京極宮家仁親王
江戸時代中期の日本の皇族。京極宮(桂宮)8代。京極宮文仁親王の長男。一品、親王、式部卿
京極宮家仁親王(きょうごくのみや やかひとしんのう、宝永元年4月1日(1704年5月4日) - 明和4年12月6日(1768年1月25日))は、江戸時代中期の日本の皇族。世襲親王家の京極宮(桂宮)第8代当主。京極宮文仁親王の第一王子。母は滋野井公澄の女の藤原直子。幼称は若宮。
京極宮家仁親王 | |
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京極宮 | |
京極宮家仁親王像(宮内庁侍従職蔵) | |
続柄 | 京極宮文仁親王第1王子 |
身位 |
一品 親王 |
敬称 | 殿下 |
出生 |
宝永元年4月1日(1704年5月4日) 山城国 |
死去 |
明和4年12月6日(1768年1月25日) 山城国 |
埋葬 |
不明 不明 |
配偶者 | 正室:鷹司基子(尚君)(鷹司兼熙の娘) |
子女 |
第一王子:京極宮公仁親王(第9代京極宮(桂宮)) 第二王子:知恩院宮尊峰入道親王 第三王子:一乗院宮尊映入道親王 第一王女:豊子女王(有馬頼僮の正室) |
父親 | 京極宮文仁親王(第7代京極宮(桂宮)) |
母親 | 藤原直子(滋野井公澄の娘) |
役職 | 式部卿 |
宝永5年(1708年)12月に東山天皇の猶子となり、茶々丸(ちゃちゃまる)の名を賜る。宝永6年(1709年)4月親王宣下を受け、家仁と命名される。正徳3年(1713年)12月元服し、式部卿に任ぜられる。
享保5年(1720年)関白鷹司兼熙の女の基子(尚君)と結婚する。享保9年(1724年)二品に叙せられる。明和4年(1767年)12月3日一品に叙せられるが、同月6日薨去。65歳。法名は後桂光院。
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