マリーア・カロリーナ・ディ・サヴォイア
マリーア・カロリーナ・アントニエッタ・アデライーダ・ディ・サヴォイア(Maria Carolina Antonietta Adelaide di Savoia, 1764年1月17日 - 1782年12月28日)は、イタリアのサヴォイア家の王女で、ザクセン王アントンの最初の妻。夫の即位する45年前、ザクセン選帝侯領が王国に昇格する24年前に死去したため、王妃ではない。
マリーア・カロリーナ・ディ・サヴォイア Maria Carolina di Savoia | |
---|---|
出生 |
1764年1月17日 サルデーニャ王国、トリノ、トリノ王宮 |
死去 |
1782年12月28日(18歳没) 神聖ローマ帝国 ザクセン選帝侯領、ドレスデン |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 ザクセン選帝侯領、ドレスデン、カトリック宮廷教会 |
配偶者 | ザクセン王子アントン |
家名 | サヴォイア=ブレッセ家 |
父親 | サルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ3世 |
母親 | マリーア・アントニア・ディ・スパーニャ |
生涯
編集サルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ3世とその妻でスペイン王フェリペ5世の娘であるマリーア・アントニエッタの間の第10子、六女として生まれた。ザクセン公子アントンとの結婚が決まり、1781年9月28日にストゥピニージ宮殿において代理結婚式が、同年10月24日にドレスデンで正式な結婚式が執り行われた。王女の結婚に際し、トリノでは王宮やパラッツォ・ゴンティエーリで盛大な祝宴が開かれた[1]。しかしこの結婚に乗り気でなかったマリーア・カロリーナは婚家になじめず、結婚後1年ほどで天然痘に罹患して18歳で死去した。遺骸はドレスデンのカトリック宮廷教会に葬られた。夫は1787年にオーストリア大公女マリア・テレジアと再婚した。
マリーア・カロリーナの郷里での人気は高く、詩人グイド・ゴッツァーノも「Poesie Sparse」という詩集の中に王女を登場させている[2]。
脚注
編集- ^ Luigi Bassignana, Torino in Festa, pp. 142-144, 2004, Torino Incontra
- ^ “randi Classici, Italian literature”. Sapere.it. 2010年2月2日閲覧。
外部リンク
編集ウィキメディア・コモンズには、Maria Carolina di Savoiaに関するカテゴリがあります。