十川 孝富(そがわ たかとみ、1977年5月29日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手内野手)。

十川 孝富
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府松原市
生年月日 (1977-05-29) 1977年5月29日(47歳)
身長
体重
184 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1999年 ドラフト6位
初出場 2002年3月31日
最終出場 2006年8月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

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香川西高では1年夏から活躍[1]し、投手で4番、2年秋は県大会準決勝へ進むが翌春の選抜で優勝する観音寺中央高に敗れ、3年夏も同校に敗退。大商大では1年生の春季のリーグ戦でいきなり開幕投手をまかされ1勝3敗の成績を残すが右ヒジを骨折し、内野手に転向[1]。関西六大学リーグで通算89試合に出場し、331打数97安打、打率.293、7本塁打、40打点。1998年春季のリーグ戦で首位打者になる[1]。ベストナイン2度受賞。1999年のドラフト読売ジャイアンツ(以下:巨人)から6位指名され入団[1]

3年目の2002年に初めて1軍に昇格し同年は13試合に出場。その後は出場機会に恵まれなかったが、2005年から内野の控えとして一軍に定着。次第にスタメン出場の機会も増え、7月には阪神タイガース戦で安藤優也から初本塁打を放った。

2007年シーズンはチームの若返りの方針もあり1軍昇格を果たせず、また水晶体に水が溜まり物が二重に見えるといった病気も発症[2]10月4日戦力外通告を受け、11月30日自由契約公示された。

現役引退後は、「TOKYO GUTS」で野球スクールのコーチを務めた。2011年3月1日からは巨人に復帰し、副寮長[3]を経てジャイアンツアカデミーでコーチとなる。

2002年から2006年まで同チームに同姓の十川雄二が在籍していたが、血縁関係は無い。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2002 巨人 13 9 9 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .000 .000 .000 .000
2004 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2005 27 17 16 3 3 0 0 1 6 1 0 0 0 0 1 0 0 7 2 .188 .235 .375 .610
2006 7 9 8 1 2 0 0 0 2 0 1 0 0 0 1 0 0 1 0 .250 .333 .250 .583
通算:4年 48 35 33 5 5 0 0 1 8 1 1 0 0 0 2 0 0 13 2 .152 .200 .242 .442

記録

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背番号

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  • 52 (2000年 - 2007年)

脚注

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  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、308ページ
  2. ^ 元巨人・十川孝富「TOKYO GUTS」/引退後記”. 日刊スポーツ (2010年5月20日). 2011年3月2日閲覧。
  3. ^ 【巨人】十川氏が副寮長に就任”. 日刊スポーツ (2011年3月1日). 2011年3月2日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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