ル・ブルジェ空港
ル・ブルジェ空港(フランス語: Aéroport Le Bourget、英語: Le Bourget Airport)はフランスのパリ郊外にある空港。空港の位置は現在セーヌ=サン=ドニ県とヴァル=ドワーズ県にまたがっている。
ル・ブルジェ空港 Aéroport de Paris-Le Bourget | |||||||||||||
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IATA: LBG - ICAO: LFPB | |||||||||||||
概要 | |||||||||||||
国・地域 | フランス | ||||||||||||
所在地 | ル・ブルジェ | ||||||||||||
母都市 | パリ | ||||||||||||
種類 | 公共用 | ||||||||||||
運営者 | ADPグループ | ||||||||||||
標高 | 67 m | ||||||||||||
座標 | 北緯48度58分10秒 東経002度26分29秒 / 北緯48.96944度 東経2.44139度座標: 北緯48度58分10秒 東経002度26分29秒 / 北緯48.96944度 東経2.44139度 | ||||||||||||
地図 | |||||||||||||
フランスの空港位置図 | |||||||||||||
滑走路 | |||||||||||||
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空港の一覧 |
概要
編集パリで最初の本格的空港
編集パリで最初、そしてフランスで最初の本格的空港として、パリ郊外北方のセーヌ=サン=ドニ県のル・ブルジェに1919年に開港した。
その後1932年にパリの南方にオルリー空港が開港するまでの間、パリで唯一の国際空港として、SGTAやエール・オリアン、アエロポスタル航空などのフランスの航空会社のハブ空港として機能するほか、ヨーロッパ各国から多くの航空会社が乗り入れていた。1923年に緊急信号が考案された際にはヨーロッパで最も利用数が多かったことから、フランス語由来のメーデーが採用された。
1927年にアメリカ人のチャールズ・リンドバーグが世界初の大西洋無着陸横断飛行を行ったときに着陸したことで知られている他、1937年には日本の飯沼正明が操縦する神風号が東京の立川飛行場とロンドンの間を結ぶ世界記録飛行の際に立ち寄った[3]ことでも知られている。
現在
編集第二次世界大戦後暫くの間は、オルリー空港とともにパリの主要空港として使用され、主に国内線や近距離国際線に使用されていた。
1970年9月27日、航空機に積み込まれる予定であった荷物が爆発する事件が発生。同日にはオルリー空港でも荷物が爆発する事件が発生していた[4]。
1974年にロワシー・アン・フランスにシャルル・ド・ゴール国際空港が完成して以降、定期旅客便はそちらに移行した。
現在は、プライベート機の発着や初夏に行われるパリ航空ショーの会場として知られている。隣接するル・ブルジェ航空宇宙博物館には、コンコルドをはじめとする過去のフランス製の各種航空機やロケット、武器などが多数保存されている。
脚注
編集- ^ PARIS LE BOURGET
- ^ EAD Basic
- ^ “彫刻家・高田博厚、飯沼飛行士と不思議な縁”. 市民タイムス[安曇野]. (2017年4月16日). "1937年4月、日本の飯沼正明飛行士が純国産の朝日新聞社機「神風」号によって、東京-ロンドン間を飛行する世界新記録を樹立した際、フランスパリ郊外のル・ブルジェ空港に立ち寄った。当時フランスで新聞記者をしていた彫刻家の高田博厚が、飯沼飛行士を取材する写真(淡徳三郎の背中でメモを取る高田博厚)が残されている。また、フランスのラジオ放送で飯沼飛行士が挨拶するフランス語の文章をカタカナにして提供し、立派に通じたという高田のインタビュー記事が、1957年発行の週刊朝日12月1日号に掲載されている"
- ^ 空港で連続爆発 パリとロンドンで三件『朝日新聞』1970年(昭和45年)9月28日朝刊 12版 3面