出直し選挙
出直し選挙(でなおしせんきょ)は、地方公共団体の長の職の退職を申し出た者が当該退職の申立てがあったことにより告示された地方公共団体の長の選挙に立候補して行われる選挙(公職選挙法259条の2)。
概要
編集すなわち地方公共団体の長の職にある者(都道府県知事・市町村長)が、その職を退職し、その退職によって実施されることとなった選挙(都道府県知事選挙・市町村長選挙)に再び立候補して行われる選挙である。
通常、地方公共団体の長の任期は選挙の日から起算され(公職選挙法259条)、地方公共団体の長の任期は4年とされている(地方自治法140条1項)。しかし、出直し選挙の場合には現職首長が対立陣営の準備不足を狙って不意打ち的に辞任して選挙に出直し立候補をして当選後の4年の任期を確保する政治的戦略を目的とする出直し選挙の事例[注 1]が多発して問題視されたために、公職選挙法は特例を設け、地方公共団体の長の職の退職を申し出た者が出直し選挙において当選人となったときは、その者の任期については退職の申立てによって告示された選挙がなかったものとみなして任期の計算がなされる(公職選挙法259条の2)。つまり、出直し選挙の当選者が、地方公共団体の長の退職を申し出て再び当選した者である場合には、その者の任期は出直し選挙前の任期の満了時まで(当初の任期の残任期間)ということになる。地方公共団体の長の職の退職を申し出た者以外の候補が当選した場合は通常通り4年の任期となる。また、不信任決議可決やリコールによる失職による出直し選挙には適用されない。この仕組みは1962年の法改正で導入された(1956年には前述の理由から辞職した都道府県知事と市長は当該退職の申立があったことにより告示された当該地方首長選挙への立候補を不可能とする法改正がされたが、弊害が指摘されたために1962年には町村長も含めた地方首長は辞職しても立候補自体はできるが前述のように前職が当選した場合は任期としては当該選挙がなかったものと扱う旨の法改正がされた)。
事例等
編集- 出直し選挙で前職首長のみが立候補をして無投票当選となる例もあるが、1962年以降の場合は任期は当選から4年ではなく残り任期となる。無投票当選の場合は選挙戦が行われるよりも地方自治体の費用が抑えられる面はあるが、それでも投票用紙や選挙ポスターの公設掲示板などの準備等で費用はかかる。出直し選挙が無投票当選になった例として2009年岐阜市長選挙などがある。
- 2010年に和歌山県の白浜町長選挙では、任期が間近に迫った町長が民意を問うために辞職し、3月7日に出直し選挙が行われて現職の町長(当時)が再選されたが、公職選挙法259条の2の規定によって前回の町長選挙から2週間あまりしかたたない同年3月22日に再び任期満了の選挙が行われて新人が町長に当選し、半月の間に2度も町長選挙が実施されるという異例の事態が発生した。
- 2014年大阪市長選挙では出直し選挙となったが、前職の橋下徹が率いる大阪維新の会以外の主要政党が擁立を見送ったことで橋下以外の3人はいわゆる泡沫候補であった。選挙結果は橋下が37万7472票で再選したが、無効票が6万7506票となり落選者3人の得票合計の5万3895票よりも多い事態となった。大阪市が支出した選挙費用約5億円は税金の無駄遣いだったとして、市民団体のメンバーらが出直し選挙を実施した橋下に同額の支払いを請求するよう大阪市に求める訴訟を起こしたが、2015年9月10日に大阪地裁は「市長が自発的に退職し、選挙で住民の意思を問うことが許されるのは明らか」と違法性を否定して請求を棄却した。
- 2019年3月に松井一郎が大阪府知事を、吉村洋文が大阪市長をそれぞれ辞職し、次回首長選挙では出直し選挙規定を避けるために松井一郎前大阪府知事が2019年4月の大阪市長選挙に、吉村洋文前大阪市長が2019年4月の大阪府知事選挙にそれぞれ立候補する「出直しクロス選挙」が行われた。
- 2024年9月に斎藤元彦は兵庫県庁内部告発文書問題で「斎藤氏は潔白を主張しているが、県政の停滞を招いているのは事実だ」などの理由により、9日に日本維新の会からの辞職と出直し選挙を求める申し入れと[1]、12日に自民党、公明党、ひょうご県民連合、共産党の4会派と無所属議員4人による共同で即時辞職の申し入れを受け[2]、計86名の全議員から辞職を迫られる事態となった[2]。19日に県議会で斎藤に対する不信任決議が全会一致で可決された[3][4]。これを受け斎藤は、26日に県議会を解散せず30日付で自動失職し、2024年兵庫県知事選挙への出馬することを表明した[5]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 1950年青森県知事選挙(津島文治)、1950年岐阜県知事選挙(武藤嘉門)、1952年宮城県知事選挙(佐々木家寿治)、1953年福島県知事選挙(大竹作摩)、1954年鳥取県知事選挙(西尾愛治)、1954年滋賀県知事選挙(服部岩吉)、1954年広島県知事選挙(大原博夫)、1954年兵庫県知事選挙(岸田幸雄)、1955年愛媛県知事選挙(桑原幹根)、1955年奈良県知事選挙(奥田良三)、1955年熊本県知事選挙(桜井三郎)、1955年山形県知事選挙(村山道雄)、1955年石川県知事選挙(柴野和喜夫)、1955年山梨県知事選挙(天野久)、1955年島根県知事選挙(恒松安夫)。カッコ内は任期途中で退職し出直し選挙に出馬した知事。
出典
編集- ^ 産経新聞 (2024年9月9日). “維新が兵庫知事に辞職要求、党幹部「県政が停滞している」 斎藤氏は応じない構え”. 産経新聞:産経ニュース. 2024年11月3日閲覧。
- ^ a b 産経新聞 (2024年9月12日). “自民など4会派、兵庫県知事に「即時辞職」申し入れ”. 産経新聞:産経ニュース. 2024年11月3日閲覧。
- ^ 共同通信 (2024年9月19日). “兵庫知事に不信任、解散か失職へ 10日以内に判断、可決は5例目 | 共同通信”. 共同通信. 2024年11月3日閲覧。
- ^ “斎藤元彦・兵庫県知事の不信任案可決 5例目、議会解散か失職選択”. 日本経済新聞 (2024年9月19日). 2024年11月3日閲覧。
- ^ 産経新聞 (2024年9月26日). “「県政にとって重い判断」兵庫・斎藤元彦知事、自動失職し出直し選出馬を正式表明”. 産経新聞:産経ニュース. 2024年11月3日閲覧。