井伊直元 (戦国時代)
井伊 直元(いい なおもと)は、戦国時代の武将。今川氏の家臣。遠江国引佐郡井伊谷城主・井伊直平の五男[5]。
時代 | 戦国時代中期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 |
天文10年5月14日(1541年6月8日)?[1][注釈 1] 天文15年5月14日(1546年6月12日)?[2][3] |
戒名 | 隠龍院殿賢翁道哲大居士[2] |
墓所 | 龍潭寺(浜松市浜名区引佐町井伊谷)[4] |
官位 | 刑部少輔[2]、刑部大輔[3][5] |
主君 | 今川義元 |
氏族 | 井伊氏 |
父母 | 父:井伊直平、母:井平安直娘[6] |
兄弟 |
直宗、直満、直義、直元、井平直種[6] 女(今川義元側室→義元養妹→関口親永室?)[3][5] 養兄弟?:南渓瑞聞 [注釈 2] |
人物
編集井伊氏は遠江の国人であるが、父の直平と共に今川義元に仕えた。天文10年(1541年)[1]または天文15年(1546年)[2]、井伊谷で病死したとされる。ただし、弘治4年(1558年)4月6日付の祝田禰宜宛ての井伊直元の判物[9]もあり、正確なところは不明[10]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 『井伊家伝記』上巻、12コマ目。
- ^ a b c d 『井伊氏系図』、2コマ目(直元 井伊形部少輔)。
- ^ a b c 『井伊年譜』1巻、19-20コマ目。
- ^ “龍潭寺境内墓所図(井伊家歴代・龍潭寺歴代住職 南渓・傑山・昊天・家臣)”. 龍潭寺. 2017年9月29日閲覧。
- ^ a b c 『寛政重修諸家譜 第4集』、1111頁、564コマ目。
- ^ a b “井平城(浜松市北区引佐町伊平) 武田の予想超える行軍裏付け”. 産経新聞 (産経新聞社). (2017年5月7日) 2017年9月29日閲覧。
- ^ 『井伊氏系図』、2コマ目(直平 共保十三代)。
- ^ 小和田 2016, p.94.
- ^ 『蜂前神社文書』、13コマ目。
- ^ 小和田 2001
参考文献
編集- 『蜂前神社文書』。浜松市立中央図書館 浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
- 祖山法忍『井伊家伝記』 上、1730年。浜松市立中央図書館 浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
- 祖山法忍『井伊家伝記』 下、1730年。浜松市立中央図書館 浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
- 祖山法忍『井伊氏系図』。浜松市立中央図書館 浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
- 功力君章『井伊年譜』 1巻。国立国会図書館デジタルコレクション
- 三上参次 編『寛政重修諸家譜 第4集』国民図書、1923年。国立国会図書館デジタルコレクション
- 小和田哲男『争乱の地域史 西遠江を中心に』清文堂出版〈小和田哲男著作集第4巻〉、2001年。ISBN 978-4792404956。
- 小和田哲男『井伊直虎 戦国井伊一族と東国動乱史』洋泉社、2016年。ISBN 978-4800310385。
- 楠戸義昭『この一冊でよくわかる! 女城主・井伊直虎』PHP研究所〈PHP文庫〉、2016年。ISBN 978-4569765525。