仙石原村
日本の神奈川県足柄下郡にあった村
仙石原村(せんごくはらむら)は、神奈川県の西部、足柄下郡にあった村。
せんごくはらむら 仙石原村 | |
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廃止日 | 1956年9月30日 |
廃止理由 |
新設合併 湯本町、温泉村、宮城野村、仙石原村、箱根町 → 箱根町 |
現在の自治体 | 箱根町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 神奈川県 |
郡 | 足柄下郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,291人 (国勢調査、1955年10月1日) |
隣接自治体 | 神奈川県足柄下郡宮城野村、箱根町、足柄上郡南足柄町、静岡県御殿場市、駿東郡小山町、深良村 |
仙石原村役場 | |
所在地 | 神奈川県足柄下郡仙石原村 |
座標 | 北緯35度16分11秒 東経139度00分39秒 / 北緯35.26972度 東経139.01081度座標: 北緯35度16分11秒 東経139度00分39秒 / 北緯35.26972度 東経139.01081度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集神奈川県の西部に位置し、中央を東西に早川が流れる。
歴史
編集→地名の由来については「仙石原」を参照
沿革
編集前史
編集- 1626年(寛永3年) - 箱根裏街道監視のため、関所が設置された[1]。これにより、周辺の山々は御要害山として立ち入り禁止になり、薪・カヤの伐採も禁止された[2]。
- 1670年(寛文10年) - 駿河国駿東郡深良村へ芦ノ湖の水を落とす箱根掘貫工事が完成する。
- 1736年(元文元年)ころ - 大涌谷からの引き湯が始まる。
- 1872年(明治5年) - 江川英武が、村民共有地を300円で買い上げ県有地とする。
- 甲斐国から人を入れて開墾するも、成功せず。
- 1873年(明治6年)9月5日 - 字大地獄を大涌谷へ改称する[3]。
- 1880年(明治13年) - 渋沢栄一と益田孝へ県有地の原野750町を払い下げる。渋沢と益田は、牧場「耕牧舎」を経営し、従弟の須永伝蔵を責任者として開拓に着手する。
村発足後
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、仙石原村が成立。大字は編成せず。同時に所属郡が足柄上郡から足柄下郡に変更された。
- 1891年(明治24年) - 上湯・下湯に温泉旅館が建ち、観光開発が始まる。
- 1896年(明治29年) - 水飢饉により、地元民が箱根用水の水確保のために設けられていた湖尻逆川堰止めを破壊する「逆川事件」が発生し、芦ノ湖の水利権訴訟が始まる。
- 1898年(明治31年) - 大審院が「逆川事件」の訴えを棄却し、芦ノ湖の慣行水利権は静岡県深良村外6か村水利組合が有することとなる。
- 1904年(明治37年) - 「耕牧舎」責任者の須永伝蔵が死去し、「耕牧舎」は営業を廃止。350町を仙石原村に寄付する。
- 渋沢と増田は、大涌谷の温泉を利用し、仙石原の再開発を計画した。
- 1912年(明治45年) - 大涌谷から俵石までの引湯工事が行われる。
- 1914年(大正3年) - 俵石閣が開業する。
- 1917年(大正6年) - 富士屋ホテルの山口正造が、ゴルフ場(後の富士屋ホテル仙石ゴルフクラブ)を開設する。
- 1930年(昭和5年)9月17日 - 耕牧舎関係者と大倉組代表者が発起人となり、箱根温泉供給株式会社が発足[4]。大規模な給湯がはじまり、大涌谷から仙石原へ造成温泉が引湯される。
経済
編集産業
編集交通
編集道路
編集- 県道箱根御殿場線 - 現在の国道138号
- 県道仙石原元箱根線 - 現在の神奈川県道75号湯河原箱根仙石原線
- 県道仙石原山北線 - 現在の神奈川県道731号矢倉沢仙石原線
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
編集脚注
編集- ^ 『神奈川県史』
- ^ 『東海道箱根宿関所史料集』
- ^ 同日、太政官達「相州足柄上郡仙石原村ノ内字大地獄ヲ大涌谷同国足柄下郡底倉村ノ内字小地獄ヲ小涌谷ト改称」 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “箱根温泉供給株式会社”. 2021年7月10日閲覧。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、100頁。ISBN 978-4-10-320523-4。