与良村

日本の長崎県下県郡にあった村

与良村(よらむら)は、長崎県下県郡にあった村。1912年(明治45年)に久田村豆酘村に分割された。

よらむら
与良村
廃止日 1912年4月1日
廃止理由 分割
【新設合併】厳原町(大字久田)、与良村(大字尾浦ほか7大字) → 久田村
【分立】与良村(大字豆酘) → 豆酘村
現在の自治体 対馬市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
下県郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 下県郡厳原町佐須村
与良村役場
所在地 長崎県下県郡与良村大字豆酘
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現在の対馬市厳原町の南部にあたる。

地理

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対馬島の最南端に位置する。

  • 山:矢立山竜良山、木槲山(もっこくやま)、増木庭山、舞石ノ壇山、河原田山、板置山、小鳥毛山、松無山、雲刺山、尖山、在家山、碇隅山、神山、下崎山、宮ノ岳山、下原山
  • 島嶼:内院島、輪島
  • 河川:内院川、瀬川
  • 港湾:豆酘漁港(豆酘・浅藻)

沿革

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当村域の一帯について、中世は「与良郡」「佐須郡」「酘豆郡」の各一部、近世は「与良郷」「佐須郷」「豆酘郷」の各一部に属した[1][2][3][4][5][6][7]。また『津島紀事』によれば、与良郷内には1府30村[8]、佐須郷内には9村[9]、豆酘郷内には3村[10] が属していたとされる[5][6][7]。与良郷・佐須郷・豆酘郷は対馬島内の他の各郷とともに明治5年に廃止された[5][6][7]

  • 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、豆酘村・尾浦村・安神村・久和村・与良内院村・豆酘内院村・豆酘瀬村・佐須瀬村・内山村が合併し下県郡与良村が発足[11]
  • 1912年(明治45年)4月1日 - 与良村が以下の2村に分割され、自治体として消滅。
  1. 厳原町の一部(大字久田)と与良村の一部(大字尾浦・安神・久和・与良内院・豆酘内院・豆酘瀬・佐須瀬・内山)が合併し、久田村が発足。
  2. 与良村の残部(大字豆酘)を豆酘村として分立。

地名

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大字を行政区域とする。

  • 安神(あがみ)
  • 内山(うちやま)
  • 尾浦(おうら)
  • 久和(くわ)
  • 佐須瀬(さすせ)
  • 豆酘(つつ)
  • 豆酘瀬(つつせ)
  • 豆酘内院(つつないいん)
  • 与良内院(よらないいん)

名所・旧跡

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参考文献

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脚注

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  1. ^ 対馬6町合併のあゆみ 対馬6町合併協議会(総務省 合併デジタルアーカイブ)
  2. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「与良郡」
  3. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「佐須郡」
  4. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「酘豆郡」
  5. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「与良郷」
  6. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「佐須郷」
  7. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「豆酘郷」
  8. ^ 府中である厳原城下のほか、雞知(けち)・洲藻・箕形・吹崎・賀志・尾崎・昼浦・島山・大山・犬吠・小船越・鴨居瀬・芦浦・賀谷・横浦・濃部・大船越・久須保・緒方・竹敷・黒瀬・根緒・小浦・南室・久田・尾浦・安神・久和・内院・内山の各村からなる。上記のうち内院村は江戸時代初期に与良郷と豆酘郷の境界として分割され、与良郷側の内院村は「与良内院村」とも称する。
  9. ^ 樫根・下原(しもばる)・小茂田・阿連・今里・椎根・上槻・久根・瀬の各村からなる。上記のうち瀬村は江戸時代初期に佐須郷と豆酘郷の境界として分割され、佐須郷側の瀬村は「佐須瀬村」とも称する。また、久根村は江戸時代末期までに久根田舎村と久根浜村の2村に分割された。
  10. ^ 豆酘、内院、瀬の各村からなる。上記のうち内院村と瀬村は江戸時代初期までに与良郷・佐須郷の境界としてそれぞれ分割され、豆酘郷側の内院村は「豆酘内院村」、瀬村は「豆酘瀬村」とも称する。
  11. ^ 長崎縣令第二十號『対馬の各町村合併及びその名称に関する件 [1][2]』長崎県公報 明治41年3月25日付号外

関連項目

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