三枝照雄
三枝 照雄(さえぐさ てるお、1957年〈昭和32年〉10月29日[1] - 1989年〈平成元年〉2月24日)は、日本の登山家。群馬県出身。1989年、マッキンリー(現・デナリ)で遭難死した。
三枝 照雄 | |
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生誕 |
1957年10月29日 群馬県沼田市 |
死没 |
1989年2月24日 (31歳没) アメリカ合衆国アラスカ州マッキンリー(現・デナリ)山中 |
死因 | 転落死 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 群馬県立沼田高等学校 |
著名な実績 |
エベレスト登頂2回
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経歴
編集群馬県立沼田高等学校で山岳部に入部し、山に夢中になった[2]。
1985年『植村直己物語』の撮影隊としてエベレスト登頂を果たす[2]。1988年5月5日、日本テレビの開局35年番組『チョモランマはそこにある』にテレビクルーとして参加し、頂上からの生中継を成功させた[2]。
1989年2月、マッキンリー(現・デナリ)で山田昇、小松幸三とともに遭難死した[2]。このとき山田は簡易保険に入っていたが、ほかの2人は入っておらず、さらに山岳保険には誰一人加入していなかったために、遭難とは別の面での悲劇が起こった。[要出典]
伊藤福男が三枝を偲んで「オーロラの詩」という歌を作った[要出典]。
アマチュア天文学者小林隆男が1994年2月7日に発見した小惑星(番号5924)は、三枝にちなんで「Teruo」(照雄)と名付けられた[要出典]。
山田昇記念杯登山競争大会では「三枝照雄賞」という賞が設けられていた(20回で終了)[2]。