伏見区
伏見区(ふしみく)は、京都市を構成する11の行政区の1つで、京都市の南部に位置する。
ふしみく 伏見区 | |
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伏見稲荷大社の千本鳥居 | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 京都府 |
市 | 京都市 |
市町村コード | 26109-2 |
面積 |
61.68km2 |
総人口 |
270,511人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) |
人口密度 | 4,386人/km2 |
隣接自治体 隣接行政区 |
京都市(山科区、東山区、南区) 向日市、長岡京市、八幡市、宇治市、乙訓郡大山崎町、久世郡久御山町 滋賀県大津市 |
伏見区役所 | |
所在地 |
〒612-8511 京都府京都市伏見区鷹匠町39番地の2 北緯34度56分10秒 東経135度45分41秒 / 北緯34.93611度 東経135.76139度座標: 北緯34度56分10秒 東経135度45分41秒 / 北緯34.93611度 東経135.76139度 |
外部リンク | 京都市伏見区役所 |
ウィキプロジェクト |
概要
編集『日本書紀』に「深草屯倉」とその名前の現れる深草では、京都盆地の中でもいち早く水稲耕作が始まり、稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社が渡来系豪族の秦氏によって創建される。桃山のかつて巨椋池を一望する観月の名所であった指月には、平安時代に橘俊綱が伏見山荘を構え、のちに栄仁親王に始まる伏見宮家代々の相伝地の伏見荘があったが戦国時代に荒廃する。
そして安土桃山時代、豊臣秀吉によって伏見には中央政治都市が確立する。秀吉がこの地で生涯を閉じるまでの間に伏見城と大名屋敷群が整備され、淀川沿いに西に広がる傾斜地の大手筋を軸として、東の六地蔵から西の三栖、北は深草の七瀬川付近、南は宇治川対岸の向島までも城下に取り込み、大きさは東西に約4km、南北に約6kmという広範囲に城下町・伏見が形成される。また、徳川幕府初期にも伏見城下には最初の銀座が置かれ、徳川家康から三代家光までの将軍宣下も伏見城で行われるなど幕府の政治拠点であった。
伏見城廃城後も上方郡代や伏見奉行が置かれ、淀川水運の重要な港町(伏見港)・宿場町(伏見宿)としても栄えるなど、昭和初期までは京都とは独立した別の都市であった。幕末期に、坂本龍馬をはじめとする討幕の志士たちが活躍した地としても知られる[1]。京都との間は街道や高瀬川で結ばれ、特に京町通につながる伏見街道(直違橋通)には墨染から五条通まで家屋が途切れることなく続いていた。明治には鴨川運河や鉄道も早期に開通し、各地から京都への物資を運んだほか酒造などの産業も盛んであった。
1931年(昭和6年)に京都市に編入されて誕生した伏見区には、深草・伏見以外にも、淀藩の城下町として栄えた淀や、醍醐寺が建つ醍醐などの地区が含まれ、以後は周囲も市街地化が進む。京都市の11区の中でも最多の人口を擁し、城下町の伝統を受け継ぐ商業拠点である一方、ベッドタウンとしての性格を持ち、「京都の郊外」という色も濃くなっている。西部や南部は淀川水系の低地、中央には東山から続く稲荷山や桃山丘陵、東部の山間部は滋賀県境まで続いている。
なお、伏見城のあった桃山の地名は、織田・豊臣政権期の時代区分「安土桃山時代」や、その文化「桃山文化」などの呼称の元となっているが、江戸時代の『伏見鑑』が発行されたころから固定・広まったとされている[2]。現在は住宅地としても利用されているが、大部分は桃山御陵の広大な緑地が広がり、酒造に用いられる豊富な伏流水の水源となっている。
地理
編集地形
編集山地
編集- 主な山
河川
編集- 主な川
地域
編集区を構成する町:京都市伏見区の町名
人口
編集伏見区の人口の推移 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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総務省統計局 国勢調査より |
隣接自治体・行政区
編集歴史
編集古代
編集古墳時代
編集- 雄略天皇17年(473年?) - 『日本書紀』雄略天皇17年条の記事中に、「山背国の俯見村」の記載があり、文献上の初見とされる。土師連の祖・吾笥が献上した土地。
- 欽明天皇2年(532年?) - 欽明天皇、山城国一帯に勢力があった秦大津父を紀郡深草里に探し右腕とする。
飛鳥時代
編集奈良時代
編集平安時代
編集- 貞観4年(861年) - 藤原北家の藤原良房が貞観寺を創建。深草は藤原氏の領地であったとされる。
- 貞観16年(874年) - 聖宝が上醍醐に一寺を建立、醍醐寺となす。
- 天暦6年(952年) - 醍醐寺の五重塔が建立される。
- 延久年間(1069年 - 1074年) - 橘俊綱が巨椋池を一望にする景勝地・指月の丘(現在の桃山町泰長老周辺)に伏見山荘を営む。
中世
編集鎌倉時代
編集南北朝時代
編集室町時代
編集近世
編集安土桃山時代
編集- 天正17年(1589年) - 伏見九郷の舟戸の庄の鶴屋(後の駿河屋)5代目岡本善右衛門が、紅羊羹(当時はまだ蒸し羊羹であり、煉羊羹ではない)を豊臣秀吉に献上。大茶会の引き出物に使われて評判となる。
- 天正19年(1591年) - 豊臣秀吉が関白を豊臣秀次に譲り隠居所として伏見の指月に築いた屋敷に隠居する。
- 文禄3年(1863年) - 豊臣秀吉が隠居屋敷を城郭へと大規模に改修、伏見城の城下町として伏見の町割、開発を行ない、町の原型が形作られる(現在も区内に残る地名や鍵状に曲がった道路には城下町の特徴が色濃く表れている)。
- 文禄4年(1595年) - 関白豊臣秀次が切腹し、政治の中心が聚楽第から伏見に移る。
- 文禄5年閏7月13日(1596年9月5日) - 慶長伏見地震。指月の伏見城が倒壊し、2日後には木幡山伏見城の作事に着手。
- 慶長2年(1597年) - 伏見城の築城が終わる。
- 慶長3年(1598年) - 豊臣秀吉、醍醐にて花見を行う。同年、伏見城にて死去。
- 慶長5年(1600年) - 伏見城の戦いにて伏見城炎上、関ヶ原の戦いの火ぶたが切られる。
- 慶長6年(1601年) - 徳川家康が伏見城の再建を開始。城下に銀座が置かれる。
江戸時代
編集- 慶長8年(1603年) - 徳川家康が伏見城にて将軍宣下を受ける。
- 慶長10年(1605年) - 徳川家康が伏見城で朝鮮使節と会見し、文禄・慶長の役で関係が悪化していた朝鮮と和議を成立。徳川秀忠が伏見城にて将軍宣下を受ける。
- 慶長11年(1606年) - 徳川家康が駿府城を正式に居城とし、伏見城の作事が停止される。
- 慶長12年(1607年) - 松平定勝が伏見城代となる。
- 慶長13年(1608年) - 銀座が京都に移される。
- 慶長18年(1613年) - 京都二条と伏見の間に高瀬川が開通する。
- 元和3年(1617年) - 伏見城代が廃止される。
- 元和8年(1623年) - 徳川家光が伏見城にて将軍宣下を受ける。
- 元和9年(1624年) - 伏見城が廃城となる。小堀遠州が伏見奉行に任ぜられ、以後、伏見は奉行が支配する。
- 寛永2年(1625年) - 松平(久松)定綱が淀藩の藩主となる。
- 寛永9年(1632年) - 小堀遠州が山口駿河守屋敷にあった伏見奉行所を、六地蔵西町にあった自邸とともに富田信濃守屋敷跡に移転新築。
- 明暦3年(1657年) - 伏見御駕籠町の美濃屋太郎左衛門[3]が寒天を発見。その後100年余りは伏見で独占的に生産されていた[4]。
- 明暦4年(1658年) - 駿河屋で寒天を用いた煉羊羹の製法が確立される。
- 元禄7年(1694年) - 御香宮神社例祭の芝居・見世物が始まる。
- 元禄11年(1698年) - 伏見奉行・建部内匠頭、伏見舟200艘の新造を許可。
- 元文1年(1736年) - 伏見指物町の銭座で銭貨が作られる。
- 天明5年(1785年) - 伏見騒動が起こる。
- 天明6年(1786年) - 伏見町の人口が4万人を数える。
- 文久2年(1862年) - 寺田屋騒動が起こる
- 元治1年(1864年) - 長州藩が兵を率いて伏見に入る。幕府軍に敗れ、長州藩伏見屋敷焼失。(禁門の変)。
- 慶応3年(1867年) - 伏見奉行が廃止される。
- 慶応4年(1868年) - 鳥羽・伏見の戦いで伏見市街が戦場となる。
近代
編集明治時代
編集- 1879年(明治12年)4月10日 - 郡区町村編制法により(初代)伏見区が設置される。
- 1879年(明治12年)8月18日 - 官設鉄道の稲荷駅開設。
- 1881年(明治14年)1月10日 - 伏見区が廃止される。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により紀伊郡伏見町が発足する。
- 1894年(明治27年)9月 - 琵琶湖疏水の冷泉放水口から伏見インクラインを経て、伏見城外堀の濠川までを結ぶ鴨川運河が開通する。
- 1895年(明治28年)2月1日 - 京都駅前(七条)と伏見下油掛の間で、営業用としては日本初の電車である京都電気鉄道開業(後の京都市電伏見線、1970年廃止)。
- 1895年(明治28年)9月5日 - 奈良鉄道の伏見駅開設。
- 1895年(明治28年)11月3日 - 奈良鉄道の桃山駅開設。
- 1905年(明治38年)7月18日 - 大日本帝国陸軍第16師団が深草に置かれる。
大正時代
編集近現代
編集昭和時代
編集- 1929年(昭和4年)5月1日 - 伏見町が京都府下で2番目に市制を施行して伏見市が成立した。しかし、これは京都市への編入を前提とした市制施行であった[5]。
- 1931年(昭和6年)4月1日 - 伏見市、紀伊郡深草町、下鳥羽村、横大路村、納所村、堀内村、向島村、竹田村、宇治郡醍醐村の1市1町7村が、京都市に編入された。自治体としての伏見市は消滅し、1市1町7村の区域をもって京都市の行政区としての(2代目)伏見区となった(右京区と同日)[6]。
- 1950年(昭和25年)
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 久世郡淀町を編入する。
- 1967年(昭和42年) - 伏見港公園が都市計画決定。港湾としての歴史が名実ともに終結した。
政治
編集行政
編集役所
編集- 区役所・支所
区役所のほか、2つの支所が設置されている。なお、住民登録や行政事務はそれぞれで独自に行われており、区内相互間で住所地を移した場合でも管轄区域をまたぐ場合は転出入に関わるそれぞれの区役所または支所・出張所で手続きをする必要がある[8]ほか、証明書についても管轄の区役所または支所・出張所でしか発行できない物もある。
区役所・支所および出張所と管轄区域は以下のとおり[9][10]。
- 伏見区役所 - 各支所・出張所が管轄しない地域を管轄する。鷹匠町に所在。
- 深草支所 - 深草を管轄する。深草向畑町に所在。
- 醍醐支所 - 醍醐・日野・石田・小栗栖を管轄する。醍醐大構町に所在。
- 神川出張所 - 久我・羽束師を管轄する。久我東町に所在。
- 淀出張所 - 淀・納所および葭島渡場島町・向島又兵衛を管轄する。淀池上町に所在。
分区問題
編集伏見区は全国の政令指定都市の行政区の中で上位10位[11]に入る人口を有する行政区である。
人口が多いことや区域が広いこと、区域内での繋がりが必ずしも深くはない[12]ことなどから、昔から分区構想がたびたび出ている。
区内の行政管轄は区役所の直轄区域を除くと深草支所・醍醐支所・神川出張所・淀出張所に分かれているが、主な分区構想では、このうち深草支所と醍醐支所管内を伏見区から分離させるものである。しかし、深草支所管内および醍醐支所管内とも人口は10万人にも満たない(それでも東山区よりは人口が多い)ほか、両地域は隣接してはいるものの間に大岩山を挟むなど地域的な結びつきが希薄であることもあって、分区の機運が盛り上がらない要因の1つとなっている。
なお、醍醐支所管内は伏見区中心部よりも地形的、歴史的に同じ宇治郡だった山科区との結びつきの方が圧倒的に強い[13]ため、同管内のみを分離して山科区に編入する方が合理的とする考え方もある。
施設
編集行政機関
編集国の機関
編集- 京都南労働基準監督署
- ハローワーク伏見(伏見公共職業安定所)
- 京都地方法務局伏見出張所
郵便局
編集日本郵政グループのうち、集配郵便局および担当地域は以下のとおり。
- 伏見郵便局 - 郵便番号は、612-00xx,-08xx,-09xx,-80xx,-81xx,-82xx,-83xx,-84xx,601-13xx,-14xxである。
- 久御山郵便局(久世郡久御山町) - 伏見区外にあるが、区内のうち公称町名の冒頭に「淀」がつく地域(かつての淀町)を担当している。郵便番号は、613-00xx,-08xx,-09xxである。
警察署
編集- 伏見警察署 区内の中央部を所轄。
下記は区外に所在するが、伏見区の一部も所轄区域に入っている。
経済
編集第一次産業
編集農業
編集伏見区の西部・南部に水田が広がる。
第二次産業
編集伝統的な日本酒の名産地として知られるほか、先進的なエレクトロニクス産業やそれをサポートする資材製造の事業所が見受けられる。
工業
編集油小路通(通称は「新油小路通」「新堀川通」)沿いはらくなん進都の地域名で京都市が産業集積を推進している。沿道には京都パルスプラザ(京都府総合見本市会館)があり、様々な業種による見本市や発表会が頻繁に開催されており、京都の産業を対外的にPRする拠点として重視されている。
先端技術分野の世界的企業である京セラおよび村田機械の本社が所在している。
この他、創味食品の本社工場や、愛媛県八幡浜市に本社がある菓子メーカーあわしま堂の工場も所在する。
醸造業
編集以下は、区内に所在する日本酒の蔵元の一覧である。なお、この中には全国に販路を持つ企業も複数ある。※日本酒の銘柄一覧#京都府も参照。
- 「英勲」 - 齊藤酒造
- 「黄桜」 - 黄桜
- 「月桂冠」 - 月桂冠
- 「松竹梅」 - 宝酒造(宝ホールディングス)
- 「キンシ正宗」 - キンシ正宗
- 「花洛」 - 招徳酒造
- 「玉乃光」 - 玉乃光酒造
- 「月の桂」 - 増田徳兵衛商店
- 「富翁」 - 北川本家
- 「桃の滴」 - 松本酒造
- 「神聖」 - 山本本家
第三次産業
編集商業
編集小規模の店舗は旧来からの街区に多い。一方、国道1号や油小路通沿線には郊外型の大規模小売店および飲食店や娯楽場が多く立地している。
拠点を置く企業
編集上場企業
編集教育・研究機関
編集大学
編集- 国立
- 私立
- 外国大学の日本校
高等学校
編集- 国立
- 府立
- 市立
- 私立
- 京都橘高等学校 ※中高併設。
- 京都聖母学院高等学校 ※中高併設。
義務教育学校
編集- 公立
- 向島秀蓮小中学校
中学校
編集- 国立
- 市立
- 京都市立春日丘中学校
- 京都市立小栗栖中学校
- 京都市立栗陵中学校
- 京都市立桃陵中学校
- 京都市立向島東中学校
- 私立
小学校
編集醍醐一ノ切、二ノ切、および三ノ切の児童は滋賀県大津市への依託により、通学に便利な大津市立石山小学校および大津市立石山中学校に通学する。
- 国立
- 市立
- 京都市立池田東小学校
- 京都市立春日野小学校
- 京都市立日野小学校
- 京都市立石田小学校
- 京都市立醍醐西小学校
- 京都市立北醍醐小学校
- 京都市立伏見板橋小学校
- 京都市立伏見南浜小学校
- 京都市立伏見住吉小学校
- 京都市立下鳥羽小学校
- 京都市立横大路小学校
- 京都市立納所小学校
- 京都市立向島小学校
- 京都市立向島藤の木小学校
- 京都市立神川小学校
- 京都市立久我の杜小学校
- 京都市立羽束師小学校
- 京都市立明親小学校
- 京都市立美豆小学校
- 私立
特別支援学校
編集- 国立
- 府立
- 市立
交通
編集鉄道
編集鉄道路線
編集- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- 近畿日本鉄道(近鉄)
- 京阪電気鉄道(京阪)
- 京阪本線:(至出町柳駅)← 伏見稲荷駅 - 龍谷大前深草駅 - 藤森駅 - 墨染駅 - 丹波橋駅 - 伏見桃山駅 - 中書島駅 - 淀駅 →(至淀屋橋駅)
- 宇治線:中書島駅 - 観月橋駅 - 桃山南口駅 - 六地蔵駅 →(至宇治駅)
地下鉄
編集バス
編集路線バス
編集- 京都市営バス - 運行は委託先の各社による。※詳細は京都市営バス横大路営業所を参照。
- かつては、醍醐支所北側に京都市営バス醍醐営業所があり、醍醐地域と京都市中心部を結ぶ路線を担当していたが、1997年10月12日に京都市営地下鉄東西線が開業したことにより醍醐営業所が廃止され、京都市営バスは醍醐地域から撤退した。
- 京阪バス ※詳細は京阪バス山科営業所および京阪バス洛南営業所を参照。
- 京都京阪バス
- 近鉄バス ※詳細は近鉄バス京都営業所を参照。
- 阪急バス - 羽束師・樋爪口・菱川地区および淀地区の一部のみ。※詳細は阪急バス大山崎営業所および阪急バス向日出張所を参照。
- 京都らくなんエクスプレス
- 醍醐コミュニティバス ※ヤサカバスも参照。
- 奈良交通 ※詳細は奈良交通京都営業所を参照。
道路
編集高速道路
編集- 西日本高速道路(NEXCO西日本)
国道
編集区内の一般国道の全てを国土交通省が直轄管理している。
府道
編集市内の主要地方道は81号八幡宇治線を除き京都市役所が、81号八幡宇治線は京都府庁(山城北土木事務所)がそれぞれ管理している。
- 京都府道7号京都宇治線 - 京都外環状線の一部を成す。
- 京都府道13号京都守口線
- 京都府道14号大阪高槻京都線(国道171号重複)
- 京都府道15号宇治淀線
- 京都府道35号大津淀線
- 京都府道36号大津宇治線
- 京都府道68号南インター竹田線
- 京都府道79号伏見柳谷高槻線 - 京都外環状線の一部を成す。
- 京都府道81号八幡宇治線
- 京都市道188号観月橋横大路線 - 京都外環状線の一部を成す。
- 一般府道
- 全線を京都市が管理している。
観光
編集受賞・選定
編集- かおり風景100選 - 「伏見の酒蔵」
- 行ってみたい、歩いてみたい、日本の100か所
- 遊歩百選 - 伏見地区
- 京都百景
- 京都美観風致賞・特別賞(1987年)
- 重要界わい景観整備地域(1997年)
- 京都市自然100選 - 「伏見濠川の柳並木」
名所・旧跡
編集- 伏見桃山陵 - 明治天皇の陵。
- 伏見桃山城
- 伏見港(伏見港公園、伏見みなと公園)
- 京都競馬場
- 伏見稲荷大社 - 稲荷神社の総本宮。
- 羽束師坐高御産日神社
- 與杼神社
- 城南宮
- 藤森神社
- 御香宮神社
- 醍醐寺 - 「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録。
- 宝塔寺 - 千仏堂で鬼子母神を祀り、伏見人形の発祥。
- 石峯寺 - 寺の境内裏山に伊藤若冲の五百羅漢がある。
- 長建寺
- 妙教寺 - 淀古城の一部であったと比定される。
- 大黒寺 - 寺田屋事件烈士の墓および、宝暦治水事件で自刃した平田靱負(薩摩藩家老)の墓が所在。
- 大善寺 - 京都六地蔵。
- 大日本大道教本部 - 日本の道教信仰と活動している道教系の宗教団体で伏見稲荷大社の隣に本部がある。
- 伏見の日本酒醸造関連遺産 - 近代化産業遺産
- 京セラ美術館
- キザクラカッパカントリー
- 十石舟・三十石船 - 濠川の遊覧船。
- 寺田屋 - 伏見港の船宿、寺田屋事件の舞台。
- 深草北陵
出身関連著名人
編集- 青松敬鎔(元プロ野球選手)
- 赤松真人(元プロ野球選手、広島東洋カープコーチ)
- ANARCHY(ヒップホップMC)
- 天野由梨(声優)
- 池上嘉彦(言語学者)
- 石原彪(プロ野球選手、東北楽天ゴールデンイーグルス所属)
- 泉里香(モデル・女優)
- 伊藤薫(女子プロレスラー、元全日本女子プロレス所属)
- 宇崎竜童(歌手・作曲家)
- 浦井のりひろ(お笑いタレント、男性ブランコメンバー)
- 大野雄大(プロ野球選手、中日ドラゴンズ所属)
- 岡崎雪聲(鋳造師・彫金家)
- 岡島秀樹(元プロ野球選手)
- 加藤和彦(音楽プロデューサー)
- 亀田温心(中央競馬騎手)
- 川畑泰史(吉本新喜劇座員)
- 木村政雄(元吉本興業常務取締役)
- 倖田來未(歌手・タレント)
- 小嶌久美子(マーケティングコンサルタント)
- 境直行(中央競馬調教師) 出生は熊本県。
- 相良茉優(声優)
- 佐々木美絵(アナウンサー)
- 清水けんじ(吉本新喜劇座員)
- しゃかりきヒロ)(お笑いタレント、しゃかりきメンバー)
- 鈴木えみ(モデル・女優)
- 武邦彦(競馬評論家) 出生は北海道函館市。
- 武宏平(元中央競馬調教師)
- 武豊(中央競馬騎手)
- 谷川俊太郎(詩人) 出生は東京府豊多摩郡杉並町。
- 千之赫子(女優)
- 土建屋よしゆき(ローカルタレント)
- 戸山為夫(元中央競馬調教師。旧淀町出身)
- 中島正純(政治家)
- 中西学(プロレスラー)
- 名高達男(俳優)
- 西阪慶眞(いけばな作家)
- 西垣仁貴 - プロバスケットボール選手(bjリーグ、富山グラウジーズ所属)
- 西口克己(小説家・政治家)
- 西村和彦(俳優)
- 西山翠嶂(日本画家)
- 服部利之(中央競馬調教師)
- 濱田達也(地方競馬騎手)
- 林成年(俳優)
- 土方鐵(作家、部落解放運動家)
- 菱田裕二(中央競馬騎手)
- 本田真凜(フィギュアスケート選手)
- 本田太一(フィギュアスケート選手)
- 本田望結(女優・フィギュアスケート選手)
- 本田紗来(子役・フィギュアスケート選手)
- 真砂勇介(プロ野球選手、福岡ソフトバンクホークス所属)
- 枡田慎太郎(元プロ野球選手)
- misono(歌手・タレント(倖田來未の実妹))
- 宮崎学(作家)
- 宮田笙子(体操選手)
- 村上春樹(作家)
- 森山栄治(福井県客員人権研究員、高浜町助役、関電プラント顧問)
- 山口俊比古(阪急阪神百貨店代表取締役社長)
- 山本秀(ラグビー選手、リコーブラックラムズ東京所属)
- 遊佐浩二(声優)※出生は大阪府
- 吉田敬(お笑いタレント、ブラックマヨネーズメンバー)
- 淀野隆三(フランス文学者)
- さがみゆき(漫画家)
- 草間リチャード敬太(タレント、Aぇ! group)
脚注
編集- ^ 浅井建爾『日本の道路がわかる辞典』(初版)日本実業出版社、2015年10月10日、132-134頁。ISBN 978-4-534-05318-3。
- ^ “伏見・桃山は江戸時代のタウンページで使われ定着した名称 歴史研究グループが発表”. 伏見経済新聞 (2016年11月19日). 2018年1月2日閲覧。
- ^ 日本人名大辞典 Plus, 朝日日本歴史人物事典,デジタル版. “美濃屋太郎左衛門(みのや・たろうざえもん)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年11月11日閲覧。
- ^ “株式会社タニチ(寒天の由来・歴史)”. www.tanichi.jp. 2024年11月11日閲覧。
- ^ 京・伏見学叢書第3巻『伏見の現代と未来』(聖母女学院短期大学伏見学研究会編)あとがき ISBN 4-7924-0577-7, 清文堂出版.
- ^ この時、京都市は宇治郡宇治村にも京都市への編入を打診していたほか、笠取村は京都市への編入を希望していたが、いずれも実現しなかった。※詳しくは、宇治市#合併を参照。
- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、83頁。ISBN 9784816922749。
- ^ 他区から伏見区へ転入した来られた方、伏見区内で転居された方 - 京都市 伏見区役所(2011年1月13日閲覧)
- ^ 区役所・支所・出張所の管轄区域 - 京都市 伏見区役所(2011年1月13日閲覧)
- ^ 伏見区役所・支所各課案内 - 京都市 伏見区役所(2011年1月13日閲覧)
- ^ 2019年現在人口の多い順に、横浜市港北区、福岡市東区、岡山市北区、仙台市青葉区、横浜市青葉区、横浜市鶴見区、札幌市北区、相模原市南区、横浜市戸塚区、京都市伏見区。
- ^ 区内の各地域は、京都市への編入前には4つの郡に属していた(淀のうち美豆は綴喜郡だったので厳密には5つ)。※詳しくは、#歴史を参照。
- ^ 警察もおなじ山科警察署の管轄である
関連項目
編集外部リンク
編集- 京都市伏見区 - 京都市情報館(京都市役所公式サイト)