婁燁
(ロウ・イエから転送)
婁 燁(ロウ・イエ、1965年3月15日 - )は、中国の映画監督、脚本家である。
ロウ・イエ 婁 燁 | |||||
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生年月日 | 1965年3月15日(59歳) | ||||
出生地 | 中国 上海 | ||||
職業 | 映画監督、脚本家 | ||||
ジャンル | 映画 | ||||
主な作品 | |||||
『ふたりの人魚』 『二重生活』 『スプリング・フィーバー』 『ブラインド・マッサージ』 『シャドウプレイ』 | |||||
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経歴
編集1965年3月15日、上海に生まれる[1]。1989年、北京電影学院を卒業する[2]。1994年、『デッド・エンド 最後の恋人』でデビュー[3]。2000年、『ふたりの人魚』を監督する[4]。2003年、チャン・ツィイーと仲村トオルを主演に迎え、1930年代の上海を舞台とした恋愛サスペンス『パープル・バタフライ』を手がける[5]。天安門事件を描いた2006年の『天安門、恋人たち』は中国で上映禁止となり、当局に今後5年間の国内での映画製作禁止を命じられる[6]。同性愛を描いた2009年の『スプリング・フィーバー』は、フランスと香港からの出資を受け、南京で撮影された[7]。2012年、『二重生活』が第65回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門のオープニング作品として上映された[8]。
スタイルと影響
編集ジョン・カサヴェテスとミケランジェロ・アントニオーニとフェデリコ・フェリーニに大きな影響を受けている[9]。
フィルモグラフィー
編集- デッド・エンド 最後の恋人(1994年)
- 危情少女 嵐嵐(1995年)TVムービー
- ふたりの人魚(2000年)
- パープル・バタフライ(2003年)
- 天安門、恋人たち(2006年)
- スプリング・フィーバー(2009年)
- パリ、ただよう花(2011年)
- 二重生活(2012年)
- ブラインド・マッサージ(2014年)[10]
- シャドウプレイ(2019年)
- 夢の裏側 ドキュメンタリー・オン・シャドウプレイ(2019年)出演
- サタデー・フィクション(2019年製作、2021年公開)[11]
脚注
編集- ^ Tan Ye; Yun Zhu (2012). Historical Dictionary of Chinese Cinema. Scarecrow Press. p. 104, 105
- ^ Roy L. Sturgeon (2013). Yuwu Song. ed. Biographical Dictionary of the People's Republic of China. McFarland & Company. p. 219
- ^ 宇田川幸洋 (2013年12月27日). “パリ、ただよう花 息づかいとらえる映像”. 日本経済新聞. 2014年5月8日閲覧。
- ^ 大場正明 (2002年1月3日). “『ふたりの人魚』ロウ・イエ”. Criss Cross. 2014年5月8日閲覧。
- ^ 清水久美子 (2014年1月18日). “女の視線で愛と人間を正直に描く「パリ、ただよう花」”. 日本経済新聞. 2014年5月8日閲覧。
- ^ 川崎龍太 (2008年10月11日). “荒井晴彦の映画×歴史講義 第二回 『天安門、恋人たち』(06)×天安門事件”. 映画芸術. 2014年5月8日閲覧。
- ^ Marianne Barriaux (2009年5月12日). “『天安門、恋人たち』のロウ・イエ監督、新作でカンヌに挑む”. AFPBB News. 2014年5月8日閲覧。
- ^ “中国社会斬るロウ・イエ、驚愕のミステリー映画”. web DICE (2014年11月5日). 2014年11月14日閲覧。
- ^ Jerome Silbergeld (2005). Edward L. Davis. ed. Encyclopedia of Contemporary Chinese Culture. Routledge. pp. 499, 500
- ^ “盲人マッサージ院での愛の物語 ロウ・イエ新作「ブラインド・マッサージ」 予告”. 映画.com. (2016年11月22日) 2016年11月22日閲覧。
- ^ オダギリジョー&中島歩、中国の名匠ロウ・イエ監督のスパイ映画に参加へ cinemacafe.net