九州郵船
九州郵船(きゅうしゅうゆうせん)は、福岡県福岡市博多区に本社を置く海運会社。九州北部と壱岐・対馬を結ぶ航路を運営している。また、旅客・車両・貨物だけではなく同区間の郵便運送事業も行っている。
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒812-0022 福岡県福岡市博多区神屋町1-27 |
設立 | 1920年8月15日 |
業種 | 海運業 |
法人番号 | 8295001012603 |
事業内容 | 定期航路事業、郵便運送事業 |
代表者 | 代表取締役社長 竹永健二郎 |
資本金 | 2億円 |
純利益 |
1億1,166万2,000円 (2024年3月期)[1] |
純資産 |
12億8,984万2,000円 (2024年3月期)[1] |
総資産 |
48億5,507万8,000円 (2024年3月期)[1] |
従業員数 |
陸上49人 海上156人 合計205名(2015年4月時点) |
決算期 | 3月 |
外部リンク | https://www.kyu-you.co.jp/ |
沿革
編集- 1920年(大正9年)8月15日 - 対馬商船株式会社を設立する。[2]
- 資本金4,000円。
- 航路は7路線(1 博多・壱岐・対馬線、2 長崎・壱岐・対馬線、3 博多・釜山線、4 博多・壱岐・対馬東沿岸線、5 博多・壱岐・対馬西沿岸線、6 博多・壱岐線、7 不定期線)
- 1923年(大正12年)4月25日 - 貨客船「睦丸」が竣工。元良式スタビライザー(今日のフィン・スタビライザーの前身)を装備した最初の船。[2]
- 1929年(昭和4年) - 北九州商船株式会社に改称する。[2]
- 対馬沿岸商船株式会社の設立により、対馬東西沿岸航路を移譲。
- 1935年(昭和10年) - 九州郵船株式会社に改称する。[2]
- 1945年(昭和20年)10月14日 - 博多〜壱岐・対馬航路の貨客船「珠丸」(800トン)が触雷し沈没。
- 死亡・行方不明者は公式には541名、非公式には800名以上の惨事となる。※詳細は、珠丸#珠丸事故を参照。
- 1947年(昭和22年)
- 1951年(昭和26年)4月 - 対馬沿岸商船を吸収合併し、対馬東西沿岸航路が再び九州郵船の経営となる。
- 1953年(昭和28年) - 博多〜壱岐・対馬航路に「男島丸」(349トン)が就航する。
- 1957年(昭和32年)2月24日 - 博多〜壱岐・対馬航路に「壹州(壱州)[3]丸」(586トン)が就航する[2]。
- 1959年(昭和34年)11月 - 唐津・呼子〜印通寺・郷ノ浦航路に貨客船「梓丸」が就航する[2]。
- 1963年(昭和38年)11月3日 - 博多〜壱岐・対馬航路に「對州(対州)[4]丸」(642トン)が就航する[2]。
- 1967年(昭和42年)下関〜比田勝航路に「関州(せきしゅう)丸」(500トン)が就航する。
- 上記の「壹州(壱州)丸」「對州(対州)丸」「関州丸」と同時期に、「博州(はくしゅう)丸」という旅客船も就航していた。また、当時の同航路は、壱岐北部の勝本港にも寄港していた。
- 1969年(昭和44年)7月2日 - 博多〜壱岐・対馬航路に「あそう丸」(1,000トン)が就航する。
- 小規模ではあるが車両航送能力を有しており、セミフェリーと呼ばれた。
- 1970年(昭和45年)7月 - 印通寺-呼子間に「フェリー壱岐」(400トン)が就航[2]。
- 1971年(昭和46年)6月 - 印通寺-呼子間に「フェリー呼子」(532トン)が就航[2]。
- 1972年(昭和47年)10月30日 - 博多〜壱岐・対馬航路に初の本格的なフェリー「フェリーつしま」(1,560トン)が就航する[2]。
- 1974年(昭和49年)4月 - 博多~壱岐・対馬航路で使用される船舶の大型化の影響から、それに対応できない勝本港への寄港を終了。
- 1975年(昭和50年)4月28日 - 博多〜壱岐・対馬航路にフェリー「フェリーはかた」(約1,800トン)が就航。同航路はフェリー2隻による1日2往復体制となる[2]。
- 1979年(昭和54年) - 小倉〜比田勝航路にフェリー「フェリーあがた」が就航する。
- 1980年(昭和55年)7月 - 博多〜壱岐航路に単胴型高速船「シーエース」が就航する[2]。耐航性などの問題から、冬季は運休していた。
- 1983年(昭和58年) - フェリー壱岐に代わって、「フェリーげんかい」(675トン)が印通寺-呼子航路を就航[2]。
- 1987年(昭和62年) - フェリー呼子に代わって、「フェリーあずさ」(682トン)が印通寺-呼子航路を就航[2]。
- 1989年(平成元年) - 博多〜壱岐・対馬航路にフェリー「ニューつしま」が就航し、「フェリーつしま」の運航を終了する[2]。
- 1990年(平成2年) - 高速船「シーエース」の運航を終了する[2]。
- 1991年(平成3年)3月 - 博多〜壱岐・対馬航路に初のジェットフォイル「ヴィーナス」が就航する[2]。
- 1994年(平成6年)4月1日 - 博多〜壱岐・対馬航路にフェリー「フェリーちくし」が就航し、「フェリーはかた」の運航を終了する[2]。
- 1998年(平成10年) - 小倉〜比田勝航路の運航経路を、博多〜比田勝に変更する。
- 2000年(平成12年) - 博多〜壱岐・対馬航路にジェットフォイル「ヴィーナス2」が就航する[2]。
- 2001年(平成13年)11月6日 - ジェットフォイル航路を比田勝港まで延伸する。
- 2003年(平成15年) - 博多〜壱岐・対馬航路のうち、フェリーの深夜運航を開始する。
- 2006年(平成18年)12月1日 - 印通寺港ターミナル建替工事のため、壱岐側の発着港を印通寺港から郷ノ浦港へ一時変更する(翌年2月末日まで)。
- 2007年(平成19年)
- 4月1日 - 印通寺〜呼子航路の運航経路を、印通寺〜唐津(唐津東港)に変更する。同航路にフェリー「エメラルドからつ」が就航する。
- 4月3日 - 博多〜比田勝航路の就航船を「フェリーあがた」から「フェリーげんかい」に変更する。
- 2012年(平成24年)
- 3月31日 - 「ニューつしま」の運航を終了。
- 4月1日 - 「フェリーきずな」が就航。博多-壱岐-対馬航路の運賃を改定(値下げ)。
- 2018年(平成30年)7月23日 - JR九州高速船の運航する福岡-釜山航路の高速船ビートルの一部座席を利用し、博多-比田勝航路に対馬混乗便の運航を開始[5][6]。
- 2019年(平成31年)3月31日 - 唐津東〜印通寺航路のフェリーあずさ運航終了。これに伴い、4月1日同航路にダイヤモンドいきが就航。
- 2021年(令和3年)7月1日[7] - 博多〜比田勝航路の就航船を「フェリーげんかい」から新造船[8]「フェリーうみてらし[9]」に変更[9]。
航路
編集博多港から壱岐・対馬への航路にフェリーおよびジェットフォイルを、唐津港から印通寺航路と博多・比田勝航路にフェリーをそれぞれ運航している。 運賃については、燃料油価格変動調整金制度が導入されており、燃料価格の市況などを経営的に判断し、事前に発表のうえ加算されることがある。
フェリー
編集- 博多 - 壱岐・対馬航路
- 博多 - 壱岐 - 対馬便のほか、壱岐折り返し便や博多 - 対馬間直航便もある。
- 唐津 - 印通寺航路
- 博多 - 比田勝航路
- 博多港博多埠頭 - 比田勝港国内線ターミナル(上対馬町)
高速船(ジェットフォイル)
編集- 博多 - 壱岐・対馬航路
- 博多港博多埠頭 - 郷ノ浦港または芦辺漁港 - 厳原港
船舶
編集フェリー
編集フェリーの塗装は、長らく船体下部が黄緑、船体上部と上構が白という塗装が続いたが、「ニューつしま」以降は船体全体が白に、水色(唐津-印通寺航路は緑)と青のラインが入っている。ファンネルとマストの色は船によって異なる。
- 博多 - 壱岐・対馬航路
-
- 2012年(平成24年)竣工・就航。1,809総トン、全長94.1m、幅 14.8m、出力8,000馬力、航海速力19.4ノット。
- 旅客定員 最大678名。 臼杵造船所建造。
- 客室 : 1等、2等指定(特2等)、2等
- 新しく旅客用エレベーター・多目的トイレ・車椅子用客室スペースを備えバリアフリー対策がなされている。
- 燃料消費量が10%減、振動対策として防振ゴムを、臭気対策として海水ではなく清水を使用。船の揺れを少なくするフィンスタビライザーを「ニューつしま(退役)」「フェリーちくし」「エメラルドからつ」と同様に装備し、旋回能力を上げるためにバウスラスターを装備。
- 唐津 - 印通寺航路
- 博多 - 比田勝航路
高速船(ジェットフォイル)
編集塗装は、就役当初から白に赤いラインである。
- 博多 - 壱岐・対馬航路
-
- ヴィーナス
- ヴィーナス2
かつて就航していた船舶
編集貨客船
編集- 大衆丸→韓水丸[14]
- 泰丸[16]
- 1953年12月20日竣工、佐野安船渠建造。
- 163.03総トン、垂線間長29.61m、型幅6.00m、型深さ2.70m、ディーゼル1基、機関出力260ps、航海速力10ノット、旅客定員101名。
- 縣丸[17]
- 1954年12月1日竣工、佐野安船渠建造。
- 154.56総トン、垂線間長29.61m、型幅6.00m、型深さ2.70m、ディーゼル1基、機関出力310ps、航海速力12.8ノット、旅客定員92名。
- 壹州丸[18]
- 1957年2月22日竣工、日立造船向島工場建造。
- 586.53総トン、全長55.16m、型幅8.80m、型深さ3.90m、ディーゼル1基、機関出力1,040ps、航海速力13.5ノット、旅客定員306名。
- 博多 - 壱岐 - 対馬航路に就航。
- 梓丸[19]
- 1959年12月20日竣工、佐野安船渠建造。
- 121.1総トン、全長31.67m、型幅5.70m、型深さ2.50m、ディーゼル1基、機関出力320ps、航海速力11ノット。旅客定員108名。
- 対州丸[20]
- 1963年10月31日竣工、三菱重工業下関造船所建造。
- 642.07総トン、全長55.35m、型幅8.75m、型深さ4.20m、ディーゼル1基、機関出力1,520ps、航海速力14ノット、旅客定員425名。
- 博多 - 壱岐 - 対馬航路に就航。
- 博州丸[14]
- 1965年8月竣工、田熊造船所建造。
- 475.84総トン、全長49.05m、型幅8.10m、型深さ3.40m、ディーゼル1基、機関出力1,400ps、航海速力14ノット、旅客定員350名。
- 関州丸[14]
- 1961年12月竣工、1967年就航(買船)、佐野安船渠建造、もと阿波国共同汽船「うらら丸」。
- 467.16総トン、全長47.02m、型幅8.40m、型深さ3.50m、ディーゼル1基、機関出力1,000ps、航海速力13ノット、旅客定員284名。
フェリー
編集- あそう丸[21]
- 1969年6月竣工、田熊造船建造。
- 951.09総トン、全長67.24m、型幅11.6m、型深さ4.4m、ディーゼル2基、機関出力3,200ps、航海速力15.5ノット。
- 旅客定員681名、乗用車8台。
- 1979年韓国に売船。
- フェリー壱岐[21]
- フェリー呼子[22]
- フェリーつしま[22]
- フェリーはかた[22]
- フェリーあがた[22]
- フェリーあずさ[25]
- 1987年7月竣工、同月18日就航[10]、内海造船田熊工場建造。
- 683総トン、全長65.66m、型幅12.80m、型深さ4.40m、ディーゼル2基、機関出力3,600ps、航海速力14.8ノット。
- 旅客定員350名、乗用車43台または8tトラック15台。
- 呼子(唐津) - 印通寺航路に就航。博多 - 比田勝航路、博多 - 壱岐 - 対馬航路の共通予備船としても使用された。
- 客室 : 2等のみ
- 売店・軽食コーナーは就役当初から無かった。
- 外観塗装は、就航当時は「フェリーげんかい」と同じデザインであったが、のちに「エメラルドからつ」に似たデザインとなった。
- 「ダイヤモンドいき」の就航により2019年3月31日に引退。売却され、「Lomaiviti Princess VIII」の名でフィジー航路へ投入されている[26]。
高速船
編集郵便運送事業
編集九州本島と壱岐・対馬両島間の郵便運送事業を行っており、郵便車仕様(アルミバンタイプ)の2t-4tトラックを保有している。
博多-壱岐-対馬(及び釜山)間は陸上交通機関のない離島航路であることから、開設時より郵便物の運送を行っており、1949年(昭和24年)以前は政府による郵便物運送命令書を交付され、国庫補助を受けて運送業務を行っていた[28]。同年以降は郵便物運送委託法に基づく運送契約に移行し、1956年(昭和36年)の運送料金改訂(旅客運賃換算方式から貨物運送原価基準へ)を経て継続した[29]。
国庫補助航路の場合、郵便物の受渡しを行う郵便局と船着場の間の輸送も海運業者側の負担とされており[28]、カーフェリー化以前から受渡局-発着港間では郵便車による接続輸送を行っていた[30]。カーフェリー化以降は郵便車を用いて車両航送を行い、積換えを省略するようになった。九州本島(福岡県)側では福岡市東区の新福岡郵便局(2007年3月以前は博多郵便局が受渡局だった)まで自社郵便車を乗り入れて郵便物の受け渡しを行い、海上区間では郵便車をそのまま自社のフェリー(博多発着航路)で航送。壱岐では郷ノ浦港近くの郷ノ浦郵便局に郵便車が発着する(同局から壱岐島内の他の集配郵便局[31]への逓送業務については壱岐交通が実施している)。対馬では島内集配局間の逓送業務も行っている模様である[32]。
事業所
編集- 本社 - 福岡県福岡市博多区神屋町1番27号
- 壱岐支店 - 長崎県壱岐市郷ノ浦町
- 対馬支店 - 長崎県対馬市厳原町
- 東京事務所 - 東京都千代田区
- 大阪事務所 - 大阪市福島区
- 比田勝出張所 - 長崎県対馬市上対馬町
- 箱崎船舶整備場 - 福岡県福岡市東区
- JR九州高速船のジェットフォイル整備場とも隣接しており、両社の係船用浮桟橋が並んでいる。
- 比田勝船舶整備場 - 長崎県対馬市上対馬町
脚注
編集- ^ a b c 九州郵船株式会社 第151期決算公告
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 歴史情報 - 壱岐市立一支国博物館
- ^ 壹州(壱州、いしゅう)は「壱岐」のこと。
- ^ 對州(対州、たいしゅう)は「対馬」のこと。
- ^ a b 九州郵船ウェブサイト
- ^ a b JR九州高速船ウェブサイト
- ^ 「フェリーげんかいの代替船新装備で快適『フェリーうみてらし』進水式」- 対馬新聞 第4192号 2021年(令和3年)2月26日発行
- ^ a b c 「『フェリーげんかい』の代替船 新船来年6月竣工へ」- 対馬新聞 第4171号 2020年(令和2年)9月4日発行
- ^ a b c d e f g 「比田勝~博多航路の新船 船名『うみてらし』に決定」- 対馬新聞 第4178号 2020年(令和2年)10月30日発行
- ^ a b c d e フェリー・旅客船ガイド 2006年春季号 (日刊海事通信社 2006)
- ^ 新造船「フェリーきずな」の就航について(PDF)- 長崎県ウェブサイト
- ^ 壱岐フェリー、来春から運賃2割安 新船就航で長崎県補助 - 佐賀新聞LiVE(2018年5月8日)
- ^ 唐津航路新造船の船名について - 九州郵船新着情報(2018年6月27日)
- ^ a b c 『日本船舶名鑑』1968年版,日本船舶研究所,1967. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2517952 (参照 2023-03-18)
- ^ 『世界の船』昭和39年版,朝日新聞社,1964. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2456147 (参照 2023-03-18)
- ^ 船の科学 1954年4月号 P.12 (船舶技術協会)
- ^ 船の科学 1955年3月号 P.10 (船舶技術協会)
- ^ 船の科学 1957年3月号 P.16 (船舶技術協会)
- ^ 船の科学 1960年1月号 P.54 (船舶技術協会)
- ^ 船の科学 1963年12月号 P.21 (船舶技術協会)
- ^ a b c d e 世界の艦船別冊 日本のカーフェリー -その揺籃から今日まで- PP.262-264 (海人社 2009)
- ^ a b c d e 日本船舶明細書 1985 (日本海運集会所 1984)
- ^ a b c d e f 全国フェリー・旅客船ガイド 1987年上期号 (日刊海事通信社 1986)
- ^ 「フィリピンで活躍する旧日本フェリー Part2」『世界の艦船』第850集(2016年12月号) 海人社
- ^ a b c 日本船舶明細書 1993 (日本海運集会所 1992)
- ^ 「New Lomaiviti VIII Arriving Next Week, Two More To Come」2019年11月5日閲覧。
- ^ 「インドネシアで活躍する旧日本フェリー」『世界の艦船』第773集(2013年2月号) 海人社
- ^ a b 郵政省編 『続逓信事業史 第三巻 郵便』 前島会、1960年、p.487-p.489
- ^ 郵政省編 『続逓信事業史 第三巻 郵便』 前島会、1960年、p.489-p.493
- ^ 山口定徳監修 『目で見る壱岐の100年』 郷土出版社、2002年、p.111に郷ノ浦港での積換え作業風景掲載。また、同書p.48及び『世界の艦船』2007年9月号(NO.679)p.143にも郷ノ浦港貨客船ふ頭で待機中の郵便車の画像あり。
- ^ 2007年10月から2012年9月までの間は、郷ノ浦郵便局も含め壱岐島内の旧集配郵便局の郵便部門はいずれも郵便事業新福岡支店所管の集配センターとなっていた。
- ^ 「海運・造船会社要覧2008」(日刊海事通信社)に、事業内容の一つとして「対馬島内郵便車事業」が記載されている。
関連項目
編集外部リンク
編集- 九州郵船(公式サイト)