中村 裕一(なかむら ひろかず、1926年1月9日 - 2012年6月4日 )は、日本の経営者工学博士三菱自動車社長、会長を務めた。

来歴・人物

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京都府京都市出身[1]1948年京都大学工学部を卒業し、同年に三菱重工業に入社した[1]1970年三菱自動車工業に転じ、1983年6月に取締役に就任し、常務を経て、1988年6月に副社長に就任し、翌年6月には社長に昇格した[1]1995年6月から会長を務め、1997年に総会屋への利益給与事件における責任を取る形で辞任し、同年6月からは相談役に転じた[1][2]。社長在任時には、2代目「パジェロ」、初代「パジェロミニ」などをヒットさせ、国内市場において、多目的レジャー車ブームの立役者となった[2]

1993年11月には藍綬褒章を受章した[1]

2012年6月4日多臓器不全のために死去[2]。86歳没。

脚注

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参考文献

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  • 興信データ株式會社『人事興信録 第40版 下』興信データ、1999年。 
先代
舘豊夫
三菱自動車工業社長
第6代:1989年 - 1995年
次代
塚原董久