北木島
北木島(きたぎしま)は瀬戸内海にある笠岡諸島の有人島。岡山県笠岡市に属す。笠岡港から南に約15kmの地点にある。
北木島 | |
---|---|
東岸の大浦集落 | |
所在地 |
日本 岡山県笠岡市 |
所在海域 | 瀬戸内海 |
所属諸島 | 笠岡諸島 |
座標 | 北緯34度22分55秒 東経133度32分11秒 / 北緯34.38194度 東経133.53639度座標: 北緯34度22分55秒 東経133度32分11秒 / 北緯34.38194度 東経133.53639度 |
面積 | 7.49 km² |
海岸線長 | 18.3 km |
最高標高 | 226 m |
最高峰 | バックリ山 |
プロジェクト 地形 |
地勢
編集2019年に日本遺産に認定された笠岡諸島[2]では最大の島である。ただし、日本国内の有人島としては小さい部類に入る。島の北側に金風呂(かなふろ)と豊浦、東側に大浦の港があり、港の周辺には集落が形成されている。
島の岩盤は中生代白亜紀の花崗岩[3][4]からなり、島から産出する石材は北木石のブランド名で流通している。丁場と呼ぶ石切り場は良質の石を求めて地下深く掘られており、採掘をやめた丁場には水が溜まって写真(本頁下のギャラリー)のような丁場湖の景観を見せる。
歴史
編集海の見える小高い丘の上に古墳が3基現存しているので、古墳時代から人が住んでいたと思われる。享徳2年(1453年)に書かれた、真鍋氏系図(南東にある真鍋島に由来する豪族の系図)には「柴ノ島」とあるが、戦国末期と推定される書状には「北木」と書かれており、真鍋氏の一族が住んでいた[5]。江戸時代は1619年から備後福山水野氏の領地となったが、1698年以降は幕府領となった[6]。江戸時代1834年の天保郷帳では北木島の取れ高は約224石とされている[7]。しかし江戸時代の検地帳では島の田畑のランクは低く、島の経済は漁業に依存していた[8]。
石材の島としての北木島
編集北木島を含む瀬戸内海の島々は良質の花崗岩を産出している。江戸幕府が豊臣氏を滅ぼした後に建造した、大阪城の石垣の巨石も小豆島などから切り出した花崗岩が使われている。この大阪城の建造に際し北木島からも石垣に用いられる石材を搬出したとされる[8]。江戸時代末期の1863年には、京都を異国の侵略から守るために建造された「西宮お台場砲台」の石材を供出[9]。1879年には横浜正金銀行の石材を受注[10]、1896年には北木島の石材を使用した日本銀行本店が竣工し、建築用石材としての北木石の名が広まる[11]。1932年には靖国神社の大鳥居と大石灯籠の石材を積み出した[11]。第二次世界大戦をはさむしばらくの期間、石材産業は一次衰退したが、戦後の復興・経済成長期には再度著しく発展した。最盛期の1957年には花崗岩を採掘する丁場の数が127箇所あった[12]。
その後、中国からの安価な輸入石材に押されて石材の産出量は減少し、最盛期に127あった採石業者は2024年時点で丁場は2社に減っている。
島の北木中学校に「北木石記念室」が設置されており、花崗岩の石材の見本や、かつての丁場(石切り場)で使用された機械・道具類が収蔵・展示されている。そのうち明治から昭和後期まで使われた道具類が2014年(平成26年)に登録有形民俗文化財に登録された[13]。2015年(平成27年)度に「北木島採石場及び採石跡地の景観と石切り文化 生活道路から見えた丁場跡」は、優れた素材・技術を活かした高い品質を持つ「かさおかブランド」として笠岡市より認定された[14]。2017年4月に民間会社の採石場に、削岩などの作業風景や約70メートル下の谷底を見下ろせる展望台が設置された[注釈 1][15]。
産業
編集島では北木石とよばれる極めて良質の花崗岩が産出し、その石を利用し大坂城や福山城の石垣や明治神宮神宮橋、靖国神社の大鳥居などが造営されたほどの名石である。現在は採石や「灰干し」という火山岩を砕いてパウダー状にし、その中で魚を乾燥させる干物の製法が盛んである。[16]
県道
編集- 北木島の北~東岸に沿って通っている。島内一周道路にはなっていない。
教育
編集- 笠岡市立北木小学校(北木島町7886-13)
- 笠岡市立北木中学校(北木島13198-1) - 2020年4月より休校中。
観光
編集笠岡観光協会の旅行パンフレット「またたび笠岡」に見どころが紹介されている[17]。
- 石切りの渓谷展望台 - 年末年始を除く毎日12~13時の時間帯のみ展望台の見学(有料)ができるようになった。
- 流し雛 - 旧暦3月3日に大浦の海岸で、紙雛を乗せた小舟を海に流す伝統行事。笠岡市指定重要無形民俗文化財[18]。
- 北木石記念室 - 北木中学校の一室にある。歴史を紹介しており、採石道具やパネルなどを展示している[19]。
丁場湖
編集北木島では、地表近い花崗岩は水分の影響を受け岩石中の鉄分が酸化して赤みがかった錆石となっている。錆石の下には酸化されていない新鮮な花崗岩が地下深くまで続いている[20]。北木島の丁場では良質な白い花崗岩を求めて地下深くまで採掘を行い、多くの丁場で海面比マイナス数十メートルまで掘り進んだ。採掘を終えた丁場では、垂直に彫られた深い穴に水を湛えた池(採石跡湖)が残されている。
ギャラリー(丁場湖)
編集アクセス
編集映画
編集著名な出身者
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c 北木島(笠岡市・笠岡諸島地域) - 岡山県HP 岡山県の離島
- ^ 日本遺産 笠岡諸島
- ^ 元気ユニオンin北木 編 (1996, p. 81)
- ^ 200万分の一日本地質図第5版 独立行政法人産業技術研究所 地質調査総合センター
- ^ 藤井駿 編 (1988, p. 826)
- ^ 藤井駿 編 (1988, pp. 826–827)
- ^ 藤井駿 編 (1988, p. 1011)
- ^ a b 藤井駿 編 (1988, p. 827)
- ^ 元気ユニオンin北木 編 (1996, p. 135)
- ^ 元気ユニオンin北木 編 (1996, p. 136)
- ^ a b 元気ユニオンin北木 編 (1996, p. 137)
- ^ 元気ユニオンin北木 編 (1996, p. 178)
- ^ 北木島の石工用具 - 笠岡市
- ^ 平成27年度かさおかブランド(観光部門)認定 - 笠岡市
- ^ a b “笠岡・北木島の採石場に絶景展望台 29日から一般開放 岡山”. 産経ニュース. (2017年4月20日) 2017年8月13日閲覧。
- ^ “北木島の産業 | 北木石の墓石・鳥居の石材に関するご相談は鶴田石材へ | 岡山県笠岡市北木島の鶴田石材株式会社”. 2024年11月8日閲覧。
- ^ 北木島 - 笠岡観光協会
- ^ 北木島の流し雛(きたぎしまのながしびな) - 笠岡市
- ^ 北木石記念室 - 笠岡観光協会
- ^ 元気ユニオンin北木 編 (1996, p. 152)
- ^ “北木島盆踊り 保存活動の記録上映 旧映画館で住民ら30人鑑賞”. 山陽新聞digital (2023年8月13日). 2023年10月2日閲覧。
- ^ “せりふは「ニャー」 笠岡市の北木島で映画「しまねこ」ロケ、来春にも全国公開”. 中国新聞デジタル (2023年9月2日). 2023年10月2日閲覧。
- ^ “北木島 - 笠岡市観光協会”. 笠岡市観光協会. 2023年10月2日閲覧。
参考文献
編集- 元気ユニオンin北木 編『ふるさと読本「北木を語る」-島と石と人の営みと』元気ユニオン in 北木、1996年。
- 藤井駿 編『「岡山県の地名」日本歴史地名大系34』平凡社、1988年。ISBN 9784582490343。
関連項目
編集外部リンク
編集- 北木島(アーカイヴ) - 笠岡市
- 北木島情報サイト
- 北木島 (笠岡市・笠岡諸島地域)- 岡山県ホームページ 岡山県の離島
- “北木島”. またたび笠岡。[笠岡市観光協会] (2015年6月8日). 2021年5月24日閲覧。
- 「大悟のふるさとへようこそ」 名石の産地「石の島」として名高い北木島 - YouTube(朝日新聞社提供、2019年12月6日公開)
- 日本遺産 笠岡諸島