八代信号所
八代信号所(やしろしんごうじょ)は、高知県吾川郡いの町枝川にあるとさでん交通伊野線の信号場である。対外的には「八代行違い場所」の呼称が用いられる[1][注釈 1]。
八代信号所(八代行違い場所) | |
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構内全景(2015年1月) | |
やしろ yashiro | |
◄八代通 中山► | |
所在地 | 高知県吾川郡いの町枝川 |
所属事業者 | とさでん交通 |
所属路線 | 伊野線 |
キロ程 | (はりまや橋起点) |
駅構造 | 地上 |
ホーム | 2線 |
開業年月日 | 不明 |
備考 |
2014年11月11日、旧信号所より移転 2021年1月の改正後から使用休止 |
八代信号所(八代行違い場所) | |
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東より望む(2010年5月) | |
やしろ Yashiro | |
◄宇治団地前 (0.3 km) (0.1 km) 八代通► | |
所在地 | 高知県吾川郡いの町枝川 |
所属事業者 | とさでん交通 |
所属路線 | 伊野線 |
キロ程 | 8.4 km(はりまや橋起点) |
駅構造 | 信号場 |
開業年月日 | 不明 |
廃止年月日 | 2014年(平成26年)11月11日 |
備考 | 施設移転に伴う廃止 |
旅客の乗降扱いは行っていないため行き違いのための信号所としての位置付けになるが、信号等は設置されていない。
歴史
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八代信号所の開設時期については不明である[2]。もともと当地にあった八代通停留場が西に移設された際、それまでの停留場が客扱いをしない停留場になった[3]。
移設後も運行図表(ダイヤ)や運転士の携帯する乗務行路表に「八代」と表記され、運転士も無線交信等の際に「八代」と呼んでいる。運輸安全委員会の平成29年(2017年)11月の報告書では「八代停留場」として表記されている[4]。
なお、2021年(令和3年)1月のダイヤ改正により行き違い列車が無くなったため分岐器の固定が行われ、現在は分岐側への進入が不能となっている(事実上の休止)。
年表
編集信号所構造
編集2線を有し列車交換が可能であった。2021年1月のダイヤ改正により行き違い列車が無くなったため分岐器の固定が行われ、現在は分岐側への進入が不能となっている。
当信号所での列車交換が無くなった関係で、通票(タブレット)の形状が朝倉 - 伊野間を通して「○(楕円)」へと変更となった[10][注釈 2]。
信号所周辺
編集隣の施設
編集移転前の状況
編集移転前の構造
編集単線の鏡川橋 - 伊野間にあって場内は複線で、列車交換が可能[11]。伊野方面行きの下り線は直線で、はりまや橋方面行きの上り線が北へと分岐していた[12]。列車は交換の有無に関わらず左側線を走行していた。
当時の周辺
編集当信号所の東で伊野線の軌道は国道33号の高知西バイパスと交差する[3]。交差地点には高知松山自動車道枝川ICがある。
- いの町立枝川小学校
移転前の隣の施設
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 『【電車】八代行違い場所移設のお知らせ』(プレスリリース)とさでん交通、2014年11月5日。オリジナルの2014年12月8日時点におけるアーカイブ 。2017年6月6日閲覧。
- ^ a b c 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、60頁。ISBN 978-4-10-790029-6。
- ^ a b c 土佐電鉄の電車とまちを愛する会『土佐電鉄が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2006年、46-47頁。ISBN 4-533-06411-6。
- ^ 鉄道重大インシデント調査報告書 - 運輸安全委員会(平成29年(2017年))
- ^ 上野宏人 (2014年10月2日). “とさでん交通:「再出発」 「便利な市民の足に」高知で設立式 新デザインの車両披露”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ とさでん交通、伊野線の電車交換施設を移設…11月11日 - レスポンス、2014年11月7日
- ^ 運転士の「思い込み」であわや正面衝突…とさでん交通の重大インシデントで改善指示 - response
- ^ 四国運輸局からの改善指示に基づく改善報告について - とさでん交通
- ^ とさでん交通 八代行き違い場所 駅長詰所撤去
- ^ とさでん交通伊野線における通票式と続行運転
- ^ 服部重敬(編著)『路面電車新時代 LRTへの軌跡』山海堂、2006年、294頁。ISBN 4-381-01816-8。
- ^ 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第2巻 四国西部エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年、43頁。ISBN 978-4-06-295161-6。