南を中心に行われた。この時代に由来する地名としては新営柳営下営などが現在でも残っている。1665年には承天府寧南坊に台湾初の孔子廟を建設した。鄭成功の死後、息子の鄭経は承天府および東都を廃止し、東寧王国と改号、天興県と万年県を州と改めた。

清朝統治時代

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1684年、台湾を平定した清朝によって、台湾には台湾府および台湾、鳳山、諸羅の3県が設置された。台湾および諸羅が現在の台南県の地域に該当する。当時の台湾の中心は台南であり、そこを基点に南北に開発が進行した。1726年には台湾府知事蔣毓英中国語版が現在の永康区洲仔尾塩場を設置するなど、経済活動も活発に行われていた。1831年には現地の農民である欧陽安により虎頭埤中国語版が現在の新化区に設けられ灌漑が実現している。当初は限られた地域への灌漑に限定されていたが、その後も整備が進み、現在では台湾を代表する農村風景となっている。

商業経済面では1860年に台湾が対外的に開港したことで、葉、砂糖樟脳の輸出が開始される。台南地区は砂糖の主要生産地であり、1890年代には台湾全土の製糖所1,275か所のうち1,057か所を占めるようになっている。

清末に日本の台湾出兵を受け、清朝の側にも海防意識が高まり、台湾での軍事施設の建設が推進される。1888年台湾巡撫劉銘伝により台湾の重要性が強調されるなどした結果、福建台湾省が新設され、その下に台北、台湾、台南の3府が設置された。これが「台南」という地名の初見である。

日清戦争により日本に割譲されることになった台湾では、割譲に反対する清官僚らにより台湾民主国が建国される。その歴史は「第一共和」および「第二共和」の2期に及ぶが、第一共和がわずか10日で崩壊したのち、その後台南で第二共和が成立し、100余日に及ぶ抗争が始まる。

日本統治時代

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1895年9月12日、日本軍が南下し鉄線橋庄(現在の新営市)を占拠した翌日、郭黄泰、陳維邦、郭黄池、柯文祥らは各庄に呼びかけ抗日義勇軍を結成、鉄線橋庄を包囲して日本軍との激戦が2日間継続した。結局死傷者100余名を出して敗北するが、日本軍にも40余名の死傷者を出すなどの被害を与えた(鉄線橋事件)。

1896年、全島を平定した台湾総督府は4月に新官制を発表し、台湾、台北、台南の3県を設置する。当時の台南県中国語版の行政範囲はかなり広く、現在の台南市のみならず、雲林県嘉義県高雄県台東県および花蓮県をも管轄としていた。

日本統治時代には台南でも近代化政策が推進され、1898年には大目降公学校をはじめ近代的教育機関が設置される。さらに翌年には台南慈恵院財団法人として設立し、医療関係の整備も進んだ。交通面では1900年11月に台南と打狗(現在の高雄市)の間に鉄道が開通している。また、経済面では1903年塩水港精糖株式会社が設立され、2年後には近代的な製糖事業が始まり、台湾の経済発展に大きく寄与している。

順調に見えた日本による台湾統治であるが、1915年西来庵事件(台湾側では余清芳事件と称する)と呼ばれる武装抗日事件が発生する。余清芳、羅俊及び江定の3名が武装蜂起したが、日本官憲により摘発されるというものである。

そのような武装蜂起事件もあったが、1916年に台北と高雄を連絡する縦貫道路(現在の台1線)建設、1921年烏山頭ダム建設の着工などが実施され、台湾の交通と農業の発展を柱とする近代化政策が着実に実現していった。

  • 1916年(大正5年)11月3日 - 町制を導入し、31町に統合。
 
日本統治下の台南市章
  • 1920年(大正9年) - 市制施行により台南州下の台南市中国語版(旧字体:臺南市)となり、台湾で最初に市制施行した3市(台北台中中国語版・台南)の中の一つである。
  • 1936年(昭和11年)10月1日 - 同州新豊郡永寧庄大字下鯤鯓が編入。
  • 1940年(昭和15年)10月1日 - 永寧庄が廃庄され、大字鞍子、灣裡が編入。同郡仁徳庄大字虎尾寮が編入。

中華民国時代

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旧台南市章(1978-2014年)

1945年台湾光復に伴って台南州は台南県に改められ、台南市は台南県から分離されて台湾省の省轄市となった。しかし、1947年2月27日に台北市の闇タバコ取締りに起因する民衆蜂起、いわゆる二・二八事件が発生するとこの地方自治体制に深刻な影響を与えることになる。3月2日に台南地区でも大規模な民衆蜂起が発生、県長の袁国欽を初め県政府首脳は阿里山に避難してしまう。そのため、県の政務は軍の出動により事件が鎮圧される3月13日まで停止された。

1950年中国国民党率いる中央政府より地方自治制度の改編が指示され、台南県は台南、嘉義、雲林の3県に分割された。新生台南県は7、24を管轄するようになり、県政府も新営鎮に移された。そして1951年1月28日には台湾省各県市実施地方自治綱要に基づき第1回県議会選挙が行われた。

政治

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行政

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市長

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対外関係

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姉妹都市・提携都市

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国内
アジア
ヨーロッパ
北アメリカ
南アメリカ

経済

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台南サイエンスパーク
 
旧日本勧業銀行台南支店

第一次産業

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農業

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パイナップルサトウキビマンゴーザボンなどの生産が盛んである。

第二次産業

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工業

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かつては伝統的な製造業に依存していたが、1995年に「南部サイエンスパーク」が整備されると、半導体集積回路バイオテクノロジークリーンエネルギーなどのハイテク産業の中心地として発展している。

第三次産業

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商業

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台南市における最大の従業者をサービス業が占めている。都心部に、新光三越2店舗、FE21 2店舗、フォーカススクエアを含む5つのデパートがある。また郊外では、東区北区永康区に大規模な商業地区がある。

教育

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国立成功大学
 
国立台南第一高級中学
 
皇太子裕仁親王台南第一中学校行啓、これが日本人を対象した中学校(現・台南二中
区分 名称
大学 9 国立成功大学
国立台南大学
国立台南芸術大学
国立陽明交通大学
真理大学
台湾首府大学
康寧大学
長栄大学
技学 8 南台科技大学
崑山科技大学
嘉南薬理大学
台南応用科技大学
遠東科技大学
中華医事科技大学
南栄科技大学
中信金融管理学院
専科 2 国立台南護理専科学校
敏惠醫護管理專科學校
高中/高職 33 下部行政区域の項目を参照
国中 - 下部行政区域の項目を参照
国小 - 下部行政区域の項目を参照

交通

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台南空港
 
台南駅
 
台湾高速鉄道の台南駅舍
 
高速道路1号の台南IC
(県道182号線に接続)付近

空路

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空港

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台南空港は、南区にある。

鉄道

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高速鉄道

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(隣接する台鉄沙崙駅と事実上同一の駅)

在来線

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現在南部台湾の交通の要衝である。なお、現在軌道の地下化計画があり、南台南駅および林森駅の通勤用駅を将来設置の予定。
沙崙駅で台湾高速鉄道に接続。沙崙線内完結の列車は平日に1本のみ(沙崙→中洲)で、大半の列車が台南駅(縦貫線)まで直通運転を行う。

捷運

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横貫線・環状線:モノレール方式で計画中である。

かつては台湾糖業が多くの路線を運営していたが(台湾糖業鉄道)、いずれも廃止された。布袋線関廟線などを参照。

バス

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路線バス

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台南市内を走るバスとして、以下のバス事業者がある。

都市間バス

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台北台中嘉義高雄屏東など、台湾各都市へ向かう便が運行されている。以下のバス事業者がある。

道路

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自動車・バイク

台湾の他の各都市と同様に、バイク(スクーター)の利用者が日本に比べて非常に多い。特に市街地では自動車の入れない細い路地も多いこと、駐車場の確保が高コストであることがスクーター人口の多さに拍車をかけている。それだけ排気ガスも多く、マスクの着用者が市街地では目立つ。また、車道沿いのさまざまな店舗(飲食店、衣料品店など)の前の路上には店舗利用者のスクーターが置かれる。

「租車」という看板を上げている店舗が台南駅を中心に多数あり、スクーターあるいは乗用車をレンタルしている。日本からの旅行者でも、日本の運転免許証とその公式翻訳文を提示することで容易に借りることができる。JAFが翻訳文発行業務の委託を受け、代行している。一方、台湾の道路では日本と逆で車両は右側通行であり、また習慣や法規の違いもあるので、実際に安全を確保しながら運行するのは容易ではない。なお、市内のコンビニエンスストアや書店で交通法規や安全運転に関する書籍を販売していることから、市民の意識の高さがうかがえる。

台南駅(在来線、「台南車站」)前、台南空港、主要ホテル近辺などにはタクシーが多数待機しており、観光のオフシーズンなら利用に困ることはない。台湾高鉄の台南駅からは、台湾鉄道(在来線)の沙崙線が台南駅まで接続している。従来の興南客運の運行する台南駅へのシャトル・バスは廃止となった。

航路

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港湾

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観光

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赤崁楼は別名を赤嵌楼、紅毛楼 とも称す

名所・旧跡

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国定古跡

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国定古蹟 以上22件[6]

市定古跡

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  • 東区
    • 台湾府城大東門、東門段残跡、小東門段残跡
    • 台湾府城巽方砲台(巽方靖鎮)
    • 旧台南県知事官邸
    • 旧台南庁長官邸
    • 旧日軍台南衛戍病院(成功大学台湾文学科)
    • 旧台南高等工業学校校舍(国立成功大学
    • 旧台南神学校校舍、礼拝堂(台南神学院)
    • 旧台南長老教会中学校講堂、学長寮(長栄中学)
    • 旧台南長老教会女学校本館、講堂(長栄女中)
    • 旧台南州立第二中学校本館、講堂(台南一中)
    • 旧台南州立農事試験場庁舍、寮
    • 台湾糖業験場所
  • 北区
    • 台南公園
    • 旧日軍步兵第二連隊官舍
    • 重道崇文坊
    • 西華堂
    • 旧総督府專賣局台南支局台南出張所
    • 旧台南中学校講堂(南二中)
    • 大観音亭
    • 台南興濟宮
    • 烏鬼井
    • 旧宝公学校本館(立人国小)
  • 安平区
    • 原総督府專賣局台南支局安平分室
    • 妙壽宮
    • 延平街古井
    • 蚵灰窯及び附属建物
    • 海頭社魏宅
    • 盧経堂厝
    • 旧台南運河安平税関
    • 何旺厝
    • 海山館
    • 旧イギリス商德記洋行
    • 旧ドイツ商東興洋行
    • 安平小砲台
    • 旧安平港導流堤南堤
  • 南区
    • 藩府曾蔡二姬墓
    • 藩府二鄭公子墓
    • 施瓊芳墓
    • 曾振暘墓
    • 水交社寮と文化景観
    • 旧総督府專賣局台南支局塩埕分室
  • 安南区
    • 安順塩田船溜と出張所安順塩分室
  • 永康区
    • 三崁店糖場神社遺跡
  • 新化区
    • 鍾家古厝
  • 仁徳区
    • 保安駅
  • 官田区
    • 旧三筊埤古水道遺跡
  • 麻豆区
    • 総爺糖場
  • 佳里区
    • 金唐殿
    • 震興宮
  • 学甲区
    • 慈濟宮
  • 新営区
    • 原塩水港製糖株式会社オフィス
    • 太子宮
    • 鉄線橋通濟宮
  • 後壁区
    • 菁寮金德興薬舖
    • 黃家古厝
  • 白河区
    • 大仙寺
    • 関子嶺碧雲寺
  • 塩水区
    • 八角樓
    • 月津港聚波亭
  • 善化区
    • 慶安宮

歷史建物

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観光スポット

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台南のスカイライン

2015年以降、観光名所への更なる訴求手段として「府城少女」を市の公式萌えキャラクターとして生み出している[7]

文化・名物

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台南市立野球場

スポーツ

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台南市のプロスポーツのチーム
球団 分類 所属リーグ 本拠地
統一ライオンズ 野球 中華職業棒球大聯盟 台南市立野球場
台南スティール サッカー 台湾社会人甲級サッカーリーグ 台南市立体育場

出身関連著名人

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アン・リー

脚注

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出典

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  1. ^ a b c 中華民國內政部戶政司 (2018年5月1日). “中華民國 內政部戶政司 全球資訊網”. 中華民國內政部戶政司. 2019年11月14日閲覧。
  2. ^ (繁体字中国語)九合一選舉即時開票>六都市長>台南市>黃偉哲2018-1-26,中国時報
  3. ^ 広報なか271号”. 2024年6月11日閲覧。
  4. ^ 臺南市政府 (2024年8月28日). “台南市與日本富良野市締結友誼市 黃偉哲盼實質互動更為熱絡” (中国語). 臺南市政府新聞及國際關係處國際關係科. 2024年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月29日閲覧。
  5. ^ 水戸市役所 (2024年11月22日). “-両市の発展につながる友好交流の促進に向け- 台南市と友好交流都市の締結に調印”. 水戸市役所文化交流課交流係. 2024年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月3日閲覧。
  6. ^ 中華民国政府文化部文化資産局 : 2016年06月現在 文化資產查詢 > 文化資產個案導覽 http://www.boch.gov.tw/boch/frontsite/cultureassets/caseHeritageAction.do?method=doFindAllCaseHeritage&menuId=302&siteId=101
  7. ^ (繁体字中国語)府城少女前進京都動漫節 2018年9月21日 臺灣時報

関連項目

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外部リンク

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