京都紫光サッカークラブ
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京都紫光サッカークラブ(きょうとしこう サッカークラブ、Kyoto Shiko Soccer Club、京都紫光クラブ)について、以下の2つがあり、それぞれこの記事内で記載する。
- かつて存在した日本のサッカークラブ。1922年に京都府師範学校のOBのサッカークラブとして創部した。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟する京都サンガF.C.の前身となったクラブ。→詳細は「§ 京都紫光クラブ(1922年 - 1993年)」を参照
- 上記の京都紫光クラブから分かれる形で発足したサッカークラブ。→詳細は「§ 京都紫光サッカークラブ」を参照
京都紫光クラブ(1922年 - 1993年)
編集京都紫光クラブ | |
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原語表記 | 京都紫光クラブ |
愛称 | 紫光、紫光クラブ |
クラブカラー | 紫 |
創設年 | 1922年 |
解散年 | 1993年 |
ホームタウン | 京都府京都市 |
ホームスタジアム | 京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場 |
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
概要
編集1922年、京都師範学校のOBが中心となって蹴球団が創設[1] されたが、その後に消滅した[2]。1937年、「京都紫郊クラブ」の名称で再発足した[2]。
1953年、第8回国民体育大会に参加(初の国体出場)して教員の部で準優勝した[2]。1954年に京都紫光クラブに改称した[1]。1956年に天皇杯に初出場したが、初戦(1回戦)で中大クラブに敗退。1958年から教員以外の入部を受け入れて、教員クラブから市民クラブとなった[2]。
1965年に創設された関西サッカーリーグに参加。また、この年に創設された全国社会人サッカー選手権大会(以下「全社」)の第1回大会に出場した。 関西サッカーリーグ参加以前は部員の自費で活動費用を賄っていたが、リーグ参加による遠征等の増加により、クラブ運営費が増加したことを契機に、運営費確保のため、サッカースクール事業を開始する。京都府立山城高等学校サッカー部の監督を務めた森貞男、選手の嶋谷征四郎らが中心となり、山城高校サッカー部の練習前に地元の小学生を対象に指導を行い、[3]松山吉之、松山博明、奥野僚右ら、多数のJリーガーを輩出した。 1969年に関西リーグで初優勝した。1972年、日本サッカーリーグの2部発足に伴って参加[1]。1974年、全国リーグ参戦によるクラブ運営費の高騰を受け、嶋谷の友人である長澤紙化工業株式会社(現: 株式会社エヌワホン)社長の長澤浩三が資金援助を開始した[3]。1976年の第56回天皇杯全日本サッカー選手権大会で山口教員団(現:レノファ山口FC)を破って天皇杯初勝利を挙げた。1977年、第2回JSLカップでベスト8に入った。
1978年、JSL2部で最下位に終わった。また、JSL2部・地域リーグ入替戦でヤマハ発動機(現:ジュビロ磐田)に敗北して関西リーグに降格した。1979年に関西リーグで優勝。初出場となった全国地域サッカーリーグ決勝大会は決勝ラウンド2位の成績を収めたが、JSL2部・地域リーグ入替戦は帝人に敗れた。
1988年に中央防犯(現:アビスパ福岡)やマツダオート広島などを破り、全社で初優勝。関西リーグで4度目の優勝。全国地域サッカーリーグ決勝大会は東京ガス(現:FC東京)や読売サッカークラブ・ジュニオールに競り勝って、決勝ラウンド2位の成績。1989年にJSL2部に再昇格した。
1992年、ジャパンフットボールリーグ(JFL)発足に伴い、JFL2部に参加。JFL2部で準優勝してJFL1部へ昇格。 1993年に長澤紙化工業株式会社の関連会社である株式会社教育研究社(2004年8月解散)が正式に母体となり、クラブ名称を教育研究社FC京都パープルサンガに変更[1]。プロ契約ではない選手の多くは、練習後に株式会社教育研究社で勤務した。8月10日、弁護士の桂充弘とクラブのメンバーらが中心となり、「京都にJリーグを」市民の会が設立された[4]。市民の会が実施した署名活動では、約25万人の署名が集まった。市民の会が経済界に働きかけて、11月27日、京セラを中心とした運営会社を発足し、株式会社教育研究社から正式にクラブの運営権が継承されることが決定した[5]。
1994年1月11日、運営会社となる「株式会社京セラパープルサンガ」が設立。資本金は18億2,000万円で、その内の京セラが10億円、任天堂が3億円を出資した[5]。また、クラブ名称を「京都パープルサンガ」とすることも決定し、6月に名称が変更された[1]。
成績
編集年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 負 | 得点 | 失点 | 差 | 天皇杯 | JSLカップ | 監督 |
1956 | 1回戦敗退 | - | |||||||||||
1957 | 1回戦敗退 | ||||||||||||
1958 | 1回戦敗退 | ||||||||||||
1959 | 1回戦敗退 | ||||||||||||
1960 | 1回戦敗退 | ||||||||||||
1962 | 1回戦敗退 | ||||||||||||
1966 | 関西 | 2位 | 11 | 7 | 5 | 1 | 1 | 25 | 11 | 14 | オープン化前 | ||
1967 | 2位 | 9 | 7 | 4 | 1 | 2 | 17 | 7 | 10 | 今大路仟 | |||
1968 | 4位 | 8 | 7 | 4 | 0 | 3 | 10 | 9 | 1 | ||||
1969 | 優勝 | 16 | 14 | 5 | 6 | 3 | 23 | 15 | 8 | ||||
1970 | 6位 | 11 | 14 | 4 | 3 | 7 | 17 | 33 | -16 | ||||
1971 | 優勝 | 24 | 14 | 12 | 0 | 2 | 43 | 12 | 31 | 嶋谷征四郎 | |||
1972 | JSL2部 | 4位 | 17 | 18 | 7 | 3 | 8 | 26 | 31 | -5 | 地区予選敗退 | ||
1973 | 7位 | 14 | 18 | 5 | 4 | 9 | 31 | 35 | -4 | 2回戦敗退 | |||
1974 | 3位 | 22 | 18 | 9 | 4 | 5 | 27 | 20 | 7 | 地区予選敗退 | |||
1975 | 6位 | 15 | 18 | 5 | 5 | 8 | 18 | 20 | -2 | ||||
1976 | 9位 | 11 | 18 | 3 | 5 | 10 | 11 | 25 | -14 | 2回戦敗退 | グループ敗退 | ||
1977 | 6位 | 31 | 18 | 5 | 4PK勝 3PK敗 | 6 | 26 | 37 | -11 | 地区予選敗退 | ベスト8 | ||
1978 | 10位 | 8 | 18 | 1 | 1PK勝 2PK敗 | 14 | 15 | 51 | -36 | グループ敗退 | |||
1979 | 関西 | 優勝 | 29 | 18 | 12 | 5 | 1 | 50 | 23 | 27 | - | ||
1980 | 5位 | 19 | 18 | 8 | 3 | 7 | 33 | 18 | 15 | 板谷照夫 | |||
1981 | 4位 | 20 | 18 | 8 | 4 | 6 | 23 | 23 | 0 | ||||
1982 | 4位 | 19 | 18 | 8 | 3 | 7 | 26 | 21 | 5 | 江見敏夫 | |||
1983 | 5位 | 17 | 18 | 5 | 7 | 6 | 20 | 22 | -2 | 木村文治 | |||
1984 | 6位 | 15 | 16 | 5 | 5 | 6 | 20 | 20 | 0 | ||||
1985 | 4位 | 16 | 16 | 6 | 4 | 6 | 24 | 20 | 4 | ||||
1986 | 2位 | 24 | 18 | 9 | 6 | 3 | 39 | 21 | 18 | ||||
1987 | 5位 | 19 | 18 | 7 | 5 | 6 | 34 | 20 | 14 | ||||
1988 | 優勝 | 24 | 15 | 11 | 2 | 2 | 31 | 10 | 21 | ||||
1989-90 | JSL2部 | 4位 | 60 | 30 | 17 | 9 | 4 | 61 | 28 | 33 | 1回戦敗退 | 1回戦敗退 | |
1990-91 | 13位 | 31 | 30 | 8 | 7 | 15 | 42 | 62 | -20 | 地区予選敗退 | 1回戦敗退 | ||
1991-92 | 14位 | 22 | 30 | 5 | 7 | 18 | 21 | 57 | -36 | 1回戦敗退 | 1回戦敗退 | 来栖孝治 | |
1992 | JFL2部 | 2位 | 37 | 18 | 11 | 4 | 3 | 39 | 17 | 22 | 2回戦敗退 | - | |
1993 | JFL1部 | 10位 | - | 18 | 2 | - | 16 | 20 | 52 | -32 | 地区予選敗退 | 高間武 |
主な成績・タイトル
編集- リーグ戦
- ジャパンフットボールリーグ2部
- 準優勝 : 1回 (1992)
- 関西サッカーリーグ
- 優勝 : 4回 (1969, 1971, 1979, 1988)
- 準優勝 : 3回 (1966, 1967, 1986)
- カップ戦
- 全国社会人サッカー選手権大会
- 優勝 : 1回 (1988)
京都紫光サッカークラブ
編集京都紫光サッカークラブ | |
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原語表記 | 京都紫光サッカークラブ |
呼称 | 京都紫光クラブ |
愛称 | 紫光、紫光クラブ |
クラブカラー | 紫 |
創設年 | 1994年 |
所属リーグ | 関西サッカーリーグ |
所属ディビジョン | 2部 |
ホームタウン | 京都府京都市 |
ホームスタジアム |
京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場 太陽が丘陸上競技場 洛西浄化公園球技場 |
収容人数 |
20,688(西京極陸) 7,000(太陽丘陸) |
運営法人 | 一般社団法人京都紫光サッカークラブ |
代表者 | 豊浦太郎 |
監督 | 井上雄貴 |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
団体種類 | 一般社団法人 |
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設立 | 2013年 |
所在地 |
京都府京都市北区衣笠東御所ノ内町60 シマスポーツ2F 北緯35度2分20.1秒 東経135度44分6.8秒 / 北緯35.038917度 東経135.735222度座標: 北緯35度2分20.1秒 東経135度44分6.8秒 / 北緯35.038917度 東経135.735222度 |
法人番号 | 5130005013698 |
活動地域 | 京都府 |
活動内容 | サッカーを中心とする生涯スポーツ全般の普及 |
ウェブサイト | http://www.kyoto-shiko.com |
概要
編集サンガ(その後の沿革は当項目を参照)の運営会社発足を機に、アマチュアとして選手活動を続けていく選手は2つのサッカーチームに分かれた。
1つは練習生の受け入れ先となった教育研究社FC。
もう1つは従来通りのあり方で活動を続けて行こうとしたメンバーにより設立された「京都紫光サッカークラブ」である(以下、社会人チームと称する)。再設立から一貫して企業母体を持たず、参加者から活動費を集めて運営している。
3種・4種年代(以下、少年団と称する)はサンガ運営会社発足後、紫光クラブの名前を残したままサンガの下部組織として活動を行っていたが、サンガが独自に3種・4種年代の組織を構成したことにより関係が消滅した。
1996年には、少年団側で女子チームが誕生した。
新規に発足した社会人チームと、旧来から活動を行っていた少年団は名前は同じでありながら別団体として長年の間、活動を続けていたが、2005年、シニアチームが発足。同年に、社会人チームの監督の小池正樹・豊浦太郎らを中心に、組織の一体化へ向けた活動が開始。2013年に、一般社団法人 京都紫光サッカークラブが発足した。
2013年頃に「創設100年となる2022年にJリーグで京都ダービーを実現するべく、近い将来のJ3参入を目指す」と宣言していたが、現在はJリーグ参入を目標として宣言していない。
チーム構成
編集- トップチーム
- シニアチーム
- 女子チーム
- 紫光サッカーキッズ (幼児から小学校6年生)
- ジュニアユース(U-15、U-14、U-13)
- ジュニア
- 小学校高学年(U-12, 11, 10)
- 低学年・幼児(U-9, 8, 7, 6)
トップチームの成績
編集年度 | カテゴリ | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 負 | 得点 | 失点 | 得失 | 監督 |
1994 | 京都府4部 | ||||||||||
1995 | 京都府3部 | ||||||||||
1996 | 京都府2部 | ||||||||||
1997 | 京都府1部 | ||||||||||
1998 | 関西 | 7位 | 21 | 18 | 6 | 3 | 9 | 32 | 52 | -30 | 安田一雅 |
1999 | 9位 | 25 | 16 | 7 | 4 | 5 | 29 | 30 | -1 | ||
2000 | 2位 | 32 | 18 | 9 | 5 | 4 | 32 | 21 | 11 | ||
2001 | 7位 | 21 | 18 | 7 | 0 | 11 | 24 | 31 | -7 | ||
2002 | 7位 | 16 | 13 | 5 | 1 | 7 | 21 | 24 | -3 | ||
2003 | 9位 | 12 | 18 | 3 | 3 | 12 | 25 | 54 | -29 | ||
2004 | 9位 | 20 | 20 | 6 | 2 | 12 | 26 | 51 | -25 | 小池正樹 | |
2005 | 関西2部 | 2位 | 30 | 14 | 10 | 0 | 4 | 36 | 23 | 13 | |
2006 | 関西1部 | 7位 | 12 | 14 | 3 | 3 | 8 | 20 | 30 | -10 | |
2007 | 関西2部 | 4位 | 20 | 14 | 5 | 5 | 4 | 34 | 26 | 8 | |
2008 | 3位 | 27 | 14 | 9 | 0 | 5 | 33 | 23 | 10 | ||
2009 | 3位 | 25 | 14 | 8 | 1 | 5 | 26 | 25 | 1 | 小池正樹 / 豊浦太郎 | |
2010 | 5位 | 18 | 14 | 5 | 3 | 6 | 17 | 29 | -12 | 豊浦太郎 | |
2011 | 3位 | 22 | 14 | 7 | 4 | 3 | 38 | 22 | 16 | ||
2012 | 7位 | 6 | 14 | 2 | 0 | 12 | 7 | 44 | -37 | 児島伸章 | |
2013 | 5位 | 15 | 14 | 4 | 3 | 7 | 25 | 36 | -11 | ||
2014 | 7位 | 12 | 14 | 3 | 4 | 7 | 11 | 24 | -13 | ||
2015 | 優勝 | 29 | 14 | 8 | 5 | 1 | 39 | 14 | 25 | ||
2016 | 関西1部 | 8位 | 3 | 14 | 1 | 0 | 13 | 11 | 38 | -27 | |
2017 | 関西2部 | 6位 | 17 | 14 | 4 | 5 | 5 | 16 | 22 | -6 | |
2018 | 4位 | 21 | 14 | 6 | 3 | 5 | 26 | 20 | 6 | ||
2019 | 3位 | 27 | 14 | 9 | 0 | 5 | 26 | 16 | 10 | ||
2020 | 3位 | 14 | 7 | 4 | 2 | 1 | 15 | 10 | 5 | ||
2021 | 6位 | 15 | 16 | 4 | 3 | 9 | 17 | 30 | -13 | 小辻一巳 | |
2022 | 7位 | 19 | 18 | 5 | 4 | 9 | 20 | 31 | -11 | 中田顕斗 | |
2023 | 5位 | 21 | 14 | 6 | 3 | 5 | 24 | 21 | 3 | 井上雄貴 |
タイトル
編集リーグ戦
編集- 関西サッカーリーグ2部:1回
- 2015年
所属選手・スタッフ
編集- 2024年
スタッフ
編集役職 | 氏名 | 前職 | 備考 |
監督 | 井上雄貴 | レイジェンド滋賀FC 選手 | |
コーチ | 小辻一巳 | 京都紫光サッカークラブ テクニカルディレクター | |
アシスタントコーチ | 渡部聡 | 京都紫光サッカークラブ 選手 | |
アシスタントコーチ | 松井啓悟 | 京都紫光サッカークラブ 選手 | |
アシスタントコーチ | 中路明俊 | 京都紫光サッカークラブ コーチングスタッフ |
選手
編集Pos | No. | 選手名 | 前所属 | 備考 |
GK | 1 | 上村一真 | 京都橘高校 | |
19 | 浅野裕也 | レイジェンド滋賀FC | ||
21 | 松山凌大 | 大阪大学 | ||
DF | 2 | 中屋敷竜樹 | 追手門学院大学 | |
4 | 齋藤大雅 | 静岡学園高校 | ||
6 | 高井大輔 | FC TIAMO枚方 | ||
13 | 中原健太朗 | FC BLUEV大阪 | ||
22 | 山田英生 | F.C.クラックス | ||
27 | 今津遼太郎 | 桃山学院大学 | ||
30 | 矢谷心 | 追手門学院大学 | ||
MF | 5 | 島里将伍 | 追手門学院大学 | |
7 | 武田侑也 | HI-LITE | ||
8 | 出原怜 | ワコール京都セレソンFC | ||
10 | 日置友輔 | エリース東京FC | ||
11 | 玉置裕大 | 京都産業大学 | ||
14 | 中田顕斗 | 立命館大学 | ||
17 | 日置岳人 | 大阪教育大学 | ||
18 | 上地健介 | 龍谷大学 | ||
23 | 稲垣空斗 | 京都産業大学 | ||
25 | 吉成遥斗 | 水戸ホーリーホックユース | ||
26 | 大澤涼 | A.C.Compare | ||
37 | 日浦一樹 | 京都伏見蹴友会 | ||
39 | 大川昂佑 | 大阪セントラルFC | ||
FW | 9 | 藤川直己 | 東海大学付属大阪仰星高校 | |
15 | 竹山仁貴 | 追手門学院大学 | ||
20 | 西條光貴 | 三ツ葉キッカーズA | ||
28 | 田中康汰朗 | 立命館大学 |
歴代所属選手
編集
ユニフォーム
編集
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| ||||||||||||||||||||
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ユニフォームスポンサー
編集掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | なし | SHIKō | - | |
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背中上部 | Atlantic Century | ATLANTIC CENTURY |
2023年 - | 2013年 - 2015年は背中上部、2016年 - 2022年は胸 2013年 - 2014年は「ACCW.net」(1st.)、「ACCW.hk」(2nd.)表記 2015年 - 2022年は「Atlantic Century Possibilité à l'avenir」表記 |
背中下部 | なし | - | - | |
袖 | デシリットル・ファクトリー | ネーポン | 2013年 - | 2013年 - 2017年は「pontab」、2018年 - 2022年は「ざつむちゃん」表記 |
パンツ | なし | - | - |
ユニフォームサプライヤー
編集歴代ユニフォームスポンサー年表
編集年度 | 胸 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
2012 | - | - | - | - | - | Mizuno |
2013 | ACCW.net (1st.) ACCW.hk (2nd.) |
pontab | 竹内左官工業 | GAViC | ||
2014 | ||||||
2015 | Atlantic Century Possibilité à l'avenir |
- | ||||
2016 | Atlantic Century Possibilité à l'avenir |
行政書士・海事代理士 大嶋法務事務所 | ||||
2017 | ||||||
2018 | ざつむちゃん | |||||
2019 | ||||||
2020 | 鋳造総研 www.cyic.co.uk | |||||
2021 | ||||||
2022 | ||||||
2023 | - | ATLANTIC CENTURY |
ネーポン | |||
2024 |
脚注
編集外部リンク
編集- 一般社団法人 京都紫光サッカークラブ
- 京都紫光クラブ (KyotoShikoSC) - Facebook
- 京都紫光サッカークラブ (@shikosoccer) - Instagram