伏見区

京都府京都市の行政区
伏見から転送)

伏見区(ふしみく)は、京都市を構成する11の行政区の1つで、京都市の南部に位置する。

ふしみく ウィキデータを編集
伏見区
伏見稲荷大社の千本鳥居
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府
京都市
市町村コード 26109-2
面積 61.68km2
総人口 270,511[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 4,386人/km2
隣接自治体
隣接行政区
京都市山科区東山区南区
向日市長岡京市八幡市宇治市乙訓郡大山崎町久世郡久御山町
滋賀県大津市
伏見区役所
所在地 612-8511
京都府京都市伏見区鷹匠町39番地の2
北緯34度56分10秒 東経135度45分41秒 / 北緯34.93611度 東経135.76139度 / 34.93611; 135.76139座標: 北緯34度56分10秒 東経135度45分41秒 / 北緯34.93611度 東経135.76139度 / 34.93611; 135.76139
伏見区総合庁舎
地図
外部リンク 京都市伏見区役所
伏見区位置図
ウィキプロジェクト

概要

編集

日本書紀』に「深草屯倉」とその名前の現れる深草では、京都盆地の中でもいち早く水稲耕作が始まり、稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社が渡来系豪族の秦氏によって創建される。桃山のかつて巨椋池を一望する観月の名所であった指月には、平安時代橘俊綱が伏見山荘を構え、のちに栄仁親王に始まる伏見宮家代々の相伝地の伏見荘があったが戦国時代に荒廃する。

そして安土桃山時代豊臣秀吉によって伏見には中央政治都市が確立する。秀吉がこの地で生涯を閉じるまでの間に伏見城大名屋敷群が整備され、淀川沿いに西に広がる傾斜地の大手筋を軸として、東の六地蔵から西の三栖、北は深草の七瀬川付近、南は宇治川対岸の向島までも城下に取り込み、大きさは東西に約4km、南北に約6kmという広範囲に城下町伏見が形成される。また、徳川幕府初期にも伏見城下には最初の銀座が置かれ、徳川家康から三代家光までの将軍宣下も伏見城で行われるなど幕府の政治拠点であった。

伏見城廃城後も上方郡代伏見奉行が置かれ、淀川水運の重要な港町(伏見港)・宿場町(伏見宿)としても栄えるなど、昭和初期までは京都とは独立した別の都市であった。幕末期に、坂本龍馬をはじめとする討幕の志士たちが活躍した地としても知られる[1]。京都との間は街道や高瀬川で結ばれ、特に京町通につながる伏見街道(直違橋通)には墨染から五条通まで家屋が途切れることなく続いていた。明治には鴨川運河や鉄道も早期に開通し、各地から京都への物資を運んだほか酒造などの産業も盛んであった。

1931年(昭和6年)に京都市に編入されて誕生した伏見区には、深草・伏見以外にも、淀藩の城下町として栄えたや、醍醐寺が建つ醍醐などの地区が含まれ、以後は周囲も市街地化が進む。京都市の11区の中でも最多の人口を擁し、城下町の伝統を受け継ぐ商業拠点である一方、ベッドタウンとしての性格を持ち、「京都の郊外」という色も濃くなっている。西部や南部は淀川水系の低地、中央には東山から続く稲荷山桃山丘陵、東部の山間部は滋賀県境まで続いている。

なお、伏見城のあった桃山の地名は、織田・豊臣政権期の時代区分「安土桃山時代」や、その文化「桃山文化」などの呼称の元となっているが、江戸時代の『伏見鑑』が発行されたころから固定・広まったとされている[2]。現在は住宅地としても利用されているが、大部分は桃山御陵の広大な緑地が広がり、酒造に用いられる豊富な伏流水の水源となっている。

地理

編集

地形

編集

山地

編集
主な山

河川

編集
主な川

地域

編集

区を構成する町:京都市伏見区の町名

人口

編集
伏見区の人口の推移
1970年(昭和45年) 190,569人
1975年(昭和50年) 230,346人
1980年(昭和55年) 257,156人
1985年(昭和60年) 274,938人
1990年(平成2年) 280,276人
1995年(平成7年) 285,961人
2000年(平成12年) 287,909人
2005年(平成17年) 285,419人
2010年(平成22年) 284,085人
2015年(平成27年) 280,655人
2020年(令和2年) 277,858人
総務省統計局 国勢調査より

隣接自治体・行政区

編集
 京都府
 滋賀県

歴史

編集

古代

編集

古墳時代

編集

飛鳥時代

編集
  • 皇極天皇2年(643年) - 『日本書紀』皇極天皇2年11月1日条の記事中に「深草屯倉」の記載があり、この屯倉上宮王家が所有し秦氏が管理経営していたとされる。

奈良時代

編集
 
白河天皇陵(成菩提院陵)

平安時代

編集

中世

編集

鎌倉時代

編集

南北朝時代

編集

室町時代

編集

近世

編集

安土桃山時代

編集
 
伏見銀座跡碑(京都市伏見区銀座町)

江戸時代

編集
 
寒天発祥之地碑(京都市伏見区御駕籠町)

近代

編集

明治時代

編集
 
「電気鉄道事業発祥の地」碑(京都市伏見区下油掛町)

大正時代

編集

近現代

編集

昭和時代

編集
  • 1929年昭和4年)5月1日 - 伏見町が京都府下で2番目に市制を施行して伏見市が成立した。しかし、これは京都市への編入を前提とした市制施行であった[5]
  • 1931年(昭和6年)4月1日 - 伏見市、紀伊郡深草町、下鳥羽村、横大路村、納所村、堀内村、向島村、竹田村、宇治郡醍醐村の1市1町7村が、京都市に編入された。自治体としての伏見市は消滅し、1市1町7村の区域をもって京都市の行政区としての(2代目)伏見区となった(右京区と同日)[6]
  • 1950年(昭和25年)
  • 1957年(昭和32年)4月1日 - 久世郡淀町を編入する。
  • 1967年(昭和42年) - 伏見港公園が都市計画決定。港湾としての歴史が名実ともに終結した。

政治

編集

行政

編集

役所

編集
区役所・支所

区役所のほか、2つの支所が設置されている。なお、住民登録や行政事務はそれぞれで独自に行われており、区内相互間で住所地を移した場合でも管轄区域をまたぐ場合は転出入に関わるそれぞれの区役所または支所・出張所で手続きをする必要がある[8]ほか、証明書についても管轄の区役所または支所・出張所でしか発行できない物もある。

区役所・支所および出張所と管轄区域は以下のとおり[9][10]

  • 伏見区役所 - 各支所・出張所が管轄しない地域を管轄する。鷹匠町に所在。
  • 深草支所 - 深草を管轄する。深草向畑町に所在。
  • 醍醐支所 - 醍醐・日野・石田・小栗栖を管轄する。醍醐大構町に所在。
  • 神川出張所 - 久我・羽束師を管轄する。久我東町に所在。
  • 淀出張所 - 淀・納所および葭島渡場島町・向島又兵衛を管轄する。淀池上町に所在。

分区問題

編集

伏見区は全国の政令指定都市行政区の中で上位10位[11]に入る人口を有する行政区である。

人口が多いことや区域が広いこと、区域内での繋がりが必ずしも深くはない[12]ことなどから、昔から分区構想がたびたび出ている。

区内の行政管轄は区役所の直轄区域を除くと深草支所・醍醐支所・神川出張所・出張所に分かれているが、主な分区構想では、このうち深草支所と醍醐支所管内を伏見区から分離させるものである。しかし、深草支所管内および醍醐支所管内とも人口は10万人にも満たない(それでも東山区よりは人口が多い)ほか、両地域は隣接してはいるものの間に大岩山を挟むなど地域的な結びつきが希薄であることもあって、分区の機運が盛り上がらない要因の1つとなっている。

なお、醍醐支所管内は伏見区中心部よりも地形的、歴史的に同じ宇治郡だった山科区との結びつきの方が圧倒的に強い[13]ため、同管内のみを分離して山科区に編入する方が合理的とする考え方もある。

施設

編集

行政機関

編集

国の機関

編集
国税庁
厚生労働省
  • 京都南労働基準監督署
  • ハローワーク伏見(伏見公共職業安定所)
法務省

郵便局

編集

日本郵政グループのうち、集配郵便局および担当地域は以下のとおり。

警察署

編集

下記は区外に所在するが、伏見区の一部も所轄区域に入っている。

経済

編集
 
左から、月桂冠大倉記念館・大倉家本宅・月桂冠旧本社
 
黄桜・キザクラカッパカントリー清酒工房
 
松本酒造
 
京セラ本社ビル

第一次産業

編集

農業

編集

伏見区の西部・南部に水田が広がる。

第二次産業

編集

伝統的な日本酒の名産地として知られるほか、先進的なエレクトロニクス産業やそれをサポートする資材製造の事業所が見受けられる。

工業

編集

油小路通(通称は「新油小路通」「新堀川通」)沿いはらくなん進都の地域名で京都市が産業集積を推進している。沿道には京都パルスプラザ(京都府総合見本市会館)があり、様々な業種による見本市や発表会が頻繁に開催されており、京都の産業を対外的にPRする拠点として重視されている。

先端技術分野の世界的企業である京セラおよび村田機械の本社が所在している。

この他、創味食品の本社工場や、愛媛県八幡浜市に本社がある菓子メーカーあわしま堂の工場も所在する。

醸造業

編集

以下は、区内に所在する日本酒の蔵元の一覧である。なお、この中には全国に販路を持つ企業も複数ある。日本酒の銘柄一覧#京都府も参照。

※伏見城跡を開墾した吉村家の末裔と言われる吉村酒造は、2000年に本拠地を兵庫県新温泉町へ移転している。

第三次産業

編集

商業

編集

小規模の店舗は旧来からの街区に多い。一方、国道1号や油小路通沿線には郊外型の大規模小売店および飲食店や娯楽場が多く立地している。

拠点を置く企業

編集

上場企業

編集

教育・研究機関

編集
 
京都教育大学

大学

編集
国立
私立
外国大学の日本校

高等学校

編集
国立
府立
市立
私立

義務教育学校

編集
公立
  • 向島秀蓮小中学校

中学校

編集
国立
市立
私立

小学校

編集

醍醐一ノ切、二ノ切、および三ノ切の児童は滋賀県大津市への依託により、通学に便利な大津市立石山小学校および大津市立石山中学校に通学する。

国立
市立
私立

特別支援学校

編集
国立
府立
市立

交通

編集

鉄道

編集

鉄道路線

編集
西日本旅客鉄道(JR西日本)
近畿日本鉄道(近鉄)
京阪電気鉄道(京阪)

地下鉄

編集
京都市営地下鉄

バス

編集

路線バス

編集

道路

編集

高速道路

編集
西日本高速道路(NEXCO西日本)

国道

編集

区内の一般国道の全てを国土交通省が直轄管理している。

府道

編集
主要地方道

市内の主要地方道は81号八幡宇治線を除き京都市役所が、81号八幡宇治線は京都府庁(山城北土木事務所)がそれぞれ管理している。

一般府道
全線を京都市が管理している。

観光

編集
 
伏見濠川の柳並木
 
伏見稲荷大社
 
伏見城の模擬天守と小天守
 
御香宮神社
 
寺田屋

受賞・選定

編集
  • かおり風景100選 - 「伏見の酒蔵」
  • 行ってみたい、歩いてみたい、日本の100か所
  • 遊歩百選 - 伏見地区
  • 京都百景
  • 京都美観風致賞・特別賞(1987年)
  • 重要界わい景観整備地域(1997年)
  • 京都市自然100選 - 「伏見濠川の柳並木」

名所・旧跡

編集

出身関連著名人

編集

脚注

編集
  1. ^ 浅井建爾『日本の道路がわかる辞典』(初版)日本実業出版社、2015年10月10日、132-134頁。ISBN 978-4-534-05318-3 
  2. ^ 伏見・桃山は江戸時代のタウンページで使われ定着した名称 歴史研究グループが発表”. 伏見経済新聞 (2016年11月19日). 2018年1月2日閲覧。
  3. ^ 日本人名大辞典 Plus, 朝日日本歴史人物事典,デジタル版. “美濃屋太郎左衛門(みのや・たろうざえもん)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年11月11日閲覧。
  4. ^ 株式会社タニチ(寒天の由来・歴史)”. www.tanichi.jp. 2024年11月11日閲覧。
  5. ^ 京・伏見学叢書第3巻『伏見の現代と未来』(聖母女学院短期大学伏見学研究会編)あとがき ISBN 4-7924-0577-7, 清文堂出版.
  6. ^ この時、京都市は宇治郡宇治村にも京都市への編入を打診していたほか、笠取村は京都市への編入を希望していたが、いずれも実現しなかった。※詳しくは、宇治市#合併を参照。
  7. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、83頁。ISBN 9784816922749 
  8. ^ 他区から伏見区へ転入した来られた方、伏見区内で転居された方 - 京都市 伏見区役所(2011年1月13日閲覧)
  9. ^ 区役所・支所・出張所の管轄区域 - 京都市 伏見区役所(2011年1月13日閲覧)
  10. ^ 伏見区役所・支所各課案内 - 京都市 伏見区役所(2011年1月13日閲覧)
  11. ^ 2019年現在人口の多い順に、横浜市港北区、福岡市東区、岡山市北区、仙台市青葉区、横浜市青葉区、横浜市鶴見区、札幌市北区、相模原市南区、横浜市戸塚区、京都市伏見区。
  12. ^ 区内の各地域は、京都市への編入前には4つのに属していた(淀のうち美豆は綴喜郡だったので厳密には5つ)。※詳しくは、#歴史を参照。
  13. ^ 警察もおなじ山科警察署の管轄である

関連項目

編集

外部リンク

編集