千里ニュータウン
千里ニュータウン(せんりニュータウン、英: Senri New Town)は、大阪府豊中市・吹田市に跨る千里丘陵を開発し造成されたニュータウンである。開発主体は大阪府企業局で、開発面積は約1,160ha、計画人口は150,000人。
千里ニュータウン Senri New Town | |
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千里中央付近を上空から俯瞰(2005年) | |
国 | 日本 |
都道府県 | 大阪府 |
市町村 |
豊中市 吹田市 |
開発期間 |
1961年7月 - 1970年3月 (開発者:大阪府企業局) |
名の由来 | 千里丘陵の位置に造成 |
面積 | |
• 合計 |
(開発面積) 1,160 ha |
人口 (住民基本台帳)[1] | |
• 合計 |
(2,020年9月・10月) 101,551人 |
日本で最初に造られた大規模ニュータウン[注釈 1] であり、開発開始後の1963年に制定された新住宅市街地開発法(新住法)の初の適用対象となるなど、その後の多摩ニュータウン(東京都)や港北ニュータウン(神奈川県横浜市)をはじめとする各地のニュータウン開発に大きな影響を与えた。
1962年の初入居からすでに60年以上が経過し、住民の高齢化、ニュータウン周辺の都市化、地域商業の衰退と再生、交通網の再整備、住宅団地の建替えとリノベーションといった現象が進行している。
概要
編集大阪市中心部から北へ約12kmの地点に位置している人口約96000人の住宅都市である。豊中市・吹田市に跨る地域にあり、南北約5km、東西約4kmに収まる約1,160haの広さを誇る。豊中市域は新千里東町・新千里西町・新千里南町・新千里北町、吹田市域は佐竹台・高野台・津雲台・竹見台・桃山台・古江台・藤白台・青山台の合計12箇所の住区からなる。佐竹台・高野台・古江台・津雲台・藤白台・青山台・新千里北町・新千里東町・桃山台・竹見台・新千里西町・新千里南町の順に建設された。
後半に建設された住区は住区内を結ぶ歩行者専用道路が設けられた。ニュータウン計画以前から丘陵上に位置する上新田の集落は、「開発反対」派の住民説得に時間がかかり過ぎるとの判断から、同じく丘陵上に位置する大阪市立弘済院(古江台6丁目)と共に計画地域から除外され(大阪万博の開催は決まっており、それより開発が遅れるのを嫌った、という行政側の判断による)、大字も現行町名(1973年実施)に踏襲されている。
各住区ごとに小学校[3]、近隣センター、診療所群などを計画的に配置し、歩車分離を徹底するなど、当時としては斬新な近代的都市を目指した。しかし、モータリゼーションの到来を予測しきれず駐車場が不足し、多くの緑地を駐車場に転用せざるを得なくなったこと、将来の諸施設導入を見越した空地を十分に確保できていなかったため、その後の社会の変化により必要となった諸設備をニュータウン内に設置することが困難、などの問題点もあった。それらの新たに必要となった諸設備は、ニュータウン周辺に確保されていた周辺緑地や、ニュータウン隣接地、ニュータウンに囲まれた上新田地区に多く残されていた竹薮や森を切り開いて、数多く作られることになった。
近隣住区の中心となる地区センター(千里中央・北千里・南千里)には、より大規模な都市施設が配置され、なかでも新千里東町にある千里中央駅周辺には、千里ニュータウン全体の中心として、百貨店、ショッピングセンター、レジャーセンターのほか、地域ガス供給施設、企業の電算センターなどが集積している。
近隣住区には近隣センターが置かれた。しかし、商業環境の変化に伴い、中規模スーパーを主体としていた近隣センターからは客足が遠のいていった。現在では多くの店が退店し、いずれの地域センターもかつての賑わいはない。商業施設は両センターと商業地区となった津雲台7丁目・桃山台駅前および、例外的に店舗の出店が認められている新千里南町の旧大阪中央環状線沿いに限られており、コンビニエンスストアの主出店地であるロードサイドへの出店は津雲台7丁目や旧大阪中央環状線沿いを除き禁止されているためコンビニエンスストアの出店がかなり遅れ、当初は津雲台7丁目や旧大阪中央環状線沿い及びニュータウン周辺部・上新田地区及びニュータウン内の大規模病院内に限られていた。千里中央地区など各鉄道駅周辺に出店されたのも最近であり、近隣センターのコンビニエンスストア立地も数ヶ所に留まっており、退店したところもある。千里で日本万国博覧会が開催される前の1969年から約1年間、豊中市の公団(現UR)新千里東町団地および吹田市の公団千里竹見台団地は、各国からパビリオンに派遣された職員たちの外人村となっていた。
大阪府営住宅には当初、浴室が設置されていなかったため、吹田市竹見台以外の各住区には銭湯が一か所ずつ設置されていたが、1970年代後半から順次増築に伴う浴室設置が進められた結果、1980年代には銭湯の廃業が相次ぎ、天然温泉を掘り当てて生き残っていた太陽温泉(豊中市新千里南町)も、周辺に天然温泉を備えたスーパー銭湯の開業が相次いだことにより、2010年12月に閉鎖されすべて無くなった。
戸建て住宅は一区画百坪前後とゆったりした配置で高級住宅地を形成していたが、バブル経済期には地価高騰により一区画の価格が億単位となり、相続等を契機に元の区画を分割して販売され住環境の密集化が問題となった。また、中高層住宅については容積率に比較的余裕のある設計がされていたこともあり、一部に建て替え工事も行われている。
道路や公園などの社会基盤施設は大阪府が管理していたが、開設20周年目に予定通り豊中市及び吹田市に引き継がれた。緑地が多く、全体としては自然環境に恵まれているが、交通量の多い新御堂筋(国道423号)や大阪府道2号大阪中央環状線の近辺、特にそれらが交差する千里インターチェンジ付近を中心に、地域によっては大気汚染や騒音の影響を強く受けている場所もある。
高度成長期の中核的労働力である比較的年齢層の近い核家族世帯が短期間に集中して入居したため、現在は、初期入居世帯の世帯主の現役引退・高齢化が懸念されている。
一方、各種施設の充実や都心へのアクセスの良さや住宅環境から、現在でも居住地としての人気を保っており、老朽化した集合住宅の建替に伴う高層化に伴う住居数の増加や、社宅地域の建て替えによる民間マンションの分譲により、若年層の新住民が再び増加しつつある。また、UR都市機構(旧日本住宅公団)管理の団地においては、無印良品とコラボレーションしたリノベーション住宅(MUJI×UR)を提供し若年層の入居者が増加するなど、築古団地の魅力の発信に力を入れ、一定の成果を上げている。(千里青山台団地、新千里北町団地など)
歴史
編集- 1958年(昭和33年)5月 大阪府により開発決定。
- 1959年(昭和34年)4月 開発計画が正式に公表。
- 1960年(昭和35年)10月 開発全体のマスタープランまとまる。
- 1961年(昭和36年)7月 南公園予定地にて起工式挙行。
- 1962年(昭和37年)8月 京阪神急行(阪急)千里山線(現:千里線)千里山駅 - 新千里山駅(現:南千里駅)間延長工事開始。
- 1962年(昭和37年)9月 吹田市C住区(のちの佐竹台)にて第一期入居開始[注釈 1]。阪急バス国鉄吹田~佐竹台~阪急千里山間運行開始。
- 1962年(昭和37年)11月 まちびらき式開催。
- 1963年(昭和38年)4月 吹田市高野台・津雲台(各府営住宅)入居開始。
- 1963年(昭和38年)6月 阪急バス高野台に乗り入れ開始。
- 1963年(昭和38年)8月 京阪神急行(阪急)千里山駅 - 新千里山駅(現:南千里駅)間延伸開業。駅下に阪急オアシス(新千里山駅店)が同時に開業。
新千里山駅開業に伴い、阪急バス路線を再編。阪急新千里山~高野台・佐竹台循環、阪急新千里山~国鉄吹田、上新田~阪急新千里山~国鉄吹田の3路線となる。
- 1964年(昭和39年)4月 阪急バス、阪急新千里山~津雲台循環を新設。
- 1964年(昭和39年)5月 吹田市藤白台・古江台(各府営住宅)入居開始。阪急バス、阪急新千里山~藤白台・古江台循環を新設。この時から千里ニュータウン路線にワンマンバスを導入する。
- 1964年(昭和39年)6月 高松宮・同妃、視察。
- 1964年(昭和39年)6月 佐竹台でロケを行なった大映映画「黒の凶器」封切(主演・田宮二郎)。
- 1965年(昭和40年)5月 吹田市青山台(府営住宅)入居開始。
- 1965年(昭和40年)6月 阪急バス、阪急新千里山~青山台循環を新設。
- 1965年(昭和40年)7月 佐竹台・藤白台・新千里山駅でロケを行なった日活映画「青春のお通り」封切(主演・吉永小百合)。
- 1965年(昭和40年)12月 南センター専門店街、開業。
- 1966年(昭和41年)1月 佐藤栄作首相、視察。
- 1966年(昭和41年)4月 昭和天皇・香淳皇后、南地区センターなどを視察[4]。豊中市新千里北町(府営住宅)入居開始。阪急バス、阪急新千里山~新千里北町循環を新設。
- 1966年(昭和41年)5月 南センター専門店街東隣に阪急オアシス(南センター店)が開業。豊中市新千里東町(府営住宅)入居開始。
- 1966年(昭和41年)6月 常陸宮・同妃、視察。
- 1967年(昭和42年)1月 建設途上の千里ニュータウンの様子が、円谷プロ制作のウルトラマン『怪獣殿下』に大阪のとある工事現場として収録されている。
- 1967年(昭和42年)3月 京阪神急行(阪急)新千里山駅 - 北千里駅間延伸開業、新千里山駅を南千里駅と改称。千里山線を千里線と改称。北千里駅に日本で初めての自動改札機導入。北地区センター、オープン。阪急バス、北千里駅開業に伴い路線バス接続駅を整理、佐竹台・高野台循環と津雲台循環は南千里発着、古江台・藤白台循環、青山台循環、新千里北町循環は北千里発着となる。
- 1968年(昭和43年)3月 皇太子・皇太子妃(いずれも当時)、視察。豊中市新千里西町(府営住宅)入居開始。
- 1969年(昭和43年)9月 豊中市新千里南町(府営住宅)入居開始。
- 1970年(昭和45年)3月 日本万国博覧会開催。北大阪急行電鉄・江坂駅 - 千里中央(仮)駅 - 万国博中央口駅間開業。千里中央(仮)駅は、中国自動車道上、北新田橋の下にあった。千里中央地区センターが開業。阪急バス、北千里~青山台~新千里北町~千里中央線を新設。
新千里東町地区の26棟と竹見台地区の高層住宅2棟を外国人要員用の宿舎として使用[5]。
- 1970年(昭和45年)8月 阪急バス、千里中央~南千里線を新設。
- 1970年(昭和45年)9月 万博終了にともない、北大阪急行電鉄・千里中央駅-万国博中央口駅間廃止。千里中央駅、現在位置の本駅に移って営業開始。
- 1973年(昭和48年)11月 千里ニュータウン内の百貨店、千里大丸プラザにトイレットペーパーを求める主婦が殺到(オイルショックのトイレットペーパー騒動)。
- 1973年(昭和48年)11月 阪急電鉄南千里駅 - 北千里駅間に山田駅が開業。
- 1986年(昭和61年)7月 千里中央、千里ニュータウン近辺でロケを行なったNHKドラマ人間模様「追う男(全4回)」放送。主演・松田優作。
- 1990年(平成2年)6月 大阪高速鉄道(当時)大阪モノレール線千里中央駅 - 南茨木駅間が開通し、ニュータウン内に千里中央駅と山田駅が開業。
- 1994年(平成6年)9月 大阪高速鉄道(当時)大阪モノレール線 柴原駅(現・柴原阪大前駅) - 千里中央駅間が開通。
- 2006年(平成18年)千里中央地区再整備事業着工。( - 2009年(平成21年))
- 2006年(平成18年)4月 吹田市立博物館にて特別展・千里ニュータウン展を開催。博物館開館以来最高の入場者数を記録した。
- 2009年(平成21年)千里南地区センター再整備事業着工。
- 2012年(平成24年)9月 千里ニュータウン情報館が開館。
団地構成
編集(豊中市)
- 新千里北町団地(旧日本住宅公団、現UR都市機構)
- 新千里西町団地(旧日本住宅公団、現UR都市機構)
- 新千里東町団地(旧日本住宅公団、現UR都市機構)
- 新千里北町住宅(府営住宅)
- 新千里南住宅(府営住宅)
- 新千里東町住宅(府営住宅)
- 千里桃山台団地(大阪府住宅供給公社住宅)
- 新千里北町団地(大阪府住宅供給公社住宅)
(吹田市)
- 千里桃山台団地(旧日本住宅公団、現UR都市機構)
- 千里桃山団地(旧日本住宅公団、現UR都市機構)
- 千里竹見台団地(旧日本住宅公団、現UR都市機構)
- 千里津雲台団地(旧日本住宅公団、現UR都市機構)
- 千里青山台団地(旧日本住宅公団、現UR都市機構)
- 千里藤白台住宅(府営住宅)
- 千里古江台住宅(府営住宅)
- 竹見台団地(大阪府住宅供給公社住宅)
- 藤白台団地(大阪府住宅供給公社住宅)
住区・地区センター
編集※アルファベットは工事名。町名が「台」は吹田市域、「町」は豊中市域。()内はかつて大阪府が提案した町名。
- 吹田市域住区
- A:津雲台(南千里津雲町)
- B:高野台(南千里高野町)
- C:佐竹台(南千里佐竹町)
- D:桃山台(南千里王字町)
- E:竹見台(南千里石川町)
- F:青山台(北千里蓮間町)
- G:藤白台(北千里藤白町)
- H:古江台(北千里古江町)
- 豊中市域住区
- 地区センター
- 津雲台 ― 小字で九十九(つくも)という字名があり語調もよいというところから。
- 高野台 ― 地形が高い原野であったところから。
- 佐竹台 ― 大字佐井寺が90%以上も位置し、その区域の殆どが竹林であったところから。
- 桃山台 ― この区域は桃の栽培地であり、また町名に相応しい小字名もなかったので当初、南桃源台として審議会に諮ったが桃源郷の原語については、一部の知識人のみ知るところであり、町名としても好ましくないという結論が出たので、 再度検討した結果。
- 竹見台 ― 北桃源台として審議会に諮られたが桃山台同様、再度検討の結果、筍の産地で知られていたので、その名残をとどめる意義から。付近には現在も竹林が多い。
- 青山台 ― 箕面市と接し、市境界周辺は青葉が繁っていて自然公園的であり、また町名に相応しい小字名もなかったところから。
- 藤白台 ― 小字に藤白(とうじろ)という字名があり 、現在の藤白台2~4丁目 に位置し、代表的小字名であったところから。
- 古江台 ― 小字で古江という字名があり、現在の古江台2~5丁目までその古江が位置すると共に2丁目の80%は古江であったところから。
- 新千里北町・東町・西町・南町 ― 府の開発のときから千里ニュータウンと呼ばれ、この地区について全て新千里という名称を頭につけて東西南北に分けたものである。
交通
編集- 北大阪急行電鉄 南北線千里中央駅、桃山台駅
- 阪急千里線 北千里駅、山田駅、南千里駅
- 大阪モノレール本線 千里中央駅、山田駅:地区内交通の性格は薄く、阪急京都本線・宝塚本線などへのアクセス線として機能。
- 地区内のバスは、阪急バスが運行している。1962年入居開始当初は、鉄道がなかったため、阪急千里山駅-一本松(現在の南千里)-国鉄(現JR西日本)吹田駅前を結ぶバスが唯一の足だった。バス路線は開発に伴って拡充され、1963年8月新千里山駅(現南千里駅)開業後は新千里山駅を中心に再編、1970年3月の千里中央駅開業後は千里中央駅を中心に再編。以後、周辺地域の開発に伴って豊中・箕面・茨木・吹田方面との路線も順次充実し今日に至る。
- 高速バスは桃山台駅に千里ニュータウン停留所が設置され、主に大阪市内発着の路線が停車する。一部の路線は千里中央駅も経由する。
道路
編集入居開始当初は大阪中央環状線も中国自動車道も新御堂筋もなく、既設市街地とニュータウンを結ぶ道路は自動車がすれ違うのもやっとの未舗装道路がほとんどで、「陸の孤島」と言われた。しかし1970年日本万国博覧会開催を目標に急速に整備された。
現在周辺には、名神高速道路・中国自動車道・近畿自動車道が走り、大阪市内とは新御堂筋がJR新大阪駅・大阪駅と結んでいる。また大阪中央環状線によって大阪国際空港や茨木・摂津・門真・東大阪方面と結ばれている。
新御堂筋を北に延長した箕面有料道路が箕面市止々呂美まで開通しており、箕面とどろみインターチェンジを介して新名神高速道路と接続している。
行政施設
編集教育施設
編集幼稚園・保育園(豊中市域)
編集- キッズワールド千里中央
- クレアーズガーデン・ニノキリインターナショナルスクール
- 豊中市立東丘保育所
- 豊中市立西丘保育所
- 北丘聖愛園
- アソカ幼稚園
- 追手門学院幼稚園
- せんりひじり幼稚園
- みくま幼稚園
幼稚園・保育園(吹田市域)
編集- あやめ保育園
- 社会福祉法人千里聖愛保育センター
- 吹田市立北千里保育園
- 吹田市立藤白台保育園
- 吹田市立南千里保育園
- 千里ニュータウン保育園
- ハッピー・タイム
- ももやま保育園
- 青山幼稚園
- カトリックさゆり幼稚園
- 吹田市立佐竹台幼稚園
- 吹田市立古江台幼稚園
- 玉川学園幼稚園
- ふじしろ幼稚園
- 若竹学園千里幼稚園
- 千里敬愛幼稚園
小・中学校(豊中市域)
編集小・中学校(吹田市域)
編集- 大阪市立弘済小学校・中学校
- 吹田市立青山台小学校
- 吹田市立北千里小学校(2009年3月閉校)
- 吹田市立佐竹台小学校
- 吹田市立千里たけみ小学校(2003年竹見台・南竹見台両小学校を統合)
- 吹田市立高野台小学校
- 吹田市立津雲台小学校
- 吹田市立藤白台小学校
- 吹田市立古江台小学校
- 吹田市立桃山台小学校
- 金蘭千里中学校
- 吹田市立青山台中学校
- 吹田市立高野台中学校
- 吹田市立竹見台中学校
- 吹田市立古江台中学校
- 吹田市立南千里中学校
高等学校・大学(豊中市域)
編集- 大阪府立千里青雲高等学校(旧・大阪府立東豊中高等学校)
高等学校・大学(吹田市域)
編集図書館・博物館・その他
編集主な商業施設
編集商業施設(豊中市域)
編集商業施設(吹田市域)
編集主な進出企業
編集事業所・研究所(豊中市域)
編集- SCSK西日本 千里オフィス
- 三井住友信託銀行千里事務センター、証券代行部、電算機センター
- 三井住友トラスト・システム&サービス (大阪本社)
- 東京海上日動火災 大阪電算機センター、研修センター
- 損害保険ジャパン 千里支社
- りそな銀行 千里電算機センター
- 千里ライフサイエンスセンター
- パナソニック ホームズ 本社
- 大阪ガス千里中央地区センター (地域冷暖房事業の先鞭)
- 大正製薬関西支社
事業所・研究所(吹田市域)
編集- 産業技術総合研究所システム検証研究センター
放送
編集コミュニティ放送
編集- 千里桃山台団地には、コミュニティ放送局である千里ニュータウンFM放送の送信所が置かれている。
- 所在地:吹田市桃山台1丁目1番C-1号
放送局名 | 呼出符号 | 周波数 | 空中線 電力 |
ERP | 放送区域 | 放送区域 内世帯数 |
開局日 |
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千里ニュー タウンFM放送 愛称「FM千里」 |
JOZZ7BC-FM | 83.7MHz | 10W | 32W | 千里ニュータウン内 (吹田市・豊中市・箕面市・ 茨木市の一部地域) |
3万8263世帯 | 2007年 4月1日 |
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
編集- 千里天神(上新田天神社)
- 古江稲荷神社
- 千里中央公園
- 千里北町公園
- 千里西町公園
- 千里南町公園
- 千里北公園
- 藤白公園
- 古江公園
- 青山公園
- 千里南公園
- 津雲公園
- 高野公園
- 佐竹公園
- 桃山公園
- 二ノ切池公園
- 竹見公園
- IEEEマイルストーン認定記念銘板(世界初の自動改札機実用化)
野外彫刻
編集- 『ステンレスの林』飯田善国 - 2006年撤去
- 『集』植木茂 - 松下電器産業(現パナソニック)寄贈
- 『大きな構成』アレッサンドラ・ポルフィディア
- 『transfiguration"LINK"Ⅲ』竹内三雄
- 『コミュニケーション』西田明未
- 『森のささやき』新宮晋
- 『時計付きモニュメント』山田幸作 - 豊中市新千里北町自治団体連絡協議会創立20周年記念
- 千里野外彫刻展作品群(1967年(昭和42年)千里南公園に於て開催。彫刻展終了後、各公園及ロータリーに設置。)
- 『千里ニュータウン完成記念モニュメント』 - 1970年(昭和45年)千里ニュータウン主要地区に設置。
- 津雲台ロータリー・津雲台北ロータリー
- 『希望』 高須賀桂 - 大丸寄贈
- 『おしゃべり』 三坂耿一郎 - 銘板なし(剥落)
- 千里南公園
- 『灯篭』 松村外次郎 - 小野田セメント(現太平洋セメント)寄贈
- 『コステューム』 新谷秀雄 - 富士銀行(現みずほ)寄贈
- 『間』 綿引孝司
- 『日と風と雨に』 辻晋堂 - 関西電力寄贈
- 不明 銘板なし - 彫刻展の入口モニュメント
- 『碑』 昆野恒 - 早川電機工業(現シャープ)寄贈(台座のみ現存)
- 高野公園
- 『渦柱』 菅原石廬
- 千里緑地
- 『番人』 五十嵐芳三 - 大和銀行(現りそな)寄贈
- 佐竹公園
- 『母と子』 竹内正治
- 新千里北町ロータリー
- 『腕をくむ』 山本稚彦 - 三井銀行(現三井住友)寄贈
- 樫ノ木公園
- 『欣びの精霊』 笠置季男 - 銘板なし(剥落)
- 青山公園
- 『石花』 日高頼子
- 『壁訴訟』 工藤健
- 千里北公園
- 『天の子』 山脇正邦
- 『翠』 安田周三郎 - 三和銀行(現三菱東京UFJ)寄贈
- 『風の道』 新宮晋 - 千里開発センター設置
- 藤白公園
- 『預言者』 今村輝久
- 藤白台ロータリー
- 『翼のある車輪』 加藤昭男 - 銘板なし(剥落)
- 古江公園
- 『宇』 番匠宇司
- 千里中央公園
- 『布を持つ』 山本稚彦 - 銘板なし(剥落)
- 『おば Q』 辻晋堂 - 住友銀行(現三井住友)寄贈
- 『あほんだら獅子』 流政之 - 大和銀行(現りそな)寄贈
- 千里アートロード
- 『陽だまり』鈴木清貴
- 『2台の楽器のために』日高頼子
- 『HEAVEN'S WOMEN』堀田大貴
- 『まほろば』中垣克久
- 『五月の蝶』岩田健
- 『愛よ永遠に』一色邦彦
- 『にわか雨』工藤健一
- 『語らい』本多厚二
千里八景
編集1982年(昭和57年)、千里ニュータウン20周年記念イベント「千里20年まつり」の一環として募集が行なわれたもの[13]。現地には標柱が立つ。
- 「野鳥楽園」千里北公園
- 「駅広夜景」北千里駅付近
- 「桜並木」 千里中央筋
- 「新都市俯瞰」千里中央公園
- 「ビル群爽涼」千里中央付近
- 「副都心黎明」千里中央
- 「池畔散策」千里南公園
- 「新都市躍動」桃山台駅付近
また同時に、テーマソング「千里音頭」が作られた。企画・制作は千里20年まつり実行委員会と朝日新聞社。作曲はいずみたく。デューク・エイセスの歌で吹き込まれたシングルレコード(品番:04R-4120)が存在する。
ドキュメンタリー
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “人口の推移” (PDF). 千里ニュータウン地域の資料集(人口推移等). 吹田市・豊中市千里ニュータウン連絡会議. (2020年10月1日). pp. 2-3. オリジナルの2022年2月19日時点におけるアーカイブ。 2022年2月20日閲覧。
- ^ “大阪・千里ニュータウンの入居開始日が「ニュータウンの日」に”. NHK NEWS WEB. (2022年9月10日). オリジナルの2022年9月11日時点におけるアーカイブ。
- ^ 当初は、3年生までの低学年小学校2箇所と、4年生以上の高学年小学校を設置する計画だった。しかしこの計画が実施されず、学校用地が狭い原因の一つになった。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、129頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 日本万国博覧会公式記録第1巻 出展参加 参加者への協力 - 日本万国博覧会記念協会(1972年)
- ^ 大阪府『千里ニュータウンの建設』1970年
- ^ 吹田市『住居表示整備事業の概要』1978年
- ^ 豊中市土木部管理課編『住居表示概要』豊中市土木部管理課 1978年
- ^ 北西諒介「千里ニュータウンにおける地名の命名とその影響」『地域と環境』第15巻、京都大学大学院人間・環境学研究科「地域と環境」研究会、2018年12月、83-102頁、CRID 1390853649777506432、doi:10.14989/243205、hdl:2433/243205、ISSN 1344-0985、2024年2月27日閲覧。
- ^ “https://senri-nt.com/cms/wp-content/uploads/2021/08/1970monument.pdf”. 2024年1月16日閲覧。
- ^ “https://www.osaka-kentei.jp/pdf/2017/osk_houkoku2017_09_09.pdf”. 2024年1月16日閲覧。
- ^ “https://www.city.toyonaka.osaka.jp/machi/toshikeikan/okugaizoukeibutsu.files/zoukei_ichiran.pdf”. 2024年1月16日閲覧。
- ^ “https://e-senri.jp/now/file/senrihakkei.pdf”. 2022年2月13日閲覧。
- ^ "最初のニュータウン 〜大阪・千里〜". NHK. 2023年11月18日. 2023年11月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月18日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 吹田市立千里ニュータウン情報館
- 千里ニュータウンと団地(独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)運営のまち紹介ページ)
- 「千里ニュータウンを知るブックリスト」(豊中市立図書館) - レファレンス協同データベース