六浦荘村

日本の神奈川県久良岐郡にあった村

六浦荘村(むつうらしょうむら)は、1889年明治22年)4月1日から1936年(昭和11年)10月1日まで存在した神奈川県久良岐郡

むつうらしょうむら
六浦荘村
廃止日 1936年10月1日
廃止理由 編入合併
金沢町六浦荘村横浜市
現在の自治体 横浜市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
久良岐郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 5,740
国勢調査、1935年)
隣接自治体 横浜市、横須賀市、久良岐郡金沢町
鎌倉郡鎌倉町本郷村三浦郡逗子町
六浦荘村役場
所在地 神奈川県久良岐郡六浦荘村
座標 北緯35度19分32秒 東経139度36分44秒 / 北緯35.32567度 東経139.61211度 / 35.32567; 139.61211座標: 北緯35度19分32秒 東経139度36分44秒 / 北緯35.32567度 東経139.61211度 / 35.32567; 139.61211
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概要

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神奈川県久良岐郡南部の村。現在の神奈川県横浜市金沢区の西部にあたる。

歴史

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経済

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産業

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商工業
  • 大島屋・長島藤吉(材木、竹、、炭小売並びに煙草荒物商)[1]
  • 相川藤兵衛(醤油商)[2]
  • 室崎屋・相川勝右衛門(農、商、質屋業)[1]
  • 室崎屋・相川萬吉(材木、薪、炭商)[1]
  • 室崎屋・相川房吉[1]
  • 室崎屋・相川文五郎(酒商)[1]
  • 丸木三・森兵重郎(質屋業)[1]
  • その他六浦荘村で商業を営む人物は、「長谷川八兵衛、長谷川喜兵衛、三平藤蔵、相川藤兵衛、柳下粂蔵、長坂倉作」などがいた[3]
農業

『大日本篤農家名鑑』によれば六浦荘村の篤農家は、「中澤資久、田中七五郎、竹林瑞應、森平十郎、石井啓次郎、石井七之助、布川悦五郎、堀川菊次郎、堀江房次郎」などがいた[4]

地域

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人口

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被差別部落の調査報告書『全国部落調査』(神奈川県 昭和9年11月現在)によれば、六浦荘村三分の髙谷は「戸数49、人口276、主業は職工、副業は雑、生活程度は下」である[5]

交通

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鉄道路線

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道路

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現在の町名

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出身・ゆかりのある人物

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小泉家。左から純一郎、又次郎、正也、純也。

政治・経済

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その他

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  • 田中耕造(医師)[1]
  • 長島重太郎(小学校教員)[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『神奈川文庫 第五集 百家明鑑』久良岐郡之部9-11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月2日閲覧。
  2. ^ a b 『日本紳士録 第31版』ア之部1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月14日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 『神奈川県銘鑑録』3、193-195頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月2日閲覧。
  4. ^ 『大日本篤農家名鑑』271頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月2日閲覧。
  5. ^ 『全國部落調査』財団法人中央融和事業協会、1936年、p24
  6. ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月18日閲覧。
  7. ^ a b 『変革者 小泉家の3人の男たち』28頁。
  8. ^ a b 『現代之人物観無遠慮に申上候』121-122頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年6月12日閲覧。
  9. ^ 『人事興信録 第9版』コ4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月2日閲覧。

参考文献

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  • 小幡宗海編『神奈川文庫 第五集 百家明鑑』神奈川文庫事務所、1900年。
  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 『神奈川県銘鑑録』帝国芳銘会、1916年。
  • 河瀬蘇北『現代之人物観無遠慮に申上候』二松堂書店、1917年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 梅田功『変革者 小泉家の3人の男たち』2001年。

関連項目

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