八代 祐吉(やつしろ[1] / やしろ[2] すけよし、1890年明治23年〉2月1日[3] - 1942年昭和17年〉2月1日[3])は、日本の海軍軍人、最終階級は海軍中将従四位[4]、勲三等[4]

経歴

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1890年(明治23年)、鹿児島県姶良郡加治木町(現在の姶良市)に生まれる[4]海兵40期[1]龍田球磨熊野那智の各艦長を務めた後[2][5]1940年(昭和15年)11月、海軍少将に進級し[2]、軍令部出仕となる[1]。翌1941年(昭和16年)1月、第六根拠地隊クェゼリン)司令官に着任[2][6]。同地で太平洋戦争を迎えることになる。1942年(昭和17年)2月1日、マーシャル・ギルバート諸島機動空襲による米機動部隊の攻撃を受け、戦死[1][2][5]。太平洋戦争での最初の海軍の将官の戦死者となった。戦死後に海軍中将に特進した。

脚注

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  1. ^ a b c d 『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』169頁。
  2. ^ a b c d e 『日本陸海軍人名辞典』491頁。
  3. ^ a b 『日本海軍将官辞典』381頁。
  4. ^ a b c 『日本海軍士官総覧』232頁。
  5. ^ a b 『日本海軍将官辞典』382頁。
  6. ^ 『日本海軍編制事典』289頁。

参考資料

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  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本陸海軍人名辞典』芙蓉書房出版、1999年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
  • 坂本正器・福川秀樹『日本海軍編制事典』芙蓉書房出版、2003年。
  • 『日本海軍士官総覧』柏書房、2003年。

関連項目

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