南秀憲
日本のプロ野球選手、司法書士
南 秀憲(みなみ ひでのり、1960年11月25日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市西区 |
生年月日 | 1960年11月25日(64歳) |
身長 体重 |
182 cm 84 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1978年 ドラフト2位 |
初出場 | 1980年10月23日 |
最終出場 | 1988年6月22日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集市岡高在学中から右の本格派投手と期待され、1978年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズ、近鉄バファローズとの競合の末、2位でヤクルトスワローズに入団。
プロ2年目の1980年10月には初登板で先発に起用されるが、敗戦投手となる。翌1981年も8試合に登板するが結果を残せず、その後は出場機会に恵まれなかった。1985年11月金銭トレードにて近鉄バファローズに移籍するが、ここでもあまり活躍の場はなかった。
1988年シーズンオフ、近鉄の打撃投手に内定した後に球団の了承を得て阪神タイガースの入団テストに参加した。近鉄は阪神の獲得を前提に南を自由契約としたが阪神はトラブルに発展することを恐れ南を不採用に。南は選手会に陳情した結果、近鉄と再契約の後に、住友一哉と共に佐藤秀明・福家雅明との2対2の交換トレードという形で阪神に移籍となった。しかし、阪神では一軍出場なく1989年限りで現役を引退。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1980 | ヤクルト | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 13 | 2.0 | 6 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 7 | 31.50 | 4.50 |
1981 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 48 | 10.2 | 9 | 3 | 8 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 8 | 7 | 5.73 | 1.59 | |
1988 | 近鉄 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 15 | 3.2 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 2.45 | 1.36 |
通算:3年 | 11 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 76 | 16.1 | 20 | 4 | 11 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 17 | 15 | 8.27 | 1.90 |
記録
編集背番号
編集- 38(1979年 - 1985年)
- 27(1986年 - 1988年)
- 70(1989年)
脚注
編集- ^ “古豪・市岡出身で最後のプロ野球選手 40歳の挑戦で司法書士と母校コーチの二刀流”. デイリースポーツ (2019年7月23日). 2020年10月9日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 南秀憲 - NPB.jp 日本野球機構
- みなみ司法書士事務所 - ウェイバックマシン(2010年8月30日アーカイブ分)
- 南秀憲 (南秀憲-100086531393293) - Facebook