リチャード・ロング (俳優)
リチャード・マッコード・ロング(Richard McCord Long、1927年12月17日 - 1974年12月21日)は、アメリカ合衆国の俳優。ABCの3つの連続テレビドラマ『バークレー牧場』、『ぼくらのナニー』、『バーボン・ストリート』の主役として最も知られている[1][2]。また、1961年から1962年にかけてABCの『サンセット77』にレギュラー出演した[3]。
リチャード・ロング Richard Long | |
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1970年 | |
生年月日 | 1927年12月17日 |
没年月日 | 1974年12月21日(47歳没) |
出生地 | アメリカ合衆国イリノイ州 シカゴ |
死没地 | アメリカ合衆国カリフォルニア州 ロサンゼルス |
職業 | 俳優 |
活動期間 | 1946-1974年 |
配偶者 |
スーザン・ボール(1954-1955年、死別) マーラ・コーディ(1957-1974年、彼の死去) |
主な作品 | |
『バークレー牧場』 『サンセット77』 |
来歴
編集初期の映画: インターナショナル・ピクチャーズ
編集1946年、銀幕デビュー作となる『離愁』にキャスティングされ、クローデット・コルベールとオーソン・ウェルズが演じた夫妻の息子ドリュー役で出演した。配役が何ヶ月も決まらず難航していたが、プロデューサーは最も適役と思われるロングを選択した[4]。映画は彼を契約下に置いたインターナショナル・ピクチャーズによって制作された[5]。
ロングに感銘を受けたウェルズは、ロレッタ・ヤングの弟役として、インターナショナルの『オーソン・ウェルズ IN ストレンジャー』(1946年)に起用した[6]。
インターナショナルは20世紀フォックスにロングを貸し出して『Margie』(1946年)を撮ろうとしたが、方針を変えロバート・シオドマク監督、オリヴィア・デ・ハヴィランドとトーマス・ミッチェル主演の『暗い鏡』(1946年)に出演させた[7]。
トム・ケトルとユニバーサル・スタジオ
編集インターナショナル・ピクチャーズはユニバーサル・ピクチャーズと合併し、ロングの契約はそのまま引き継がれた。4本目の映画となる『卵と私』でパーシー・キルブライドとマージョリー・メインが演じたケトル夫妻の長男トム・ケトルを演じた。映画は大ヒットし『ダイナマイト夫婦』を始めとする、ケトル夫妻を主演に据えたスピンオフシリーズが生み出された。
ロングはユニバーサルと契約を結び、『愛と血の大地』(1948年)と『裏切りの街角』(1949年)に出演し、後者ではバート・ランカスターの弟シオドマック役を演じた。また、NBCのラジオ番組に基づく『泣き笑い人生』(1949年)でウィリアム・ベンディックスをサポートした。
『ダイナマイト夫婦』(1949年)でトム・ケトル役を再び演じ、興行的にも堅実な成績を収めた。続く『Ma and Pa Kettle Go to Town』(1950年)も同様であった[8]。西部劇映画『命知らずの男』(1950年)ではフランク・ジェームズを演じた。
1950年12月、朝鮮戦争中にアメリカ陸軍に徴兵された[9]。休職する前に『Air Cadet』(1951年) に出演、その後カリフォルニア州フォート・オードに2年間勤務した[10]。
『Ma and Pa Kettle Back on the Farm』(1952年)は、ロングの4作目にして最後のケトル映画となった。『Back at the Front』(1952年、少年役)、『わたしの願い』(1953年)、『All American』(1953年、トニー・カーティス演じるヒーローの敵役)、『サスカチワンの狼火』(1954年)、『Playgirl』(1954年)でも脇役を務めた。
ロングは『Lux Video Theatre』(エピソード「I'll Never Love Again」)などのテレビ番組にゲスト出演をするようになっていった。最後にユニバーサルから『Cult of the Cobra』(1955年)で主役の座を与えられたが、宣伝の中心となっていたのはフェイス・ドマーグであった。
テレビ
編集その後数年間はテレビに傾注し、『Climax!』、『Screen Directors Playhouse』、『TV Reader's Digest』、『The United States Steel Hour』、『Hey, Jeannie!』、『Schlitz Playhouse of Stars』、『Suspicion』、『Alcoa Theatre』、『幌馬車隊』、『西部のパラディン』、『百万弗貰ったら』、『NBC Matinee Theater』、『トワイライト・ゾーン』、『エラリー・クイーン』などの番組にゲスト出演している。
コロンビアでは、西部劇『拳銃峠』(1956年)とブレイク・エドワーズのコメディ『He Laughed Last』(1956年)で助演を務めた。
ロングは『Tokyo After Dark』(1959年)に主演するために来日し、ウィリアム・キャッスルの『地獄へつゞく部屋』(1959年)では主要な役を演じた[11]。
バーボン・ストリート
編集ロングはワーナー・ブラザースと契約を結び、『連邦保安官』など多くのテレビ番組にゲスト出演した。
1958年から開始したABC・WBの西部劇連続ドラマ『マーベリック』でジェントルマン・ジャック・ダービー役を4つのエピソードに亘り繰り返し演じ、その中には印象的であった回「Shady Deal at Sunny Acres」も含まれている[12]。このキャラクターはジェームズ・ガーナーとケリーの両方が主演した「Shady Deal at Sunny Acres」を含め、常にバート・マーベリック役のジャック・ケリーと共演した。一方で後のシリーズレギュラーであるロジャー・ムーアとは共演することが無かった。ジェントルマン・ジャック・ダービーは、エフレム・ジンバリスト・ジュニアが自身の主演ドラマ『サンセット77』に移った後、彼が演じていた「ダンディ・ジム・バクレイ」の代役としてマーベリックのプロデューサーであるロイ・ハギンズによって作られた。
ワーナー・ブラザースはロングを『バーボン・ストリート』(1959年-1960年)に主演の私立探偵レックス・ランドルフ役で起用したが、この番組は39話のみの放送であった[13]。アンドリュー・ダガン[12]、ヴァン・ウィリアムズ、アーリーン・ハウエルと共演[14][15]。
サンセット77
編集ロングは『ハワイアン・アイ』で再びレックス・ランドルフ役でゲスト出演し、続いてレックス・ランドルフとして『サンセット77』に1960年から1962年までレギュラーとしてキャストに加わった[16]。
その後も引き続き『Thriller』、『拳銃街道』、『ヒッチコック劇場』、『トワイライト・ゾーン』(「自分を探す男」)などの番組にゲスト出演した。
コニー・フランシス、ポーラ・プレンティス、ロジャー・ペリーと共演したMGMのロマンティック・ミュージカル『渚のデイト』で映画界に復帰[4]。また『ディズニーランド』の「The Tenderfoot」(1964年)の回に出演。
1963年、ABCの『ゴーイング・マイ・ウェイ』のエピソード「Hear No Evil」にゲスト出演。このドラマシリーズは1944年のビング・クロスビー主演映画を下敷にし、ジーン・ケリー演じるニューヨークのカトリック神父を描いている。同年、CBSの『ヒッチコック劇場』のエピソード「Blood Bargain」でエディ・ブリーチ役にキャスティングされた。
ロングは映画『Make Like a Thief』(1965年) 撮影のためにフィンランドへ行き、演出も手助けした。「ハリウッドの歴史の中で、最も長く気まずい時期を過ごした」と彼は当時を振り返った。「私は業界の誰よりも多くサインをしました。彼らは私をロバート・グーレ、ギグ・ヤング、ロバート・スターリング、あるいは私自身の誰かだと思っています。私たちは並んでいると似ているわけではありませんが、似ている瞬間があるのです。[17]」ロングは更にもっと多くの役を演じたいとも語った。「私は内面から堕落していて、それが顔に出ている。」と言い、「男は40代にならないとスクリーン上での魅力が出ない。」と締め括った[17]。
バークレー牧場
編集1965年、38歳となったロングはフォー・スター・テレビジョンによる西部劇ドラマの掉尾を飾る『バークレー牧場』全112話で、牧場主ビクトリア・バークレー(バーバラ・スタンウィック)の長男で弁護士のジャロッド・バークレー役に就いた。1965年から1969年までABCで放送されたこのシリーズは、1870年代に時代設定がなされていた。ロングは『バークレー牧場』の2つのエピソードで監督も務めた[18][19]。(ロングは1953年の映画『わたしの願い』でスタンウィックと共演していた[12]。)
ぼくらのナニー
編集1970年から1971年まで、ロングはジュリエット・ミルズと共にABCのホームコメディ『ぼくらのナニー』の主演を務めた[20]。
ロングとミルズは後にこの番組の2本のアニメーション映画版、『Nanny and the Professor』(1972年)と『Nanny and the Professor and the Phantom of the Circus』(1973年)で声優を担当した。
Thicker than Water
編集1973年、短命に終わったシットコム『Thicker than Water』でジュリー・ハリスと共演した。
私生活
編集朝鮮戦争中は2年間アメリカ陸軍に勤務し[21]、俳優のマーティン・ミルナー、デビッド・ジャンセン、クリント・イーストウッドらとともにカリフォルニア州フォート・オードに配属された[22]。一時期、日本の東京にも駐在していた[21]。
ロングは2度結婚している。最初の妻である歌手・女優のスーザン・ボールとは1954年4月11日に結婚したが、14カ月後に癌のため21歳で亡くなった[23][24][25][26]。2人は1953年、彼女がガンと診断された後に出会った。彼女の右足は1954年初めに切断され、2人は同年4月に結婚した。
1957年、ラスベガスで女優・モデルのマーラ・コーディと結婚した[27]。夫妻は結婚生活に問題を抱えながらも、キャリー(1957年-2008年)、ヴァレリー(1958年生誕)、グレゴリー(1960年生誕)という3人の子供をもうけた[28][29][30]。1961年、ロングは酔った勢いで暴力をふるったとしてコーディに訴えられ警察に逮捕された[31]。ロングの義理の兄で俳優のマーシャル・トンプソンが保釈金を支払い、コーディは起訴を取り下げた。コーディは当初離婚を申請するつもりであると仄めかしていたが、後にロングと和解した[32]。
死去
編集ロングは若い頃に肺炎を患い、明らかに心臓が弱っていた。その後、成人してからも心臓のトラブルを経験し、1961年に最初の心臓発作を起こした[33]。最後は、再度の発作を治療するためにロサンゼルスのターザナ医療センターに1カ月間入院した後、47歳の誕生日の4日後の1974年12月21日に亡くなった[1][2]。
出演作品
編集映画 | ||||
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年 | 原題 | 邦題 | 役名 | 備考 |
1946 | Tomorrow Is Forever | 離愁 | ドリュー・ハミルトン | |
1946 | The Stranger | オーソン・ウェルズ IN ストレンジャー | ノア・ロングストリート | |
1946 | The Dark Mirror | 暗い鏡 | ラスティ | |
1947 | The Egg and I | 卵と私 | トム・ケトル | |
1948 | Tap Roots | 愛と血の大地 | ブルース・ダブニー | |
1949 | The Life of Riley | 泣き笑い人生 | ジェフ・テイラー | |
1949 | Criss Cross | 裏切りの街角 | スレイド・トンプソン | |
1949 | Ma and Pa Kettle | ダイナマイト夫婦 | トム・ケトル | |
1950 | Kansas Raiders | 命知らずの男 | フランク・ジェームス | |
1950 | Ma and Pa Kettle Go to Town | トム・ケトル | ||
1951 | Air Cadet | ラス・コールター | ||
1951 | Ma and Pa Kettle Back on the Farm | トム・ケトル | ||
1952 | Back at the Front | ローズ軍曹 | ||
1953 | All I Desire | わたしの願い | ラス・アンダーウッド | |
1953 | All American | ハワード・カーター | ||
1954 | Saskatchewan | サスカチワンの狼火 | アボット | |
1954 | Playgirl | バロン・コートニー3世 | ||
1955 | Cult of the Cobra | ポール・エイブル | ||
1956 | He Laughed Last | ジミー・マーフィー | ||
1956 | Fury at Gunsight Pass | 拳銃峠 | ロイ・ハンフォード | |
1959 | House on Haunted Hill | 地獄へつゞく部屋 | ランス・シュローダー | |
1959 | Tokyo After Dark | ロバート・ダグラス軍曹 | ||
1963 | Follow the Boys | 渚のデイト | ピーター・ラングレー中尉 | |
1964 | Make Like a Thief | V・バートリー・"バート"・ラニガン | ||
1972 | Nanny and the Professor | ぼくらのナニー (劇場版) | ハロルド・エバレット教授 | アニメ映画(声優) |
1973 | Nanny and the Professor and the Phantom of the Circus | ぼくらのナニー (サーカスの怪人) | ハロルド・エバレット教授 | アニメ映画(声優) |
1974 | The Girl Who Came Gift-Wrapped | 恋のプレゼント | マイケル・グリーン | テレビ映画 |
1974 | Death Cruise | 死の航海 | ジェリー・カーター | テレビ映画 (最後の出演) |
テレビ | ||||
年 | 原題 | 邦題 | 役名 | 備考 |
1958–63 | 77 Sunset Strip | サンセット77 | レックス・ランドルフ | 31エピソード レギュラー出演は1960年から |
1959–60 | Bourbon Street Beat | バーボン・ストリート | レックス・ランドルフ | 38エピソード |
1962/63 | Alfred Hitchcock Presents | ヒッチコック劇場 | ポール・デヴォア/エディ・ブリーチ | 2エピソード |
1965–69 | The Big Valley | バークレー牧場 | ジャロッド・バークレー | 112エピソード |
1970–71 | Nanny and the Professor | ぼくらのナニー | ハロルド・エバレット教授 | 54エピソード |
1972–73 | Thicker than Water | アーニー・ペイン | 9エピソード | |
1974 | Match Game '74 | 本人として | 5エピソード |
脚注
編集- ^ a b “Richard Long, TV actor, dies”. Daytona Beach Sunday News-Journal. Associated Press (Florida): p. 10B. (1974年12月22日)
- ^ a b “Actor Richard Long, TV private eye, dies”. Sarasota Herald-Tribune. UPI (Florida): p. 10A. (December 23, 1974)
- ^ Finningan, Joseph (1961年6月8日). “Richard Long quits role as sleuth in 'Sunset Strip'”. Schenectady Gazette. UPI (New York): p. 35
- ^ a b “Richard Long (1927-1974)”. Brian's Drive-In Theater (2020年12月20日). 2023年8月2日閲覧。
- ^ “Richard Long Deemed Find”. Los Angeles Times: p. A5. (1946年4月13日). ProQuest 165635850
- ^ “Paramount Signs Robert Cummings”. The New York Times: p. A12. (1946年5月18日). ProQuest 107523427
- ^ “Crosby To Co-Star in Paramount Film”. The New York Times: p. A29. (February 6, 1946). ProQuest 107586167
- ^ Zylstra, Freida (1950年4月10日). “Ex-Chicagoan steps from class play to films”. Chicago Daily Tribune. ProQuest 177896455
- ^ “Richard Long Gives Up Film Uniform For Real”. Los Angeles Times. (1950年12月7日). ProQuest 166166387 2023年8月2日閲覧。
- ^ Jones, Grahame L. (1974年12月22日). “Richard Long, Star of Movies, TV, dies at 47”. Los Angeles Times. ProQuest 157622595
- ^ Schallert, Edwin (1957年12月21日). “Film to delve into infinity”. Los Angeles Times. ProQuest 167153055
- ^ a b c “A Tribute to Richard Long”. 2008年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月2日閲覧。
- ^ Thomas, Bob (1959年7月25日). “Richard Long gets starring role in television series”. en:Reading Eagle. Associated Press: p. 8
- ^ Gould, Jack (1959年10月6日). “James Michener series on the Pacific”. The New York Times. ProQuest 114889425
- ^ “Bourbon Street Rocks to Private Eye Beat”. Los Angeles Times: p. G3. (1959年11月8日). ProQuest 167530564
- ^ Smith, Cecil (1960年6月3日). “Dog 'Speaks' Play's Only Lines”. Los Angeles Times. ProQuest 167666738
- ^ a b Alpert, Don (1964年10月11日). “Finland: Long and Short of It”. Los Angeles Times. ProQuest 155031543
- ^ Big Valley - Legend of a General [VHS] : Long, Richard, Allen, Lewis, Dobkin, Lawrence, Dubin, Charles S., Golden, Murray, Graham, William A., Lewis, Joseph H., Long, Richard, Mazzuca, Joseph, McEveety (II), Bernard, Nadel, Arthur H., Newman, Joseph M., Pevney, Joseph, Powell, Norman S., Roley, Sutton, Sarafian, Richard C., Senensky, Ralph, Taylor, Don, Vogel, Virgil W., Webster, Nicholas: Movies & TV. ASIN 6300256812
- ^ “Big Valley”. Fifties Web February 20, 2021閲覧。
- ^ “Nanny and the Professor website”. 2008年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月2日閲覧。
- ^ a b Thomas, Bob (1953年1月2日). “Actor Richard Long Back From Two-Year Army Hitch”. Reading Eagle. Associated Press: p. 12
- ^ “Clint Eastwood Used the GI Bill”. Military.com (2017年10月31日). 2023年8月2日閲覧。
- ^ “Suzan Ball throws away crutches for marriage”. en:Pittsburgh Post-Gazette. Associated Press: p. 2. (1954年4月12日)
- ^ “Suzan Ball wed without her crutches”. Florence Times. Associated Press: p. 12. (1954年4月12日)
- ^ “Suzan Ball dies of lung cancer”. Daytona Beach Morning Journal. Associated Press: p. 1. (1955年8月6日)
- ^ “Death takes Carmen Miranda, Suzan Ball”. Reading Eagle. Associated Press: p. 9. (1955年8月6日)
- ^ “Mara Corday becomes bride of Dick Long”. Reading Eagle. Associated Press: p. 19. (1957年1月28日)
- ^ “Mara Corday”. Glamour Girls. 2023年8月2日閲覧。
- ^ “Actor Richard Long is sued for divorce”. Tuscaloosa News. Associated Press: p. 7. (1960年6月9日)
- ^ “Dick Long easy going on and off television”. Schenectady Gazette. UPI: p. 16, TV section. (1971年8月21日)
- ^ “Actor's wife accuses him of attacking her”. The Washington Post and Times-Herald. (1961年4月22日). ProQuest 141320033
- ^ Aaker, Everett (2017-05-16). Television Western Players, 1960–1975: A Biographical Dictionary. Jefferson, North Carolina: McFarland. p. 256. ISBN 978-1-4766-6250-3
- ^ “TV star Richard Long fights heart ailment”. The Blade. Associated Press (Toledo): p. 17. (1961年4月26日)