ラファエル・コラン
フランスの画家
ラファエル・コラン(Raphaël Collin、1850年6月17日 - 1916年10月21日)は、フランスの画家。日本から留学した黒田清輝らを指導した。
ラファエル・コラン Raphaël Collin | |
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Raphaël Collin(1909年以前) | |
生誕 |
1850年6月17日 フランス パリ |
死没 |
1916年10月12日 (66歳没) フランス ブリオンヌ |
国籍 | フランス |
著名な実績 | 画家 |
影響を受けた 芸術家 | アレクサンドル・カバネル |
影響を与えた 芸術家 | 黒田清輝・久米桂一郎・岡田三郎助・和田英作 |
生涯
編集パリで生まれた。パリの学校で学んだ後、ムーズ県のヴェルダンに移り、ヴェルダンではジュール・バスティアン=ルパージュ(1848-1884)と知り合い友人になった。パリに戻り、エコール・デ・ボザール(美術学校)でウィリアム・アドルフ・ブグローやアレクサンドル・カバネルのスタジオで学んだ。同時期にカバネルのスタジオで学んだ学生には、ルパージュの他、フェルナン・コルモン(1845-1924)、エメ・モロー(1850-1913)、ジャン=ジョセフ・バンジャマン=コンスタン(1845-1902)らがいる。1873年にパリのサロン入選作「眠り」を出展し、その後多くの展覧会で賞を得た。
1894年、レジオンドヌール勲章(オフィシエ)受章。画学校を主宰し、1902年エコール・デ・ボザール教授になった。
アカデミーの古典的な骨格を備えながら、印象派や象徴主義の影響を受けた優美な画風の作品を制作し、裸婦像も多い。印象主義の影響を受けた折衷的な作風は外光派(Pleinairisme)と呼ばれる。
コラン初の日本人弟子となった藤雅三(1853-1916、工部美術学校卒)の紹介で黒田清輝・久米桂一郎が指導を受け、後に岡田三郎助、和田英作もコランの元で学んだ。
日本ではこれら洋画家の師として知られるが、フランス絵画史では印象派の最盛期にあたるため、折衷的なコランの画風が評価されることは少なく、当のフランスでもほぼ忘れられた作家であるという。日本では静岡県立美術館などでコランの回顧展(1999年-)が開催された[1]。
作品
編集-
『ダフニスとクロエ』
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『ラ・チャント』(1880年)
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『裸婦』(1892年)
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『フロレアル』(1888年)
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ピエール・ルイスの『アフロディーテ(小説)』(1890年)の挿し絵、磔にされた女性
ラファエル・コランに学んだ学生
編集- マリアンヌ・ストークス (1855–1927)
- イソベル・リリアン・グローグ (1865-1917)
- 黒田清輝 (1866–1924)
- ヘレン・ハイド (1868–1919)
- 岡田三郎助 (1869–1939)
- 和田英作 (1874–1959)
- パウラ・モーダーゾーン=ベッカー (1876–1907)
- マルグリット・ドゥロルム (1876-1946)
- キャサリン・ソフィ・ドライア (1877-1952)
- 犬塚きぬ(岩下家一の妻)
脚注
編集- ^ “ラファエル・コラン展”. 静岡県立美術館. 2013年6月26日閲覧。